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第四章「記憶」

僕はひとりだった。

ずっとずっと ひとりだった。


そんな僕に初めて友達が出来たのが、小学6年生の夏頃だったか。


いつも感じていた寂しさが、充実した楽しさに変わっていった。


彼は、僕に人と関わる事の喜びを教えてくれた。


しかし今となっては、苦い思い出でしかない。


全ては俺が悪いのだが、この経験で学んだ事は人間関係なんぞただ煩わしく残酷なだけの代

物だということだ。




季節は六月、天気は快晴。


眩しいほど強い日差しが、窓ガラスを通して屋内にまで及んでくる中、僕は一人椅子に腰か

け、机の上で本を広げていた。


本のタイトルは、『中級者向けの空手道ガイド』


いかにして相手を素手で倒し、屈服させるかについて、イラスト付きで詳しく講釈している

分厚い本だ。


ここは学校で、今は休み時間。


よって僕の周りや、窓の外の校庭などから、同年代の子供たちが遊んでいる音が喧騒となっ

て聞こえてきている。


僕は本に意識を集中させる。


「正しい関節蹴り」の項目を注視する。


そうする事で、虚しい現実から意識を離す事ができた。


「・・・・・・・・・・・・」


こんな本、好きで読んでいるわけじゃない。


僕の生活は、本当に格闘技ばかりだ。


僕のお父さんは道場で空手の師範をしていて、お母さんも家事をする傍らで合気道だ柔道だ

と忙しく活動している。


そんな格闘家夫婦の間に生まれた僕は、幼い頃からただひたすら格闘技の修行を積む事を求

められた。


「格闘家が視力を落としたらどうする」と言ってテレビも見せてもらえず、


「小さい時が一番伸びるんだ」と言って外にも出してもらえずただただ道場で稽古をさせら

れていたのだ。


それでも、まだ小学校低学年まではそれなりに普通にやれていた。


親しい友達なんてものは出来なかったけど。


本当に困ったのは4年生の中頃くらいか。同年代の子供の社会の経験なんて殆ど積めなかっ

た僕は、


皆がグループを形成し始め、無差別な交流をしなくなった頃に孤立した。


しゃべったりなんて、できない。


好きなテレビ番組についてしゃべろうにも、僕はまずテレビを見られない。


放課後、一緒に遊んで交流を深める事すら、僕にはできないんだ。


だから しょうがない・・・。


これは しょうがないんだ・・・。


僕はページをめくる。


寂しかった。まるで胸に空いた穴を、風が出入りしているかのように、全身を寒気が覆っ

た。


本を読みながら、心を無にする。


自分の存在自体を忘れてしまえば、この寂しさをある程度忘れる事が出来ると考え・・・。




キーン コーン カーン コーン ・・・・




教室に備え付けのスピーカーから、少し割れたチャイムの音が響いた。


僕は本を閉じた。すると裏表紙に書かれた自分の名前が目に入った。


・・・佐那山 大介・・・・。


正直、こんな名前いらないと思った。


名前なんかがあるから、僕は一人の人間になってしまう。


僕は、人間でありたくなんてなかった。



出来れば、誰にも構われず放っておかれるのが当然、そんな空気のような存在になりたい。


最近、そう思うようになっていた。






ある日、僕はいつも通り学校に来た。


そして教室の雰囲気が、いつもと違う事に気付いた。


「どんなヤツなんだろう」


そんな風な囁きが耳に入ってくる。




そうか。今日は・・・。


今日は転入生が来る日だった。


さして興味もないため、僕はいつも通り席につき、


ホームルームをしに先生が来るまでの時間を、本を読んで潰したのだった。




「彼が今日から新しく君たちと勉強する事になった、相沢君です」


転入生・・・相沢君はいろいろと変わった外見をしていた。


まず、彼はランドセルの代わりに、縫い跡の目立つ黒ずんだリュックを背負っていた。


そして、一目でアイロン掛けなどされていない事がわかる皺だらけの服を着ていた。


そして何より印象的だったのは、顔の真ん中・・・ちょうど鼻から左右両側にかけて走って

いる細長い傷だった。


誰も、何も言わない。ただ彼の強烈な見かけに呆気にとられるばかり。


彼は不揃いに切られたボサボサの髪からのぞく瞳にどこか悲しげな光を漂わせていた。


そして


「相沢・・・ユウスケです・・・・よろしく・・・」


ボソボソと言うと、ペコッと頭を下げた。


皆彼を凝視し、黙りこくっている。


そろそろ頃合かと先生が彼に声をかけようとした時、間抜けな声が重苦しい空気を一掃し

た。


声の主はクラスの中で、『すぐ調子に乗るが面白いヤツ』と評されているある生徒のもの

だった。


なんだあの浮浪者は?


