第57話 豪雪の龍
──空から、止む気配のない雪が降り続けていた。
ノースウィン領の広場に立つリーネの髪が、風に揺れる。白い息を吐きながら、彼女はゆっくりと手を掲げた。
その姿は、まるで吹雪の中に立つ黒き女神のようだった。
「妾の力など、久方ぶりじゃが……まぁ、少しは見せてやろう」
そう呟いた次の瞬間、空気が変わった。肌を刺すような寒さが、一気に引いていく。足元にあった雪がふわりと浮き上がり、次々と木々が乱立していく。それが雪を防いでいく。
眩い緑の光が地面に走る。凍りついていた大地が砕け、そこからさらに木々が出現し、枝には果実が実り始めた。まるで大地そのものが、リーネに応えるように呼吸を始めたかのようだった。
「……す、すごい……私と同じ、それ以上の感覚があります」
シエラが思わず息を呑む。俺もただ唖然と立ち尽くしていた。彼女の力は、まさに自然をねじ伏せる暴威そのものだった。
数秒後には、広場のあちこちで緑が芽吹き、氷の下から土が顔を出していた。ずっと豪雪が降り続いていた場所とは思えないほどだ。
……それでも、空からは、なおも雪が舞い降りていた。
緑が芽吹いたとしても、白は止まらない。春と冬がせめぎ合う、奇妙な光景だった。
「わぁぁ! お姉ちゃんたち、すごい!」
「雪から植物が生えてきた!」
領民たちが歓声を上げ、リーネの足元に駆け寄った。特に子供達が彼女の元に行っている、手を引かれ、服を引っ張られ、まるで英雄扱いだ。
「おねえちゃん、魔法使いなの?!」
「どうやったの!? もう一回やって!」
「……う、うむ……別に大したことではない。妾はただ、手を振っただけじゃ……全然嬉しくないがの」
リーネはそう言いながらも、口元がわずかに緩んでいる。にやけそうになるのを我慢しているのが、横からでもわかった。シエラが笑いながら俺の袖を引いた。
「リーネさん、ほんとは嬉しいんですね」
「だな。あんな顔、初めて見た気がする。シエラが喜んでる時に似てるな」
黒髪青目を忌み嫌われた二人にとって、こんな風に褒められるのは、きっと生まれて初めてのことなのだろう。
リーネはそんな視線に気づくと、ぷいと顔を背けた。
「……勘違いするでないぞ。妾はただ、体が鈍るのが嫌だっただけじゃ」
「そういうことにしとくよ」
俺が笑うと、リーネは少し頬を膨らませた。あ、シエラに似て可愛い。
──その姿に、領民たちはますます笑顔になった。
そして、そんな様子を見ていた領主ヴァルドが、感極まったように両手を広げる。
「おおおおお……! なんという奇跡だ! 大地が甦り、果実が実るなど……! レオナート王子殿下の御心が、この地に降臨されたのだぁぁ!!」
また王子の手紙を取り出してキスした。
「殿下ぁ……! この瞬間をヴァルド、生涯忘れませぬぞぉぉ!」
「……濃いのぉ……」
「うむ。相変わらずブレないな、この人面白い」
「妾、こういうタイプちと苦手じゃ」
「俺は好きだけどな。なんか見てて楽しい」
俺が笑うと、ヴァルドは涙目のまま俺の肩を掴んだ。
「ミクス殿……! この功績、必ず王都に伝えますぞ! しかし……やはり奇妙ですな」
「降り続ける雪ですか」
ヴァルドは空を見上げる。果樹の葉に雪が降り積もり、木々がそれを受け止めながらも、なお白く覆われていく。
「えぇ……雪は、止まらぬ。まるで、天が我らを試しておられるように……この空の雪をどうにかしない限り、折角の奇跡も長くは持ちますまい」
