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プロローグ お前が女の子だったら……いや、なんでもない

 思えば、異性が苦手なせいで損してばかりの人生だった。


 とんでもなく異性が苦手だという自覚が生まれたのは、中学生の頃のこと。


 世間話をするだけでも、相手が女子となると、俺はまともに思考が働かなくなって、頬と背中が熱を持ち、頷くことしかできない泥人形になってしまう。


 顔が真っ赤になって動悸が激しくなれば挙動はおかしくなり、露骨に迫害されることこそなかったけれど、距離を置かれることがしばしばあった。


 高校生になっても、この悪癖は治ることがなかった。


 努力の甲斐あって一年生からサッカー部でレギュラーだったことは、俺の弱点を目立たなくしてくれて、友人の手引きもあってデートに持ち込むことができたのだが、女子と一対一になれば結果は同じだ。


 相手は学年でもトップクラスの美少女だったこともあり、俺はこれまでにないくらい緊張して、隣席同士でぴったりくっつく映画鑑賞中、ポップコーンのバーレルにリバースしてしまうという大失態をしてしまった。


 その子は呆れるでも気味悪がるでもなく、健気にも後始末を手伝ってくれた。

 あまりに申し訳なくて、合わせる顔がなくなり、結局その子との縁もそれっきりだ。


 それ以来俺は、異性に近づいたら絶対に迷惑をかける、という思いに囚われるようになり、大学に入学しても、ゼミやサークルで必要最低限の連絡を取る目的以外で女子と関わることができずにいた。


 困ったことに俺は、こんな状態でも彼女が欲しいと思っている。

 いつかは俺も、仲良くなった女子と一緒にキャンパスライフを送りたい。


 そう強く思うのだが、結局はどうなることもなく、大学二年生を迎えてしまった。


 このままではダメだと思った俺は、一年生のときに貯めたバイト代を元手にして、アパートで一人暮らしを始めることにした。


 自分ひとり全部やらないといけないという責任感を背負い込めば、弱点を克服できるような気がして。


 生活の変化は、一人暮らし以外にもう一つあった。


 その日俺は、ワンルームのアパートの部屋でノートパソコンと向き合い、大学の課題として出ていたレポートを書いていたのだが……。


「あ~らたっ!」


 騒々しく玄関の扉が開いたと思ったら、やたら機嫌良さそうな声とともに、俺の背中に体当たりをしてきたそいつの腕が俺の首に巻き付いてきた。


「夏向! やめろ、今忙しいんだよ」


 俺にバックハグをかましてきたそいつ……大嶌夏向おおしまかなたは、諦めることなく今度はノーパソのキーボードに伸びている俺の両腕の間から、にゅっと顔を出して向かい合うかたちになる。


 中学生と勘違いしそうな華奢な体つきを、オーバーサイズのパーカーで隠したそいつは、パーソナルスペースなんて完全無視で近づいてきた。


「おい、変なところから現れるな。ディスプレイが見えないだろ」


 聞く耳持たずの夏向は、猫を彷彿とさせるような大きな瞳で、ひたすら俺を映そうとする。


 厄介な隣人のそいつは、パーツの一つ一つとっても、「可愛い」という印象が真っ先に出てくる見た目をしていた。


 サラサラとした黒髪は、女の子ならレイヤーボブって言われそうな髪型に切り揃えられている。その髪の隙間から見える、白くて丸まった耳。鼻先はほんの少し丸くて、唇はいつでも何かを言いたそうにしているみたいに尖っている。今もそうだ。油断をしたら、またなんか余計なことを口にするかもしれない。