そいつはそんな意味の事を言い、皆が笑った。


僕はその手のジョークの面白さがわからなかったが、ただ相沢君の反応が気になり、彼の方

を見た。


「は・・・・はは・・・」


相沢君は困ったような表情で、それでも皆に合わせるように少し笑っていた。






案の定、彼は駄目だった。


転入早々、クラスになじみ損ねてしまったのだ。


休み時間、彼は席に座ったまま、ただじっと机の表面を眺めていた。


すると、それに気付いた近くの男子生徒が彼を囃す。


「お前机の木目でも数えてんのかー?」


すると相沢君は顔を上げ、


「うん・・・はは・・・」


苦笑いで答えた。


僕はその光景を見て、この上なく嫌な気分になっていた。


相沢君の姿が、自分の姿と重なるように思えたからだ。


僕は思った。


人間なんて、ずっと子供のままでいればいいのにと。


子供の頃は、皆が皆に対して優しかった。


それがいつの間にか、皆で誰かを囃したてたり、攻撃して楽しむようになっていた。


これが、大人に近づくという事なんだろうか?


成長するって、こんな事なんだろうか?


僕にはわからない。


わからないよ・・・・。






そんなこんなで日にちが経っていき、季節はまさに夏真っ盛りとなった。


相沢君は、ただ孤立するだけならまだよかったものの、


最近特定の生徒に危害を加えられだしたようだ。


彼は何かされる度に、あの苦笑いでごまかしているように見える。


トイレに行って、教室に帰ってくると机に落書きがされている。


彼は気付いて一瞬変な顔をするが、すぐに苦笑い。


リュックの中身をぶちまけられれば、苦笑いで拾い集める。


給食の配膳中にシチューをひっかけられても、また苦笑い。


ある日、彼は休み時間に男子生徒数人と教室を出て行った。


僕は、孤立している彼が他の生徒と出かけるというのが、非常に気になった。


そして十数分後、彼は一人で戻ってきた。


服は泥だらけ。半ズボンからのぞく膝は赤くすりむけ、顔に小さなアザがあった。


彼への嫌がらせが遂に身体的暴力にまで発展したのだという事を、僕は理解した。


そんな中でも、彼はただ


「はは・・・」


物悲しく苦笑いをするだけだった。






ある日の午後、僕は学校の帰りに本屋に寄っていた。


お父さんに、『上級者向けの空手道ガイド』を買って読むよう言われていたからだ。


棚から目的の物を探しだし、僕はレジで精算を済ませ、本屋を後にしようとした。




その時、店員と思しき人物が、僕の腕を掴んだ。




「・・・僕、万引きなんかしてないんですけど」


何だか面倒な事になった。


僕は何故か店の本を万引きしたと疑われているらしい。


僕は腕を掴まれ、声をかけられた後、店員にランドセルの中身をすべて見せた。


結果、盗まれた本は発見されなかった。


それなのにこの店員は、本が一冊盗まれたのは間違いない、お前の仕業だと言って譲らな

かった。


どこかに隠しているんだろう。そう言って事務所のような部屋に僕を入れようと腕を引っ張

る。


その時だった。


「その子じゃ・・・ないです」


遠慮がちな、しかしはっきりとした声が聞こえた。


振り向くと、一人の子供がそこに立っていた。


「君は・・・・・」


相沢君だった。






美しい夕焼けが、田舎街の空を紅く染め上げていた。


僕は今、相沢君と二人で公園のベンチに腰掛け、ただ紅い空を眺めて過ごしていた。


結果的に、僕は解放された。


偶然店にいた相沢君が、僕の事を見ていたが本を盗んではいなかったと弁護してくれたの

だ。


「相沢君、・・・本当にありがとう」


僕はもう何度言ったかわからないお礼の言葉を再び口に出した。


そして


「僕としては何かお礼をしたいんだけど」


これももう何度目かわからない。