彼の言葉に、俺は頷いた。
「そうですね。根本の原因をどうにかしないと」
「殿下も仰っておられた、偏見を払拭するには功績が必要と。ここまででも十分に偉業、素晴らしい!!!! しかし、まだまだ殿下の期待に応えなくては!!!!!――まさに今こそ、その時!」
また手紙にキスした。
「……いや、そこまで毎回しなくていいと思いますけど」
「気持ちはわかる気もします……私ももっとミクスさんに尽くしたいです」
「いや、シエラは十分だぞ」
俺は思わず笑ってしまった。けれど、その笑いの裏で――空から降る雪は、なおも止むことなく、静かにノースウィン領を覆い続けていた。
◾️
その夜。ノースウィン領の広場では、ヴァルド主催の宴が開かれた。領民たちは焚き火を囲み、焼いた獣肉と温かいスープを振る舞ってくれた。
リーネが生み出した木々が雪を防ぎ、わずかな春の気配を宿していた。
「いやぁ、まさか本当に果樹まで実るとは……王子様も見る目があるわい!」
「おぬしら、まるで神様だ!」
「豊穣の女神じゃ!」
「お二人は……豊穣の双女神だぁ!」
やはり、シエラとリーネは似ている。領民もそう思ったのだろう。双子だとか、双神とか言う者もいる。
そのタイミングで、ヴァルドはワインを掲げ、感極まって叫んだ。
「レオナート殿下に、栄光あれぇぇぇ!!!」
「……ミクスさん、この人……お酒飲むともっと濃くなりますね。私も負けていられません。ミクスさんに栄光あれ!!」
「いや、大丈夫だぞ、シエラ……」
一方でリーネは、少し照れながらも、椀の中のスープを大事そうに口に運んでいた。
「……悪くない味じゃな」
「気に入ったか?」
「うむ。味が濃すぎぬのが良い……昔も宴を開いてもらったことがあったの。魔王を倒した後じゃったな」
その昔という言葉に、少しだけ寂しげな響きが混じっていた。けれど、それを追及するような野暮はしない。
今は、笑顔の宴の中だ。やがて、ヴァルドが真剣な顔で俺の隣に腰を下ろした。
「……ミクス殿。いかがですか。この空は」
「人為的ではあるとは思います」
「ええ。私も人為的ではあると感じております。魔族と言う存在の仕業かと思い、あれこれと調べたり、調査兵団を近隣に派遣したりしましたが、一切の成果は得られず」
ヴァルドはワインの杯を見つめながら、話を続けた。
「悔しい日々でした。この状況を打破できない自分に。三年前から春が来ぬ。雪が止まらぬ。まるで、空がこの地だけを閉ざしているよう」
「そうでしたか」
「王子にも何度か、助けをお願いしましたが、王子もなかなか手間取っておられた様子。しかし、その時に貴方達が来てくれた。しかも、わざわざ王子の手紙を持ち、他国からです。何かが変わる気がするのですよ」
焚き火がぱちりと音を立てる。領民の笑い声が遠のき、空気が少し重くなる。そう期待されると、応えたくなるな。
アニメだとシエラも、この領地を救っていたのだろうか?
「……雪を降らせる魔族ですか」
魔族か。最近リーネが教えてくれたな、とある錬金術師が魔族を作ったと。
錬金術師。俺の中の錬金術師としての記憶がざわめいた。
……そうだ。
あのとき読んだ、アンリミテッド・ロスターナの日記。
彼女が研究の中で記していた──
永久雪龍。その吐息は世界の季節を奪い、雪の結界を張ると。元々、あらゆる生物を研究していた、アンリミテッド・ロスターナ。
彼女が作ったその龍が……まさか、あれが実在するとすればどうだ……。
リーネに聞いてみるか?
