第一話「波紋」
お湯をかけたカップ麺がもくもくと湯気を立てる。
3分が過ぎるのを律義に待ちながら、俺はぼーっと家の壁を眺めていた。
今日もこれといって変わったことはなく、いつも通りの退屈な一日だった。
退屈を苦痛に感じないといえば嘘になる。でも人一倍退屈に対する耐性は持ってるつもり
だ。
じゃなきゃこんな日常にはとても耐えられまい。
・・・・静かだ。
耳を澄ませばカップ麺にお湯が浸透していく音が聞こえそうなくらい。
落ちついた雰囲気をもっと感じようと、俺は目を閉じた。が、
次の瞬間、静寂はいとも簡単に破られた。
ガチャッ!バタバタバタッ!ドンッ!
突然玄関の方から慌ただしい音が聞こえ、そして
「ふ~・・・たすかったぁ・・・・」
何やら人の声がしている。
何事か確かめるべく、俺は玄関へ急いだ。
「・・・・・は?」
何だ? こいつは。
今俺の目の前には女子高生・・・だか女子中学生だかよくわからん少女が一人。
濃い茶色の髪を、一つに結って垂らしている。
小柄な身体に、丸みのある顔立ちをしていた。
「・・・あ」
少女の方も俺の存在に気がついたようだ。
大きくくりっとした瞳をキョドキョドと落ちつきなく動かしている。
「誰だお前は!」
訳のわからない事態に動揺し、図らずも声を荒げてしまう俺。
「ああっ! ちょっ、ちょっと大きな声出さないでくださいよっ」
人差し指を口に持って行ってしー、しー、とかやっている少女。
「何だよ!どうしたってんだよ!」
「だ~か~ら~」
少女は困った表情をして俺を止めようとしている。
何故俺を黙らせようとするのか、その理由はすぐに判明した。
バーン!
すごい勢いで再びドアが開かれた。
反射的にそちらを見るとスーツ姿のゴツい男が肩をいからせて立っている。
男は少女の方を見ると、ガラガラした声で
「ここにいたのか・・・・さあ、来るんだ」
と言って、少女の方に手を伸ばした。
「い、いやっ!」
少女は家の奥へと後ずさる。すると男はイライラした様子で
「来いっつったら来ねえかクソガキ!」と
怒鳴りながら玄関を越えて上がり込んできた。
その時、俺の中で何かがブツッと切れた。
何だ?こいつらは。
人の家にいきなり侵入して来やがって。
おまけにこのおっさんは少女を捕まえるために俺の家の中で暴れる気だ。
「もう我慢の限界だ」
俺は言うと、後ろから男の肩を掴み、
「ん・・・・グアッ!」
振り返った男の顔面にフルスイングの拳を叩きこんだ。
不意を突かれた男は、俺のパンチをまともに食らい、よろよろと壁によりかかった。
そして
「殺されてえのか貴様あっ!」
怒鳴りながら襲いかかってきた。
しかし、このおっさんの本気モードは、迫力だけそれなりで、実力といえば俺に言わせれば
屁っぺ以下だった。
襟を掴んだ男の腕を脇に挟み、捻り上げながら足を思いっきり払う。
それだけでいとも簡単に尻もちをついた男の側頭部に、これもフルスイングの回し蹴りをくれてやった。
「ぶ・・・・・・・!」
男は何も言わずに床に大の字になった。気絶したようだ。
さて・・・あとはこのおっさんをゴミ捨て場にでも運んどいて・・・・・ん?
何か忘れているような気が・・・あ、あいつはどこにいった?
周囲を見渡すと・・・・いた。柱の陰からこちらの様子を覗いている。
「・・・す、すごい・・・・・・」
「お前もとっとと帰れ!ついでにこのおっさんも持って帰れ!」
「ちょっと待ってくださいって・・・あ!」
「何だよ」
「もしかして、同じクラスの・・・さどがしまクン?」
「俺はさどがしまじゃねえ!って・・あ」
よく見ると、少女は俺と同じ高校の制服を着ている。
同級生なのか?
「俺は佐那山だ。お前と同じクラスなのかは知らんが」
クラスのメンバーなんて、いちいち把握していない。
「いや、バリバリおんなじクラスだよ~。よろしくねっ」
「・・・・・・」
いやいやいやいや
今話すべきなのはこんな事じゃない。
「聞きたいんだけど、このおっさんは何?」
と言って俺が指差した先には・・・・誰もいない。
に、逃げられた!?