相沢君にお礼をしたいと思い、リクエストを求めているが、


「え・・・いいよ・・・・」


何度聞いてもやんわり断られる。


「いやいや」


どんな形でも、お礼をしておきたかった。


「じゃ・・・・じゃあ・・・」


「・・・・」


相沢君と、目が合った。


「・・・一緒に・・遊ぼう・・友達に・・なって・・・・」


僕は思った。


きっと、相沢君もずっとひとりだったんじゃないかな・・・・。


「うん。わかった。」


相沢君の目を見て、僕は言った。


「僕たちは友達だ」


相沢君は・・うれしそうな顔をした。


あるいは、僕が勘違いしてそう取っただけかもしれないけど。


それでも、よかった。


「僕は大介。君は確か・・・・」


「ユウスケ」


彼はそう言い、地面に指で字を書いた。


『相沢 勇介』


「勇介・・・・」


僕も勇介にならい、地面に名前を書いた。


『佐那山 大介』


僕たちは二人で、並んで書かれた僕たちの名前を見つめた。


何だか、うれしいような、くすぐったいような、不思議な感覚が僕の身体を通り抜ける。


僕に、友達が出来た。


初めての友達がこの日、僕に出来たんだ。






「・・・・・・・」


夜はとうに更けていた。


茜はとある一軒家の一室にいた。


家主はというと、目の前で寝ている。


「・・・・・・・」


静かな寝顔は、まるで先ほどの取り乱し方が嘘のよう。


「・・・・・・・」


茜は、険しい顔でじっと彼の顔を見つめていた。


といっても、今その目は何も見えていない。


茜は全感覚を自らの精神に集中させ、それを大介の脳にぶつけていた。


結果、茜は自分の精神を大介の精神とドッキングさせる事に成功し、記憶野にアクセスする

事を可能にした。


しかし、この能力にも限界がある。


精神のドッキングに成功しても、本人がリアルタイムで呼び出している記憶、リアルタイム

で行っている思考しか感じる事はできない。


本来なら、対象が寝ている所にドッキングをしかけても何の意味もない。


しかし、茜は自分が必要としている情報をまさに今得ていた。


大介は・・・夢を見ている。


おぼろげな記憶の断片が、切れ切れと自分の脳内に流れ込んで来ている事から、茜は大介が

過去の経験を夢に見ているのだとわかった。


今、茜には大介が見ている夢の内容が見えている。


彼の子供時代のようだった。


努力しているようで・・・自分の意思で行動できていない。


醒めた考え方をするようで・・・甘ったれている。


これが、大介が心の奥底に封印していた過去なのか。


「親にしっかり管理されて育ったから・・・どんなにケンカが強くても子供だったというこ

とね・・・・」


茜はよくわからなかった。


自分だって管理されていた。


毎日毎日、狭い独房の中で・・・。


なぜ、自分が独房にに入ったのかは思い出せない。


気がついたら、薄暗い施設のような所で、いろいろとテストを受けていた。


適正訓練、と称されたそのテストでは、基本的な体力はもちろん学力や、いろいろな超能力

まで試された。


自分の他にもテストを受けている若者が何人もいて、そのなかには非常に素早い運動ができ

たり、長編小説を一時間で暗記してしまう者もいた。


そのテストで自分がもっとも適正があるとされたのが、超感覚方面の能力だ。


感覚器官の一部に意識を集中させ、精度や感度を高める。


これができる者は施設の中に何人かいたが、これに加えて人の思考・記憶を読む事ができる

のは自分だけだった。


こうして、「同類」の中でも類まれな能力を持っていた事から、いつしか「センシティブ」

というコードネームで呼ばれ一目おかれるようになっていた。


施設の責任者らしき人物とも、一度電話越しに話をした事がある。


しかし、その人物はただ激励の言葉をかけてくるばかりで、こちらの疑問には一切答えてく