一度、ヴァルドから離れてリーネの元に向かう。
「リーネ」
「なんじゃ」
「リーネの母……、アンリミテッド・ロスターナは永久雪龍と言う魔物を作ったことがなかったか?」
「そうじゃったな。しかし、それは妾が昔消した」
「そうか……なら、違うか?」
てっきり、その龍かと思ったけど、消したのなら違うのかもしれない。
「じゃが、お主が妾の母の日記を見て、薬を作ったように誰かが設計書を持っておれば、作るかもしれんの」
「……魔族か?」
「王子の話では、すでにこの国に人のふりをして入っておると言ったおった。フェリア王国ではなく、この国を先に狙い、魔物を放ったとも考えられるかもしれん。まぁ、フェリア王国を避けたのは妾が居るかもしれんと思い、ビビったのじゃろうけど」
そうか、それなら筋があるな。この豪雪もこのままにはしておけない。それに、これを解決したら偉業だ。
シエラの株だって絶対上がる。
「放っておくわけにはいかないな。誰かに手柄も取られたくない」
そう呟いた俺は、立ち上がり、腰のポーチに手を伸ばす。錬金素材の入った革袋の感触を確かめると、思わず苦笑が漏れた。
「……それに、ここ来てから、俺、ほとんど何もしてないしな。少しくらい、頑張らないと」
「ミクス、行く気か?」
「ああ。場所は分からないけど。適当に走り回って探すよ」
「倒せるのか?」
「いける」
リーネが俺の言葉に、ほうと唸りながら笑った。龍を倒せるほどの冒険者って、Sランク以上らしいからな。
ただ、シエラの木のみを常に食べている俺からしたら、余裕だろう。
「ミクス殿、何かわかったのですか?」
「えぇ、少々お待ちを」
ヴァルドが俺の変化に気づいた。まぁ、見ててくれ。すぐに倒してくるからさ。
◾️
ミクス達は豪雪の原因の可能性である、永久雪龍をあっさりと見つけることが出来た。どうやって見つけたのか。
それは、ミクス、シエラ、リーネと言う世界で最もステータスが高い三人による、しらみつぶしである。ただ、ひたすらに高いステータスで雪山などを走り回り、彼は龍を発見する。
領地の更に北、吹雪の中心地――氷の峡谷。
その奥から現れたのは、白銀の鱗を纏う巨大な龍だった。
ひとたび吐息を漏らすだけで、空気が凍り、雪が激しく舞い上がる。
永久雪龍
その翼の一振りが風を裂き、氷塊を巻き上げる。まさに冬そのものを支配する存在。だが、その巨体の前に、一人の男が立っていた。
雪に膝を埋めながらも、瞳は決して怯えない。
ミクスは右手をかざし、指先から赤い光を弾いた。地面の雪が一瞬で蒸発し、鉄の粒子が浮かび上がる。
「【粗悪な剣】、生成」
金属の粒が形を成し、手の中に鈍い銀の剣が現れた。それを握りしめ、ミクスは氷の地面を蹴った。
龍の爪が迫る。風圧で地面が裂ける。それを紙一重でかわしながら、ミクスは剣を振り抜く。
氷の表面を滑るように走り抜ける姿は、雪上を舞う影のようだった。刃が鱗をかすめる。金属音が響く。
弾かれた剣が砕け散るが、ミクスはすぐにもう一度、手をかざした。
「――【粗悪な槍】、生成!」
手の中に槍が生まれ、そのまま突き出される。光が弾け、龍の肩口に浅く突き刺さる。
轟音が響く。龍の咆哮が空を震わせ、吹雪が嵐となって渦巻く。シエラは崖の上で両手を合わせ、必死に叫んだ。
「ミクスさん! かっこいいです! がんばってぇぇぇ!!!」
その声に、彼女の頬は紅潮し、瞳はまるで恋そのもののように輝いていた。隣でその様子を見ていたリーネは、肩をすくめる。
「……あの娘は、本当にわかりやすいのぉ」
