第二話「白煙」
それにしても、面倒くさい事になった。
『適当に付き合ってやるのもいいだろう』とか言いやがった馬鹿はどこだ。畜生。
あの時から、こうなる事はわかっていた。
わかってはいたのだが・・・・・・・・・。
「・・・・はあ」
学校が終わった後に用事が入るという状況が
友達もおらず、部活もやらない俺には軽くカルチャーショックなのだ。
「・・・・ふう」
溜息が止まらない。
「大介、さっきからため息つきすぎじゃない?」
向かいに座る、ある種全ての原因とも言える少女・・・茜が、俺の溜息をたしなめてきた。
「しょうがねえだろ。ついこの前まで、俺はこの時間家でゴロ寝してたんだから」
「愚痴言わないの。オトコでしょ?」
何だか、自分を半ば強引に面倒事へと引きずり込んだこの少女を責めてやりたいような気が
したが、
結局思いとどまった。
数日前・・・初めて出会った日の彼女の表情を思い出してしまったからだ。
「私は、悪魔に負けない。もう一度、あの子に会いたいから」
能天気で、へらへらとしている印象の茜が、一瞬みせた真剣な目。
その瞳は、今まで俺が見てきたどんな人間の瞳より、まっすぐな光を持っていた。
その目を思い出すと、喉まで出かかった文句の言葉を、俺はまた腹の底へ飲み下してしま
う。
目的のために毎日を生きてきた茜と、何も考えずだらだらと生きてきた俺。
俺はどこかで劣等感を感じていて、茜に付き合う事でそれをごまかそうとしているのかも知
れなかった。
「・・・・・・・・」
茜は、また黙って自らの作業に没頭している。
最近の俺達は学校が終わってから、ずっと街の図書館で過去の新聞記事を調べていた。
「・・・・・・・・」
俺も、さっきまで広げていたローカル紙の社会面に目を戻す。
ローカル紙だけあって地域性あふれる素晴らしくくだらないニュースは豊富に提供してくれ
るのだが、
もろにローカルネタなはずの悪魔に迫れるような情報は、いっこうに見つからなかった。
俺は、『奉納祭りで酔って暴れた男性会社員逮捕!』という記事を
ご立派な見出しまで付けてでかでかと報道しているページを閉じ、
「そろそろ今日は終わりにしないか?」と聞こうとした。
その時、
「あっこれ!これ悪魔じゃない?」
茜の歓声が、静かな図書館に反響した。
「ばっ・・・・ばかやろー・・・」
茜もすぐ、自分の犯した失態に気付き、
「す、すいませんすいません」
迷惑そうな目を向けてくる利用者達に二人で頭を下げた。
「・・・で?何が『あっこれ!これ悪魔じゃない?』だったんだ?」
「だから謝ってるじゃない。もー」
結局あれから居心地が悪くて速攻で出てきてしまった。
「ケツの穴の小さいオトコはモテないよ?」
「若いオンナがケツの穴とか言うな」
「うわ!男女差別だ~。さいてー」
「先に男女論を振りかざしてきたのはどっちだよ・・・」
こいつと話すと、話がどんどん本題からそれていく気がするな。
「それで、結局何か見つけたのか?」
「うん。三か月くらい前の不明事件の記事なんだけど、現場近くの監視カメラの映像に、一
台の車が写ってたの」
「それだけか」
「それだけじゃないよ。不明者が消息を絶ったって言われてる時間の後の映像だと、その車
はなくなってるんだよ。
これは絶対何かあるね~」
うんうんと、一人で勝手に納得したようにうなずいている。
「そんなあいまいな映像をあえて載せてるくらいなんだから、その記事を書いた所も既にそ
の車については調べ済みなんじゃないか?」
「離れてるから見落としたと思うよ。記者の人は同じ映像に写ってた不明者の靴に注目して
たみたいだし」
「じゃあ俺たちもその靴に注目しようぜ」
すると、茜はチッチッチッ・・・と指を振り生意気なポーズをとって言った。
「三か月前だよ?遺留品の靴から何か情報が得られるなら、とっくにそれが報道されてるっ