れなかったが。


そして数週間後、テスト期間は終わった。


ある日、施設中の若者・・・つまり「同類」・・・が四方をコンクリートで固められた埃臭

い一室に集められた。


しかし、いつまで経っても何も起こらない。


苛立った一人が扉のノブを捻るが、扉はしっかりと施錠されていた。


集団に戦慄が走る。


そして、天井のスピーカーから、前に聞いた施設責任者の声がした。


――この部屋から出られるのは、生き残った一人のみ。生きのびたければ戦え。


初めは皆本気にしていなかった。


しかし、一日たっても二日たっても扉が開放される事はない。


そして三日目の朝、ついに一人が死体となって発見された。


それからは悲劇の連続だった。


皆がお互いを信じられなくなり、ちょっとした揉め事から戦いになった。


ただの人間ならば、喧嘩で済んだだろうが、自分達の場合、常人を超える能力を有していた

ために単なる喧嘩がいとも簡単に殺し合いになった。


そうして、部屋は次第に死んだ者の骸で埋め尽くされていった。


自分は、死体が異臭を発するなか、ただ他の者の目に触れないように部屋の隅に隠れてい

た。


途中からは、死体のフリをするため全身に死体の血液を塗りつけて横たわった。


この作戦が功を奏し、自分は最後の最後まで生き残る事ができた。


戦いで満身創痍になった最後の「同類」が床に倒れるのを確認し、咄嗟に身を起こした。


そして傍に転がっていた死体が握っていたナイフを取り、一気に駆け寄って後ろから首を刺

した。


「同類」は断末魔の叫びを上げ、こちらを見た。


恨み、絶望、恐怖・・・・・


その瞳にはあらゆる負の感情が凝縮されていた。


今でもその映像を頭から消し去る事ができない。


そして全てが終わった後、解放された茜は責任者と連絡を取った。


施設の中で一度聞いた話。自分の親に関する話だった。


「会いたいんです」


電話で責任者に頼んだ。


「方法はなくはない。ただでというわけにはいかないが」


そして責任者はある命令を下した。


――街に存在するある能力者の能力を覚醒させろ。


名前は佐那山大介。身長175cm、体重推定67kg、17歳。


能力の因子を持った状態で、無管理のまま泳がせたらどうなるのか?という理由で様子を見

られていた者らしい。


しかし、あくまで諸々のデータからなされた推測でしかないが、能力が覚醒した場合は史上

最強レベルの戦闘モンスターと化す可能性を秘めた逸材なのだと聞いた。


彼を知るわずかな者の間では、彼は「デビルハンド」というコードネームで呼ばれていたと

いう事も知った。


早速動く事にした。


どうしても、親に会いたかったからだ。


施設にいる前の記憶を失った自分が、いったいどのようにして、何のために生まれてきたの

か知りたかった。


そして茜はいま、ターゲット・佐那山大介=デビルハンドの夢を覗いている。


彼の記憶を映した夢は、そろそろ佳境に入っていくようだ。






僕は、それからしばらく楽しい日々を過ごした。


急激な成長の時期は終わったと考えた両親は、僕が稽古の時間を減らしても、あまりうるさ

く言わなかった。


学校が終わると、勇介と一緒に遊んだ。


僕は勇介の事をいろいろ知った。


家が貧乏な事。


顔の傷は、酔っぱらった父親に付けられたものである事。


また勇介は、虫取りが上手いわけでもなければ、運動神経も良くなかった。


それでも一緒に行動し、一緒に笑い合うだけで、本当に幸せだった。


それでも幸せだった反面、僕は新たな不安に駆られていた。


もし、ある日勇介との仲が引き裂かれてしまったら?


勇介が突然いなくなってしまったら?


意味もなくそんな事を考えて、一人勝手に恐怖している自分がいた。


生涯一人のままより、一度手に入れた友を失う方が辛いのではないか?