しかし、リーネの視線はすぐに戦場へと戻る。彼女の表情には、驚きと、そして別の感情――警戒が浮かんでいた。
ミクスはただ剣や槍を振るっているわけではない。地面に小さな瓶を転がす。
それが雪に触れた瞬間――爆ぜた。
轟音。閃光。白煙。龍の視界を奪い、その隙を突いて背後に回り込む。そこでもう一度、瓶を投げつけた。
今度は青い炎が爆ぜ、氷の鱗を焼く。
「なるほど……薬品による触媒爆破か。ただの錬金術師ではないのぉ。まるで、戦場を設計しておる」
リーネの唇から、感嘆の息が漏れた。龍が振り向く前に、ミクスはさらに瓶を放る。
「【発煙薬】」
霧のような煙が辺りを包む。視界が遮られる。龍が咆哮を上げ、無差別に氷のブレスを吐いた。
だが、その瞬間には、ミクスの姿はもう別の場所にあった。雪の下に隠しておいた金属線が閃き、龍の脚に絡みつく。
鎖が軋む音。
雪の地面を割って、ミクスが再び腕を掲げる。
「【鉄鎖錬成】――固定!」
鉄の鎖が地面から立ち上がり、龍の四肢を縫い止める。暴れるたびに鎖が光り、力を増す。
そして、最後の一瓶。ミクスはそれを高く放り上げ、空中で破裂させた。白い粉末が雪に散り、爆炎とともに冷気が弾ける。
その衝撃で、龍の頭が地に叩きつけられた。凍りついた谷が、震えるように軋む。
シエラが目を潤ませて叫ぶ。
「ミクスさぁん! すごいですっ! ほんとに、かっこいいですー!!」
その声に、ミクスは振り返らずに片手を挙げた。
「ありがと。もう少しで終わる」
そして、最後の一言を呟く。
「【粗悪な鎖】」
地面の鉄分が光り、鎖が龍を包み込む。幾重にも重なる鉄の輪が、巨体を縛り、動きを完全に止めた。
龍が呻く。吐息が白く揺れ、そして静まる。やがて、すべての動きが止まった。
――捕獲、完了。
雪が風に流れ、静寂が訪れる。リーネは、ただその背中を見つめていた。
あの白髪の青年の姿を。
「……あやつ、やはり厄介な男じゃな」
「え?」
とシエラが振り向く。
「妾が言うのはおかしいかもしれぬが、あやつと戦うのは……魔王よりも骨が折れるじゃろう」
その言葉に、シエラは首を傾げて笑った。
「でも、頼もしいですよね。そもそもリーネさんは戦わないと思いますけど」
「……どうかの」
(力ではなく、勝ち筋で敵をねじ伏せる。そういう戦い方をする人間が一番、恐ろしい)
リーネの声は静かだった。けれど、その目には確かな尊敬の光が宿っていた。ミクスが立ち上がり、息を吐く。
冷たい空気の中、その吐息が白く揺れる。捕縛された龍の背後で、空がゆっくりと晴れていく。
(あの男は大量の薬を、影の中に格納しておる。更に妾の母の日記や書物を持っているならば、ステータスを飛躍的に上げる道具も持っているじゃろう)
(常に勝ち筋が無数にある男か……シエラよりも、爆発力はこやつの方が上じゃろうな)
長く続いた吹雪が、ついに止んだ。青い空が、初めて顔を覗かせる。シエラが駆け寄り、ミクスの腕に抱きついた。
「ミクスさん! 本当にすごいですっ! もう、尊敬しちゃいます!」
「そうか? まぁ……ちょっと頑張っただけだぞ」
彼がそう言って笑うと、リーネはそっぽを向きながらも、唇の端をわずかに上げた。
「……ふん。厄介な男じゃ。余力があるのぉ」
氷の大地に、春の兆しが訪れる。雪の間から光が差し込み、風が静かに止んだ。フェリア王国でも、アルヴェニア王国でも龍を捕縛した男など、前例などない。
「さて、帰るか」
にも関わらず、余裕な表情でミクスは雪原を歩き始めた。彼が次に向かうのは、レオン王子の待っている、
王都である。




