第十話 18禁のれんの先でのやりとり
一人暮らしは金が掛かる。
一応両親からの仕送りはあるけれど、俺のわがままを通しての一人暮らしだったから、極力親の金には頼りたくなかった。
そうなると大事になるのは一人暮らしを成立させられるだけの資金の確保で、俺はこの日、バイトに精を出していた。
「いらっしゃいませ」
お客が入店したのを見て、カウンターから頭を下げる俺。
俺のバイト先は、レンタルビデオショップだ。
本屋と複合しているチェーン店なのだが、この店は小規模で書籍の販売はしていない。映像ソフト、レンタルCD、レンタルコミックで成り立っている。まあ時代の流れで、レンタルCDの売り場はレンタルコミックに場所を奪われつつあるんだけど。
出会い、ということを考えれば、居酒屋やファミレスのような飲食店の方が良いに決まっている。
しかし俺には、異性が苦手という超の付く欠点がある。
妙齢の御婦人ならともかく、同年代の女子が頻繁にお客としてやってきたり、同僚として在籍していたりしそうな店でのバイトは避けていた。
一年生の頃は、一人暮らしの資金繰りのために実家近くのコンビニでバイトしていたのだが、そういうときに若い女性が来店したときはセルフレジを利用することを願い、どうしても接客しないといけなくなったときは極力視線を合わせないようにして切り抜けていた。
一部のお客からは変な奴扱いされていたかもしれないけれど、同僚や先輩からは、働きっぷりは真面目だから、と概ね良くしてもらった覚えがあるから、今でもいい思い出だ。
幸い、このレンタルビデオショップは、静かで落ち着いた住宅街の中にあるということもあり、女子高生や女子大生のような、俺の苦手にクリーンヒットするタイプのお客は滅多に現れない。
そして、現時点ではバイト仲間に同年代の女性はいない。
だからこそ安心して仕事ができる。
卒論や就活で忙しくなるまでは、この店でお世話になり続けようと決め込んでいるくらい気に入っていた。
そんな中、俺は先輩に命じられて、返却された映像ソフトを元のケースに収め直していく。
無心で作業ができるこの瞬間もまた、俺が気に入っているところだ。
「あ~らたっ♡」
そんなところに現れたのが、振り返らなくても声を聞いただけでわかる夏向だった。
最近はどんどん気温が上がっているから、いつも着ている大きめパーカーも薄手になっていて、ショートパンツから伸びる白い脚は相変わらず眩しかった。
「何の用だよ?」
「新太ったら、冷たいんだ」
夏向は、余った袖をパタパタ振り回しながら口を尖らせる。
不貞腐れた態度はほんの一瞬で、すぐにニヤニヤしてこちらを見上げてきた。
「『恋人』のバイト先が気になって来ちゃったカノジョの気持ち、わからないかなー?」
「ちょっ、夏向……!」
俺は慌てて夏向の口を塞ぎに掛かる。
映像ソフトが置かれた棚に挟まれている場所で、周囲にお客の姿がないことが幸いした。
「外でその話をするのは止せ……!」
「どうして?」
「それは……」
知らない人が見たら、同性と付き合っているように思われて、説明がややこしくなるから……。
ワンチャン夏向を女の子と勘違いしてくれる可能性はあるものの、それはそれであとで説明が面倒ではある。
「とにかく、今は仕事中だから、俺の練習に付き合ってくれなくていいんだよ。プライベートなときだけにしてくれ」
「なんだ。新太の職場の仲間にぼくのこと紹介してもらおうと思ったのに」
「お前は俺をどういうポジションにしたいんだよ?」
「いいじゃん。自由な恋愛をしてる人ってことで一目置かれちゃおうよ。それにぼくは見ての通り可愛いから、みんなから羨ましがられることは間違いなしだよ」
そりゃ顔立ちは可愛い寄りかもしれんが思い上がりすぎだろ、とツッコミかけたとき。
同性の同僚後輩先輩の顔を思い浮かべてみると、夏向を恋人として紹介した場合、どれも羨ましそうにする姿が浮かんでしまった。
可愛いは正義……か。
「待て。交際を公表するしないみたいな話になってるけど、そもそも俺とお前は付き合ってないだろ。あくまでスパーリングパートナーなんだから。危ねー。なんか上手いこと言いくるめられるところだった」
「あらら、引っかからなかったかー」
くすくす笑う夏向。
夏向としては、俺と付き合っていると思われてしまうのはアリなのか?
「でも、一瞬でもぼくに違和感を持たなかったってことは、だんだんぼくを恋人として思うようになってる証拠だね」
確かに、恋人役をするようになってから特に体の距離感がやたらと近い気がするが……。
「いや、こんなことしてる場合じゃない。俺には仕事があるんだよ。お前も冷やかしに来たんなら帰ってもっと有意義なことに時間使え」
「ぼくだってちゃんとお客として来たんだけど? そこに用があるんだよね」
夏向が指差す方向には、18禁ののれんがあった。
おい、そっちにはアダルトなビデオソフトしかないんだが……?