僕は、友と笑う顔の裏で、願った。




神様。僕から友達を奪わないでください・・・・・。






深夜の都会。


秋の長い夜は、ビジネスタウンから昼間の熱気を奪い去っていた。


歩道のベンチに腰掛け、考え事をする男一人。


「悪魔・・・か」


男はその名前を呼ぶ時、いつも恐怖する。


名前の裏側に圧倒的な力を感じ、自分の無力さを思い知らされるのだ。


「悪魔・・・悪魔・・・」


男は血走った目で名前を連呼する。


次第に肩が震えだした。


冷酷な瞳、グロテスクなシルエット。


おぞましい記憶が男の脳裏に蘇る。


そして脳内に響く


『助けてっ・・・・・!』


助けを求める声。


最愛の人の、殆ど声にならなかった悲鳴。


男はガバッと、手で胸元を抑えた。


懐の拳銃・・・その金属質で硬い感触を確かめる。


そうする事で、男は自分に、今は無力などではないと言い聞かせる。


次第に震えが収まってくる。


「・・・そうだ、俺には・・・・・」


俺には、力がある。


銃があり、仲間がいて、何より覚悟がある。


男は上着のポケットから、鈍い光沢を放つ銀製のアクセサリーを出した。


「・・・・・・・」


それは、男が後生大事にしてきたロケットだった。


今どきロケットかとLoidの仲間に冷やかされたが、手放す事などできない。


男はロケットを開こうとした。


しかし、途中で指が止まった。


「まだだ・・・・」


まだ、開けてはならない。


『助けてっ・・・・・!』


悲鳴が、映像がフラッシュバックする。


男の闘志に再び火をつけるにはそれで十分だった。


男はロケットをしまった。


必ず、悪魔を皆殺しにしてやる。


悪魔を作った人間もだ。


それが、何もしてやれなかった最愛の人に対して、唯一してやれる弔いなのだか

ら・・・・・。






僕と勇介は、あてもなく逃げ惑っていた。


事の起こりは、ついさきほどの事。


二人で遊んだ後の帰り道で、勇介が偶然出くわした中学生にぶつかってしまった。


それほど強くぶつかったようには見えなかったが、不意をつかれたらしく、ぶつかった中学

生は地面に尻もちをついた。


勇介はおろおろしながら小声で謝っていたのだが、次の瞬間沈黙した。


中学生の一団全員が、こちらを睨みつけてきたのだ。


そして尻もちをついた中学生が、言った。




いてえなあ・・・・。


お兄さん、ケガしちまったよ・・・・。


病院に行きたいんだけど、お兄さんお金ないんだよね・・・。




さすがに気付いた。


こいつら、カツアゲする気だ。


「逃げるぞ、勇介!」


叫んで、走った。


背後から、中学生達の怒声が聞こえる。


俺は振り返った。


「はぁっ・・・はぁっ・・・大介・・」


勇介は僕の後ろで走っていた。


そしてその後ろに、僕達を追って走ってきている中学生の一団が見えた。


僕は勇介が捕まっていない事に安堵し、奴らを撒く事に全力を尽くした。




しかし、やはり小学生と中学生の間では、足の速さに差があった。


どんなに路地を曲っても、彼らはしぶとく追いかけてくる。


なめてんじゃねえぞ、クソが・・・・


怒鳴り声が、細い道に木霊する。


しばらく闇雲に逃げていると、少し広まった空間に出た。


「あ・・・・」


終わりだ。


そこは周囲を家に囲まれた空き地で、完全に袋小路だった。


数秒もせぬうちに中学生達が追いついてくる。


散々走らせやがって・・・・。


中学生の一人が、明らかな怒気をはらんだ声で言った。


先ほど倒れた一人が、ずいと前に出て


「財布だせやああぁっ!!」


怒鳴った。


そして拳が猛スピードで僕の方に伸びる。


「・・・・・・」


僕は勇介の方を見た。


勇介はただ、恐怖におびえ、その場に崩れていた。


僕も怖かった。


でも次の瞬間、僕の身体は勝手に動いた。


「は・・・・・・?」


中学生はそれは驚いたろう。


拳を振った先の人間が、急にいなくなったのだから。


正確には、咄嗟に身を翻してかわしただけだが。


僕の頭の中で、猛烈な勢いでアルバムをめくったかの如く、今までの稽古の記憶が浮かび上

がって行った。


自分でも、自分の身体の動きが信じられなかった。


相手の攻撃を回避した上で、身を翻しての上段後ろ回し蹴り。


その大技を、初めて道場の外で決めた。


「げっ!」


体重の乗った蹴りを顎にもらった中学生は、うめき声とともに地面に突っ伏した。




僕は、自分のした事がよくわからずに、ただ戸惑っていた。


しかし、後ろに控えていた中学生の一団に動揺が広がっていった事はわかった。


目の前に倒れていた中学生がやっとといった様子で立ち上がり、後ろの集団に何かを叫ん

だ。


すると、彼らはもと来た道を戻っていき、空き地に静寂が訪れた。


「た、助かった・・・」


僕は勇介の方を見た。


勇介も安堵しているようだった。


僕はとりあえず助かったという気持ちを胸に、その日は家路につく事にしたのだった。






しかし、その日から数日経って僕を取り巻く環境は一変した。


あの空き地での出来事を誰かが見ていたのか。


もしくは、噂となって皆の間で伝わったのか。


僕は学校で、「不良中学生を撃退した男」として扱われるようになった。