 こういうときのこいつは、変に甘やかしたらダメだ。


「邪魔だからどきなさい」

「そんなのより、ぼくを見てた方がずっと楽しくない?」

「お前はどれだけ自分を魅力的なコンテンツだと思ってるんだよ。俺は単位の方が大事なの」

「もう! どうしてぼくに冷たくするの?」

「構っていられないくらい忙しいからだ。ヒマになったらちゃんと相手してやるから」

「酷い……ぼく以外に好きな女の子ができたからそんな冷たくするんだ」

「あのな、お前……」


 聞き捨てならない言葉が聞こえてきたので、俺も呆れてしまう。


「新太だって、ぼくのこと、可愛いとは思ってくれてるんでしょ?」


 鼻先が触れかねないくらいの超至近距離で、上目遣いをしてくる夏向。


「思い上がりも甚だしいとは思わないのか?」

「あーあ、もっと素直になれば、新太にもっと幸せなことが起こるのに」

「どんな?」

「ぼくにもっと好かれちゃう!」

「それは幸せなのか?」

「もうっ! そんなこと言って!」


 夏向は、フグみたいな顔をふくれっ面にして。


「もっとぼくのことを大事にしてほしいなー」


 夏向は、自分の胸元へパシンと平手打ちをし、これ以上ないくらいに得意そうな顔をして。


「ぼくはきみの『カノジョ』なんだから!」

「ぶふっ!」


 絶対に誤解を招く夏向の一言に驚いた俺は、ついついレポートのお供にしていた烏龍茶を吹き出しそうになる。


「あれ? 大丈夫? 鼻からお茶出てるよ?」

「大丈夫大丈夫……」

「いい加減、ぼくがカノジョになってあげてることにも慣れてほしいなー」


 やたらと可愛い見た目をしている夏向が、カノジョを自称してじゃれついてきても、異性を相手にしたときの発作を起こさないのには理由がある。


「ああ、そうだ。思い出した。夏向、いつもありがとうな」

「え、え、どうしたの急にデレ期きて。ぼくのこと愛しくなっちゃった? 抱きしめてもいいんだよ?」

「違う。トイレのこと」

「え、トイレ……?」

「お前は用を足すときちゃんと座りションしてくれるだろ? うちのトイレ使うときもそうみたいだからさ、いつも掃除が楽になって助かるよ」

「は? 座ってするなんて当たり前じゃん。だってぼくは――って、ど、どうしてぼくが座ってする派なんてわかったのかなーって、理由聞きたいかもー?」

「いや、たんにお前が入ったあとにトイレ行ったら便座が下ろしてあったから、そうなんだろうなって思っただけだが?」

「やられた。そんな古典的なうっかりでぼくのプライバシーが露わになっちゃうなんて……」

「それくらいいいだろ。男同士なんだし。変なこと気にするなよ」

「お、男同士だって気にするものは気にするの!」


 これが俺に発作が起きない理由。


 大嶌夏向は、限りなく女の子に近い見た目をした男の子なんだ。


 夏向とは大学生になって再会したのだが、小学生の頃に関わりがあって、元々はライバル関係だった。


 俺にとって、絶対に負けたくない相手が夏向だ。

 うっかりドキドキしたら、負けた気がしてとっても悔しい。


「新太さぁ、そんなノンデリ発言ばっかしてたら、恋人ができるなんて夢のまた夢なんだからね? せっかくぼくが付き合ってあげてるんだから、新太なりの成長を見たいんだよね」