て。
だから私たちはあえて車から入ろうって事なの」
「・・・・・なるほど」
少し、茜を見くびっていたかもしれない。
「お前、思ったより頭良いんだな」
ほめてみると、
「えへへ~。もっと私を褒めなさ~い♪」
案の定調子に乗り出した。
「・・・で、車を探すんだな?」
話を本筋に戻す。
「ナンバーもちゃんと覚えてるよ」
「もしかして・・・893か?」
「・・・・調べてるのはやくざじゃなくて悪魔なんだけど」
「・・・冗談に決まってるだろ」
「まあいいけど。ナンバーは・・・」
茜は、大介と共に車のナンバープレートを覗き込みながら街を回っていた。
これから、任務を依頼した例の奴らが用意したという、最初の催しものが始まる。
茜には、いちいちナンバープレートを見て回るよりも、効率的な探し方があった。
「大介、あっちの方調べてくれない?」
「ん?・・ああ、わかった」
・・・大介は去って行った。
彼が十分離れたのを確認して、茜は精神を統一した。
瞼を閉じて、全ての感覚を瞳に集中させるようイメージする。
やがて、身体から徐々に感覚が失われていった。
風の冷たさに鳥肌を立てていた肌は、寒さを感じなくなった。
付近の家から漂う夕飯の匂いを感じていた鼻も、動揺に嗅覚を失った。
そうして感覚が極端に鈍くなった独特の感触を確認した茜は、瞼を開けた。
見える。
見える。
何もかもが。
先ほど嗅いだ夕飯の匂いは、肉じゃがの物だという事がわかった。
付近に停車している車も、こちらとは反対側に付けられたナンバープレートはおろか、閉じ
られたエンジンルームの中身までもが、透けて見えている。
「・・・・・・」
・・・これが、私の能力。
全てを失った少女が唯一支えにしている能力。
茜は周囲を見渡した。
・・・今の私には、全てが見えている。
様々な感覚を非常に高度なレベルまで引き上げる事ができるこの能力から、逃れられはしな
い。
私は、アフリカの狩猟民族よりもさらに遠くを見通す事ができる。
ある程度の厚さまでなら、障害物の先にあるものを透視できる。
感覚を耳に集中させれば、直接的な聴力はもちろん、超音波や低周波なども聞き分ける事が
できるし、
すこし頑張れば、他人の思考や記憶を読む事すら可能だ。
「・・・・・・・・・」
さあ、イベント会場はどこだろう。
茜は、鼻に意識を集中させた。
段々と、視界が白黒に色あせていく。
そして茜は目的の匂いを発見した。
そしてまた感覚を目に移行。
さきほどの匂いの方向に、目を凝らした。
「・・・・・・あった」
目的の物を見つけた少女は、大介の所へ小走りで向かった。
しかし、今さら気付くというのも何だが、
「こりゃ見つかんねえよ」
いくらここが小さな街だといっても、たった一台の車を探して駆けずり回るには大きすぎ
た。
「・・・確かに、ちょっとキツいかもね」
そんな事を言いながら、だらだらと車のナンバーを確認して回っていた。
大体このあたりは調べつくしたかな、と思った頃に
そばの横道の伸びた先にある小さな広場に停車している車を発見した。
「あ、あそこにも車が」
「何であんなとこに車が停められてるんだ・・」
「あまり問題はないと思うよ。あの辺殆ど人来ないし」
そうなんだ。
何年も住んでいるのに、俺はこの街について何も知らない。
何だか虚しい気分になりながら、俺は車を調べに近づいていく茜の後を追った。
「うーん。ナンバーは違うみたいだな」
俺がそんな事を言いながら車の周囲を見たり、ちょっと中を覗いたりしている時だった。
「・・・・っ」
背後で茜が息を飲む音が聞こえた気がした。
その直後、
「離れてっ!!」
茜の怒鳴り声がして、俺の体は不意打ちで横方向へ突き飛ばされた。
「!・・・った」
何すんだ。と俺が茜を詰問しようとした瞬間、
プシューーーーーッ!