いつの間にか、僕の周りには人が集まり始めていた。


僕は、この変化を喜んだ。


孤独だった僕の周りに、人が集まる。


あるいはこんな状況を僕は望んでいたのかも知れなかった。


そう・・・僕が望んだ状況は訪れた。


二つ、心に引っかかった懸念事項を除けば。


まず一つ、僕の周りに集まった人達とは確かに友達と言えなくもない関係だと思う。


でも、彼らからはどうも「ノリ」というか「流行」に左右されているだけというような印象

を受けてしまう。


一緒にいても、勇介と遊んでいるときのような暖かさを感じないのだ。


そしてもう一つ。


彼らは僕を仲間に入れたが、勇介も一緒に加えられたわけではなかった。


僕が皆と談笑している間、勇介は遠まきに苦笑を浮かべてその様子を眺めていた。


僕はその光景に少しばつの悪いものを覚えたが、皆の前で勇介に話しかける勇気はなかっ

た。






それでも、勇介との友人関係は持続した。


僕は学校ではクラスの皆と、放課後は勇介と過ごしていた。


当然、後ろめたいものはあった。


出会ったときは孤独だった二人。


なのに僕だけ一人で孤独から抜けだしていいものだろうか。


何度もそう考えた。


けど結局、それはしかたのない事だという結論に至ったし、何より僕はせっかく手にした立

場を失いたくなかった。


今は、上手い具合にバランスが取れている。


このまま、この状況が続いてくれればいいと思った。


そう思ってから、気付いた。


自分が、少し前までは知りもしなかったような狡猾な立ち回りをしている事に。


そして迫りくる破滅の恐怖に震えた。


もし、いじめを受けている勇介と仲良くしている事がばれたら・・・・?


間違いない。


僕はまた、孤独な格闘少年に逆戻りだ。


かといって、勇介と縁を切る事なんてできるわけがない。


僕は、今でこそ友達も増えたが、それでも一番親しいと思える友達は勇介だと断言できる。


勇介がいなければ、人に囲まれていながら、漠然とした寂しさを感じるような生活になるだ

ろう。


どちらも、耐えられない。


一度、人の温もりを知ってしまったら、もう冷たい孤独の地へは戻れない。


僕は、どちらも捨てられない。捨てたくない。




そして、僕はいつまでも中途半端な状態で居続けた。






破滅の時は、何の前触れもなく訪れた。


勇介は、ついに教室内で大っぴらにいじめられるようになっていた。


僕は勇介が大勢のクラスメイトに暴力を振るわれている事を知っていて、見て見ぬふりをし

た。


良心が僕に、飛び出していって勇介を助けるべきだと訴えるが、無視する。


直接いじめに参加していないという事で、かろうじて自分を正当化した。




頭では気付いていた。


もうそろそろ、バランスなど取っていられなくなると。


気付いていたはずなのに・・・。




ある日の午後、勇介は傷だらけだった。


僕は何だか情けなくなり、そんな勇介を直視できなかった。


その時、勇介が口を開いた。


「どうして・・・僕がこんな目に合うのかな・・・」


「・・・・・」


初めてだった。


勇介が僕の前で、いじめの事に触れるのは。


「僕、家でもお父さんに殴られて・・・学校でも殴られて・・・・」


ぽつぽつと、今まで溜めていたものが溢れだすように、勇介は言葉を連ねた。


「なんで・・なんだろう・・・貧乏だからかな・・・・服が皺だからかな・・・・」


内に秘めていた不満は遂に堤防を決壊させ、勇介の口を衝いて溢れ続けた。


もう、限界だった。


「勇介」


僕は勇介の名を呼んだ。


そして、しっかりと目を見て言った。


「僕が、君を守るよ。本屋の時は君が僕を助けてくれた。・・・今度は僕の番だ」




遂に言った。


言ってしまった。


もう僕は腹を決めることにした。


勇介へのいじめを止めるんだ。


そう。彼こそ、僕の一番大切な友人なのだから・・・。






それでも、人は弱い。


いや、人のせいにする事じゃない。


僕が弱いんだ。





翌日の体育の時間。


再び、彼へのいじめは起きた。


授業が終わり、先生が体育館を去った時、クラスメイトが皆勇介にボールを投げつけ始め

た。


四方八方からボールをぶつけられ、勇介はその場に倒れた。


それでも皆攻撃をやめない。


笑いながら、芋虫のように身体を丸めた勇介に向ってボールを投げ続ける。


「・・・・・・・・」


止めなければ。


「・・・・・・・・」


止めなければならない。


「・・・・・・・・」


逃げてはならない。


逃げてはならないのに・・・・。


「どうして・・・」


どうして、身体が動かないんだろう。


約束したじゃないか。


勇介は僕を救ってくれたのに、何故僕は勇介を救ってやれない?


本当の友情でもないノリの友達なんかに、何をこだわっている?


ほら、行けよ。


得意の回し蹴りで、あいつら全員蹴散らしてやればいいんだ。


・・・・・・・


僕は必死に命令し続けた。


まるで動こうとしない身体に向かって。


僕は馬鹿みたいに突っ立ったまま、ただこの授業後の余興を眺めているだけのように見え

た。


時折、勇介と目が合ったような気がしたが、僕は目をそらした。


どうすればいい?