いや、夏向だって男子なんだ。
エッチな映像作品に興味を持ったって全然おかしくはない。
見た目的は美少女な夏向が、のれんの向こうに足を踏み入れたら、今晩のおかずを吟味しているお客がびっくりして営業妨害になりかねない気もする。
でも俺に、お客の夏向を引き止める権利なんてあるはずもなく。
「……ごゆっくりどうぞ」
お客に掛けるセリフを吐いて、作業を再開しようとする俺。
しかし、返却作業をするべき俺の手元あるのはすべてアダルトなビデオソフト。
「わ、新太も来てくれるの? 一緒に選ぶ?」
「俺は仕事だよ」
結局俺も、夏向と一緒にのれんをくぐるハメになった。
ここのバイトを始めて間もない頃は18禁コーナーに立ち入るのには緊張と抵抗があったものの、今や肌色成分多めな光景に動揺することなく作業的にこなせるようになっていた。
慣れって凄い。
いつかは俺も夏向とのウソ恋人関係も自然と受け入れられるようになってしまうのだろうか、と考えると怖い気もする。
幸か不幸か、のれんの向こうには他にお客はいなかった。
こういうとき、夏向の厄介が発動して、好みの女優は誰かとか聞いてくるんじゃないかと身構えていたのだが。
「…………」
「夏向……?」
「な、なにかな!?」
「いや、棒立ちしてるから具合でも悪いのかと思って」
「ぜ、全然平気だけど!?」
どう見ても平気じゃないんだよなぁ。
顔赤いし、視線がさっきからチョロチョロ定まらない感じだし。さっきのいかにも常連なんですけど? って態度はいったいどこに行ったんだ?
「夏向、もしかしてこっちのコーナーに来るの初めてか?」
周囲に客がいないのを見て取って、夏向に聞いてみることにした。
「初めてじゃないよ! ぼくの庭って言っても過言じゃないんだから!」
「無理しなくてもいい。俺だって客だったらここまで来ないよ。恥ずかしい気持ちは理解出来る」
女子に比べれば単純明快と扱われる向きもある男子の世界だが、これはこれで面倒もある。
下ネタやエロトークは男子間でのコミュニケーションを円滑にする鉄板ネタみたいに扱われることもあるものの、性の話題は個人のプライバシーに直結しかねない繊細なトピックなわけで、当然苦手な人だっている。ときには、上手く下ネタに乗れないせいで嫌ないじり方をされることだってあるだろう。
俺は異性が大の苦手ということもあって、真っ先にいじりの標的にされそうなものだが、長い事体育会系社会に身を置いていたせいか、口にして嫌な気分にならない程度の下ネタを駆使して場を切り抜ける技術は持っていた。
案外夏向も、本来はエロネタにはあまり興味はないのに、男子間でのセクハラみたいな問題に直面して、少しでも耐性をつけるためにわざわざここまで来たのかもしれない。
夏向みたいな女性寄りの顔立ちをしていることは、可愛がられることがあると同時に、時にはマッチョな考えを持った男子からは侮られることもありそうだから。
だからといって、ここで無理をする必要はないと思うし、AVで耐性がつくのだろうかという疑問もある。
「うちの店は小さいけど品揃えはいいから、映画でもアニメでも自分の好きなもの借りる方が有意義だぞ」
「わーん、なんか今日の新太が優しい……」
半泣きになりながら、ぴとっ、と俺にくっついてくる夏向。
人目につきにくい上、肌色率が異様に高いソフトに囲まれた空間で夏向にくっつかれると、なかなかに背徳感があるな……。それこそアダルトな映像作品のワンシチュエーションみたいだ。
「新太は平気なの?」
「まあ、仕事だしな。確認のためにタイトルと手元のケースを見比べるくらいで、パッケージを凝視するわけじゃないし。機械的にやっていれば何も気にならないさ」
落ち着いてきたらしい夏向から離れて、手元に積んだDVDケースの山を少しずつ元の位置へ戻していく。
「そっかぁ。そういうところ、まだ新太の方が大人だね」
「なんだぁ、お前が素直に褒めてくれるの、珍しすぎてかえって不気味だな」
かつてのライバルながら負けっぱなしの俺としては、これだけで夏向に勝ったような気になって満足度は高かった。
作業を進める俺がいる一方、夏向はその場から離れようとせず、しばらくは俺の視界の端に夏向の脚が映り込んでいた。
「ねー、新太」
「なんだ?」
「さっきから見てて思ったんだけど、ギャル系の女優さんが出てる作品のときは手が止まって作業が遅くなるよね?」
「えっ……?」
「それって、新太がギャル系の人が好きだから、ついついじっくり見ちゃうの?」
「ち、違う! たまたまだって! タイトルが長くて確認に時間が掛かっただけ!」
「それならそんなに慌てる必要あるぅ?」
「ぬぐ……」
「新太って金髪で髪が長くてメイクばっちりな子の方が好きなんだね」
「だから誤解だって」
「ふーんだ。ぼくだってなろうと思えば金髪ギャルにだってなれるんだから!」
ぷんすかご機嫌ナナメで、夏向は肩を怒らせながらのれんの向こうへ消えていった。
「……俺、あいつに怒られないといけないところあった?」
取り残された俺はついついポカンとしてしまう。
「……いや待て。その前にどうして男のあいつがギャル化しようとしてるんだよ。ギャルになるのは無理だろ。金髪ロングにはなれるだろうけど……」
俺は釈然としない気持ちのまま、バイトの残り時間を過ごすのだった。