突然車の周囲が、白いモヤに包まれた。
そしてモヤの中から、ドサッという 人が倒れるような不吉な音が響く。
「こ・・・これは・・・!」
何が起きてるのか正確には把握しきれない。
ただ、はっきりしているのは車から何らかのガスが噴出している事。
そして・・・
「茜っ!!」
茜が危険な状態にあるという事だった。
茜のおかげで、俺はガスの魔の手からひとまずは逃れられている。
俺はその場で吸えるだけの空気を肺に溜めこむと、
車と茜を覆う白煙の中に飛び込んだ。
視界を遮るガスの中で、必死に手探りで茜を探す。
運よく、伸ばした右手が茜の細い腕を掴む。
そして俺は茜を背負い、吹きあげる白いガスから脱出した。
茜の身体は、思っていたよりも軽かった。
「・・・ったく」
俺は今、腹立たしくてたまらない。
「税金何に使ってるんだよクソ警察が・・・」
その後、俺は茜を自宅で寝かせた後で、
警察に電話をかけ事の顛末を説明した。
そして現場にやってきたのは、見るからに眠そうな警官一人で、
いつの間にか問題の車も事件の痕跡も消えているのを見るやいなや、
「何か解決につながる情報が見つかり次第連絡しますんで」などと言い
早々に帰ってしまった。
で、今俺はガスに倒れた茜を自宅で看病している所である。
どうやらあのガスは、ただの催眠ガスの一種だったようで、
茜はもうとっくに意識を取り戻していたが、「頭が痛い」「吐き気がする」などといろいろ
な事を言って、俺の家から帰ろうとしない。
きっと、怖いのだろう。
放課後から夜までの調査を続けている事などから大体察しはついていたが、こいつは多分、
ひとり暮らしだ。
今までも、組織から追われたり、いろいろな目に遭っていたと聞いたが、きっとその度に、
恐怖のあまり夜も眠れなかったのではないか?
そう思うと、目の前で寝ている茜が、いつも行動的で明るい少女が、なんだかもろくかよわ
い存在に思えた。
・・・しょうがない、今夜は泊めてやるとするか。
なにより、俺はあの時茜に助けられたのだ。それくらいして当然だな。
もう、夜も遅い。もう少しで日付が変わってしまいそうだ。
「おやすみ・・・」
何年ぶりかの挨拶。
俺はその言葉を呟くと、茜が寝ている普段愛用の布団の代わりに押入れから予備の毛布を
引っ張り出し、
居間で寝るべく部屋を出ようとした。
「だいすけ・・・・」
背を向けた時、背後から茜の声がした。
「すまん。起こしちまったな」
「大介・・・・ごめんね・・・」
「・・・・・」
俺は驚きを禁じ得なかった。
あの少し自分勝手で強引な茜が、俺に対して謝罪の言葉を述べているのだ。
「ごめんね、大介・・・」
「なんで・・・謝るんだ・・・?」
「だって・・・私、大介を無理やり付き合わせちゃって・・・それで・・こんな危ない目に
遭わせちゃって・・・」
「危ない目に遭ったのはお前だよ。俺じゃない」
お前が庇ってくれたからな。
「ん・・・・・?」
そこで、あることに気がついた。
・・・しかし、今はそれを糺すにはタイミングが悪すぎるな。
「茜・・・」
俺は、自分から茜に話しかける。
「俺は、お前の事、悪く思ってなんて無いから」
「ずっとやる事なくて退屈な毎日だったから、なんだかんだで最近は楽しかったし」
「もしお前にやる気があったら・・・またやろうぜ。悪魔探し」
・・・・・・・
俺はとにかく、茜に落ちついてほしかったのだ。
なのに、それらのセリフを言った直後、俺は自らの心に湧き起こる不思議な感情に気付いて
しまった。
おそらく、茜がガスにやられた時からだろう。俺の心には、何か新しい・・・新しい感情が
おこっているような気がする。
・・・・どういう事なのか自分でもよくわからない・・わからないが、
自分の中の何かが、茜を傷つけた組織に・・・憤っている。
奴らを見つけ出して、潰してやりたいと考える俺がいる。
そして、茜の弱った寝顔に目が行く度に、その俺が、声高に叫んでいる気がしてならないの
だ。
悪魔を探せ、悪魔を滅ぼせと。
なぜ? 俺はただ茜を手伝っているだけ。 悪魔に対しそこまで激しい感情を抱く理由なん
て・・・。
・・・・・寝よう。
「おやすみ」
俺は本日二回目のおやすみを言って、部屋を後にした。
そして先ほど気付いたある事について考え始めた。
「茜は・・・どうして車からガスが出るのを事前に察知できたんだろう・・・・・・」
家主の寝息が聞こえてくるのを確認し、茜は布団から身を起こした。
ガスの影響か、なんとなく気だるい。
さきほどのやり取りからして、今日の危険なショーイベントは効果ありだったようだ。
「ごめんねぇ・・・・、大介くん」
けれど、私はやらなくちゃいけないの。
どうしても、会いたい人がいるから・・・・。
「もう一度会いたい友のために・・」とかなんとか大介に言ったのは、あながち嘘ではな
い。
まあ、友達と言うのは少し違うのだが。
・・・
突如眩暈に襲われた。
久しぶりの能力使用は、思った以上に体力を奪っていたらしい。
茜は再び横たわり、深い眠りについた。
夜空には、汚れた世界を照らし出すかの如く、月が明るく輝いていた。