このまままた、見て見ぬふりをするのか?


それでいいのか?




僕の葛藤を見透かしたかのように、悪魔が僕に死刑宣告をした。


僕の足元に転がってきたボール。


その瞬間、体育館内の全てが沈黙した。


「・・・・・・・・・・・」


皆が、僕の行動を見ている。


ボールを前にして僕がどうするのかを・・・。




そういう事か。


僕は気付いた。


皆、僕と勇介の事などとうに知っていたのだろう。


彼らは、試している。


僕が勇介とこのクラス、どちらを取るのか。


たった一人の親友と、圧倒的多数のクラスメイト。


どちらに味方するのか、試しているのだ・・・・。




僕は、皆の視線を前に戦慄した。


沢山の目が俺をとらえる。


残忍な眼つき。


とても人間のものとは思えなかった。




一方勇介も僕を見ていた。


勇介の瞳には、明らかに希望の光があった。


そう。勇介は信じている。


僕が自分にボールを投げる事は無いと・・・・。




どうすればいい。


どうすればいい。


どうすればいい。





僕はボールを拾い上げた。


幾重もの視線が、僕とボールに突き刺さった。


僕は彼らの強い視線におびえる一方、勇介の弱くもまっすぐな視線を無視する事もできな


い。


双方向に押され続け、僕の精神状態は不安定を極めた。


そして、そんな不安定な精神は、・・・悪魔のささやきだろうか・・・ちょっとした風程度

でいとも簡単に背徳の方向へ倒れてしまったようだ。


「・・・・・・・」


心を漆黒の闇が支配する。


一度どちらかになびいてしまえば、もう戻る事はできない。


僕は勇介を見つめ、静かに言い放った。




「・・・・・・甘えるな」





そうだ。甘えるな。


お前の親は、自分の身は自分で守れと教えなかったのか。


何故、つい最近まで孤独だった俺が、せっかく手に入れたこの状況を捨ててまで、他人を

救ってやらねばならんのか。


心が、どす黒い醜い思いで満たされていく。




後はもう、よくわからない。


ボールが、手を離れた。


それはかなりのスピードを持ち、勇介の身体へ迫っていく。





僕はただ酷薄に、勇介の表情が絶望に塗り替えられていく様を眺めていた。






その後、僕と勇介は一度も口を利かず、僕は一人で家に帰った。


僕は後悔していた。


なぜ、守ってやれなかったんだろう。


僕は、クラスメイトの目におびえて、親友を裏切った。




僕は、孤独になりたくなかったんだ。


心が、言いわけを始める。


勇介とも、クラスの皆とも、別れたくなかったんだ。




・・・・なら、どうして勇介にボールを投げた?


わからない。


・・・・どちらとも別れたくなかったのに、なぜ勇介の事は裏切った?


わからない・・・・。






その日の夜、僕は電話機の前で逡巡していた。


手には、クラスの緊急連絡網が記されたプリント。


・・・勇介に、電話がしたかった。


許してくれないかもしれない。


それでも、一度謝りたかった。


「・・・・・・・」


僕は腹に力を込めて、勇介の家の電話番号をプッシュした。


1・・・2・・・3・・・


コール音が続く。


7・・・8・・・9・・・


もう出ないかと思ったその瞬間、受話器を取るガチャという音が聞こえてきた。


しかし、応答の声は、勇介の弱々しいそれではなかった。


「あんだぁ?てめぇは・・・んな時間によー」


乱暴な声に少し呂律の回っていない話し方。


僕は、電話に出た人物が、話に聞いた勇介の父親だと気付いた。


僕は夜分に電話した非礼を詫び、おそるおそる勇介への取次ぎを願い出た。


次の瞬間返って来た答えに僕は心臓が凍るような思いだった。




「は?・・・勇介?そういやぁあのガキ・・・・こんな時間にまだ帰ってこねえ・・・・」





僕は壁にかかった時計を仰ぎ見た。


・・・午後11時半・・・


こんな時間まで小学生が家に帰らないのは、明らかに異常だった。


僕は電話を切り、あわてて家を飛び出した。






「勇介! 勇介!」


僕は叫んだ。


そして走り続けた。


彼と遊んだ公園、通った駄菓子屋、歩いた緑道・・・・・。


どこを探しても、彼の姿はなかった。


僕は泣きそうだった。でも必死に耐えた。


僕が泣いてどうする。


全部僕が悪いのに・・・・。


涙をこぼさないように、全力で叫び続けた。



夜中に叫んで回る迷惑な子供を、近くの住民が窓から見ていたが、気にならなかった。


勇介・・・帰ってきてくれ・・・・!