見ると、玄関のドアが半開きになっている。
「や、やられた・・・・」
先にあいつを締め上げて聞き出せばよかった・・・・。
何でこんな事になってるんだろう。
今俺は、先ほどの少女と二人で、鍋をつついている所である。
あの後部屋で話そうとして、ビロビロにのびたカップ麺を発見した少女は、
「お詫びに夕飯一緒に食べよう」とかなんとか言って家をいったん飛び出した後、
一通りの鍋セットを持って、再び乱入して来た。
そして今、こうして鍋を食ってるわけだが・・・
「おい」
「・・・ハフハフハフ」
「ちょっと」
「・・・モグモグモグ」
「食ってばっかいんじゃねーよ!」
「きゃっ!」
さっきからこいつは、食ってばかりいて俺の質問に答えない。
「あのおっさんは何なのか、お前は何者なのか、早く教えてくれよ」
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね~」
少女は能天気な口調で言うと、
「小南茜、17歳、趣味はパソコンかな」
ぱぱっと自己紹介を済ませると
「・・・ハフハフ」
また食い始めた。
「あのおっさんは何?何でお前は追われてたんだ?」
「ん~。ちょっとそれは、言いにくい事情・・ってやつかなあ・・モグモグ」
「今回の件に関しては俺が一番の被害者なんだから聞く権利があると思うんだけど」
と言うと、さすがに茜は箸を止め
「うーん、どうしようかな」
考え始めた。
考えること数秒間。
「あ、そうだ!」
何かをひらめいた表情。漫画なら頭上に電球のマークでも浮かびそうだ。
「佐那山くん、さっきあの人をやっつけてたよね。あれ何?空手?」
「え?ああ。小さい頃に、親が・・・ね」
俺は幼少時代、格闘家だった両親に訓練を受けていた。
俺に才能があったのか、両親の指導がよかったのか、俺はどんどん上達していき、
中学生のとき、全国のボクシング大会で上位入賞を果たした事がある。
どういうわけか、ちょうどその日に両親が事故で死んでしまい、
それ以来格闘技からは離れて生きてきていた。
「それがどうかしたのかよ」
すると、茜は急に真剣な表情になって、話し始めた。
「いい?佐那山くん、これから話す事はぜったいに秘密だからね」
「ん、まあいいけど・・・」
ばらす相手もいないしな。
「佐那山くん、“悪魔”の噂って、知ってる?」
は?
「なんだそれ」
「はあ・・・ニュース見ないの?最近この街で、謎の行方不明事件が頻発しててね、
その事件がみんな、悪魔っていう一つのグループの仕業だっていう噂が立ってるの。
なんでも、すこし前に起きた不明事件の現場近くにいた人が、自分たちの事を悪魔って
読んで連絡を取っている人達を見たんだって」
「ふーん」
「私も、数年前に大切な友達が行方不明になっちゃってね・・・
もう諦めかけてたんだけど、最近の噂を聞いて、
もしかしてあの子も悪魔に連れて行かれたのかも知れないって、そう思って
悪魔について調べてたんだ」
「そうなんだ・・・」
友達のために、か。
結構、いい奴なのかも知れないな。
「そしたらこの頃、いろんな人に追われるようになっちゃって。
今日みたいな事が何度もあったんだ。でもこれでわかったよ」
「何が」
「悪魔は実在するって事だよ。だから悪魔を調べれば、きっとこの行方不明事件も解決する
と思う」
「・・・・・・」
「私は、悪魔に負けない。もう一度、あの子に会いたいから」
何で警察に任せないんだ。そう言いかけてやめた。
この街は、今納税者の激減によって深刻な財政難に陥っている。
ここの警察に得体の知れない組織と戦う力など無い事は、さすがに俺でも知っていた。
「・・・そういうこと、ね」
俺が納得して言うと、茜の表情にさきほどまでの快活さが戻った。
「はいっ!佐那山くん聞いちゃったね~」
「はあ?」
「言っとくけど、話聞いておいて断るなんてなしだからねっ」
「何を?」
「明日から、佐那山くんには、私のボディーガードっていうか、仲間になってもらいます!
あ、『さなやまくん』っていうのも面倒くさいから、大介って呼ぶね」
「おいこらちょっと待て」
「それじゃあ。よろしくね、大介」
茜は一方的に言いたい事を言い終えると、俺に反論の隙を与えず、さっと家から出て行っ
た。
「・・・・ったく」
面倒くさい事になりやがった。
「まあ・・いいか、暇だし」
適当に付き合ってやるのもいいだろう。
そう思ってからふと気がついた。
「俺、人とこんなに普通に話せたっけ・・・・」
俺はいつからかもう忘れたが、人との関わりを避け、いや半ば拒絶して生きてきた。
なのに茜とは普通に話し、途中からは人と飯を食う事に懐かしさすら覚えていた。
「たまにはこんなのもいいか、うん」
強引に自分を納得させ、俺は居間に戻った。
そして
「これをどう処理しろと・・・?」
大量の具材が突っ込まれた状態で残された鍋を見て
俺は胸やけを起こしそうになるのだった。
「・・・・」
やった。
茜は大介の家から出た通りを歩きながら、ようやく安堵のため息をついた。
・・・私は一見不利な状況をチャンスにしてターゲットとの接触に成功したのだ。
これで、長年願って来た目標に一歩近づいた事になる。
「・・・・」
しかしその反面、多少後ろめたいものを覚えないでもなかった。
茜は自分の目的のため、無関係・・・ではないかもしれないが、
何をしたわけでもない、本来ならこのままただの人間でいられる人を巻き込もうとしてい
る。
「それでも、私は・・・」
一瞬、世界が揺らいだ。
茜は、自分の目尻にあらぬ物が溜まっている事を自覚した。
「・・・っ!」
茜は走りだした。全てを振り切るように。
もうこの世界に自分の居場所なんてない。
自分自身の目的に支配されて生きていくほかないのだと
・・・そう、改めて心に刻んだ。