「うぐ……それはまあ、お前の言う通りだけどさぁ」


 再会してまもなく、とにかく異性が苦手な俺を見かねたのか、夏向はこんな提案をしてきた。


『――女の子が苦手ならぼくで練習しちゃおうよ』


 最初はからかっているのかと思ったけれど、夏向なりの方法で俺のために頑張ってくれているように思う。


 今もこうして、恋人役を全うしようとして、やたらとじゃれついてきているわけだから。


 夏向なりの善意ではあるから、同性相手に恋人ごっこなんて恥ずかしいとは思いつつも、突き放すことはできなかった。


「俺なりに反省はしてるよ。お前の頑張りに応えられてない自覚はあるから」

「反省してるなら、どうすればいいかわかるよね?」


 夏向は再び俺の前に回り込むと、あぐらをかく俺の胴体を脚で挟み込むようにして対面で座り始めた。


 俺の首の裏に腕を伸ばしてきてホールドする夏向は、星が浮かびそうなくらいキラキラの眩しい瞳を向けてくる。


「ぼくの目をちゃんと見て?」

「それでどうなるんだよ……?」


 めちゃくちゃ恥ずかしいのだが、ここで視線をそらしたら負けた気がする。


「直接いちゃいちゃが苦手なら、視線を絡ませていちゃいちゃしようかなって」

「お前俺にどれだけマニアックなことさせようっていうの!?」


 あとこいつの性癖もなんか怖い。


「そうかなー? あえて何も言わないで、好き好きって気持ちでいっぱいの視線をねっちょり絡ませるのって結構えっちじゃない?」

「えっちな気分にさせてどうするつもりだよ」

「そっちの方が恋人っぽく思ってくれるかなって」

「そこまでガチモードじゃなくていいから。あくまでフリでいいんだ、フリで……」

「もー、新太はわがままだよ。あれもダメこれもダメって。チャレンジしないと、苦手だって克服できないんだからね?」

「うぐ……それはそのとおりだが……」

「ほらほらやってみようよ。『男同士』なら平気でしょ?」


 さっきの仕返し、とばかりに得意そうにしている夏向の顔が間近に迫った。


「それともぼくのこと、本気で女の子だと思っちゃってる? 女の子が苦手過ぎて、リアル女の子と見分けつかなくなっちゃってるんじゃない?」


 こんな煽られ方したら、俺だってムッとしちゃうよ。


「わかったよ。付き合ってやるけど、でもこれで満足しろよな。俺はさっさとこいつを片付けないといけないんだから」

「いいよ。でも新太のことだから、ぼくのことずっと見てたら、ぼくのことで頭がいっぱいになるに決まってるよ」

「ならんわ」

「あーあ、強がっちゃって。いいけどね。ぼくの可愛さに改めてびっくりしちゃうといいよ」


 そして俺は、夏向と無言で見つめ合いを始めた。

 どういうわけか夏向は見つめるだけじゃなくて俺の両手を包み込むように掴んできたけど、こいつのペースに乗せられてはいけない。


 いったい俺は何をやってるんだろうな。


 小首を傾げながら上目遣いで好き好き光線とかいうのを放ってきているらしい夏向を前にして思う。


 夏向に負けたくないから、俺はいっさい視線を外すことなく、夏向の瞳を覗き込み続けた。


 でも、こうして夏向の姿をよく観察していると、ふと思うんだ。


 夏向って、本当は女の子なんじゃないか? って。


 夏向だって、俺と同じく大学二年生。

 男性の体として完成し終えてもいい年齢だ。


 それなのに声には野太さのカケラもなくて、体は全体的に丸みを帯びていて、顔のパーツひとつひとつとっても男子のような角張った感じがない。


 肌もやたらときめ細やかで、ヒゲを剃った形跡がないどころか顔からムダ毛が生えることが想像できないくらいツルツルだ。その上、薄桃色の震える唇を見ていると、甘く匂い立つ香りがしてきそうだ。


 いかんいかん。

 もし本当に夏向が女の子なら、俺はたちまち恥ずかしい発作に見舞われているはずだろ。


 夏向は男子に決まっているのだ。

 だというのに。


 俺は男同士で見つめ合って、何をドキドキしているのだろう?


「どう? 新太もドキドキしてきちゃった?」

「こ、この程度じゃしやしないよ……」

「強情だなぁ。認めちゃえばいいのに」


 大嶌夏向という限りなく女の子みたいな顔と声と体格の男子と再会したのは今から一ヶ月も前のこと。


 始まりは、俺がこのアパートに引っ越してきたあと、お隣さんに挨拶に行こうとしたときのことで――


読んでいただき、ありがとうございます。


少しでも気に入っていただけるところがあれば嬉しいです。

良かったら、評価の方よろしくお願いします。

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