僕が悪かった。


君は親友だった。


一番大切な友達だったのに・・・。


僕が間違っていたんだ・・・・。


孤独になりたくないのなら・・・。


友達が欲しかったのなら・・。


一番大切な・・・たった一人の親友くらい・・・守れなくてどうするんだ!!




後悔が僕を走らせた。


申し訳なさが僕に叫ばせた。


勇介・・・許してくれ・・・戻ってくれ・・・・。


でも、勇介は見つからない。


僕は立ち止った。


そして考える。


振り返る。


たどっていく。


勇介と過ごした、全ての思い出を・・・・。




あった。


まだ探していない場所が。


僕は走る。走る。走る。


路地という路地を曲りまくる。


今なら、不良に追いかけられた時よりも速く走れそうだった。


そしてたどり着いた。


住宅に囲まれ、一区画だけ空いた袋小路の空き地。


僕が初めて、一般人を蹴り倒したこの場所。


そこには、見覚えのある物が落ちていた。




そう、その場所で。


僕の運命を変えた、その場所でだった。


僕は悟った。


もう勇介が帰ってくる事は無いと。


そこには小さな布製の袋のようなものが落ちていた。


縫い後だらけでボロボロの、それ。


カビと手あかで黒ずんだ、それ。


「勇介・・・・・」


僕は膝をついた。


地面に蹲って、叫んだ。


悔恨、悲嘆、孤独、自責・・・・・・


想いを全て、声に乗せて吐きだし続けた。


空き地に捨てられたそれは、勇介のリュックサックだった。


僕は恥じた。弱すぎた自分を。


僕は恨んだ。残酷なクラスメイトを。


叫んで、呻いて、全てのエネルギーを使い果たしてしまった頃、ようやく気持ちが落ち着い

てきた。


僕は、罪の意識に重く感じる身体を引きずり、一人でその場を歩き去った。


まるで心臓に氷でも埋め込まれたかと思うほど、胸の中が冷たかった。




僕は再び孤独になった。


後から考えれば当たり前だったが、みっともなく親友を見捨てた僕に、クラスでの居場所な

んてなかった。


やはり一度手にした友を失うより、最初から孤独でいた方が楽だと気付いた。


孤独でいいのだと思った。


自分の事だけ考え、自分のために生きる。


それでいいのだと。


結局、小学校を卒業するまで、勇介は姿を現さなかった。


僕は空席になった勇介の席を見つめ、何度でも心に氷の杭を打った。


そうする事で、孤独への抵抗がどんどん薄れていくのだ。


それからの僕は、時間さえあれば格闘技に打ち込むようになった。


毎日毎日、夜の遅くまで。


それこそ、親が引くほど稽古に励んだ。



ずっと一人で技を磨き続けた成果か、中学生の時僕はある全国規模で行われるボクシングの

大会へ出場する事が出来た。


僕の相手は、それこそ眩しいスポーツマンばかりだった。


皆親のため、地元のため、恋人のため、そしてファンのため・・・・


何かのために全力で戦うと、白い歯を輝かせて言った。


僕には、勝利を贈りたい相手などいなかった。


ただ、自分のためだけに、目の前の相手を殴り続けた。


どうも、この試合の時の僕には、殺意を感じさせるようなすさまじいものがあったらしい。


決勝戦の相手は、最終ラウンドで殆どつぶれた血まみれの顔を歪めながら命乞いをしてき

た。


そして、僕は優勝した。


感動などしなかった。


親兄弟やセコンドと抱き合うでもなく、ただ卑しい笑みで自らの勝利に酔っただけだった。


大会終了後、両親が死亡した事を聞かされた。


息子の様子を見に行こうと車で会場に向かっていた途中、センターからはみ出した大型ダン

プと正面衝突したらしい。


病院に運ばれた頃には、二人とも息を引き取っていたそうだ。


それを聞いた瞬間から、僕の記憶は途切れている。


一体何があったのか、突然の訃報に何を思ったのか。


何一つ思い出す事ができない。


気がついたら、僕はいつも暮らしていた一軒家で、一人で生活していた。


高校生になっていた。


それを転機に俺と名乗るようになっていた僕はただただ孤独に、怠惰に生き続けた。




あの茜という少女が、俺の人生に厄介事を引っ張り込んでくるまでは・・・・。

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