ひょっとして、私のせい?
エゼルウルフ国王のことは、回帰前のセシリアも知っていた。
お飾りとはいえ、伯爵夫人だったのだ。自国の国王についてまったく知らないでは済まされない。
(それに、それまでなんの情報もなかったのに、突然表舞台に立った人物だから、噂が飛び交っていて、いやでも耳に入ったのよね)
一番の話題は、やはり王位簒奪に関すること。力で強引に玉座についた王を陰で批判する者は後を絶たなかった。
(クズ夫なんて大声で批判していたもの。平民から生まれた下賤の者だと罵って、彼が国王になるくらいなら自分の方が相応しいって豪語していたわ)
バーガルド伯爵家には何代も前に王家の遠戚が降嫁している。それゆえの発言だったのだろうが、筋違いも甚だしい。そもそも王位継承権がないのだから、比較対象にさえならないだろう。
(そんなことを言っていたから、粛正の対象に挙がったのよ。まあ、それ以外にも不正はたくさんしていたんでしょうけど)
ラネル伯爵家も言うに及ばずだ。
回帰せずに処分されるところを見たかったなと、セシリアはほんの少し思った。
まさかその未来の国王と、こんなところで会うなんて。
(たしか、即位するまでの生い立ちみたいなものも噂されていたわよね。……子どものとき王宮で暗殺されかかって、逃げた先の森でサーベルタイガーに襲われたところを、助けてもらった狩人に育てられたとか、なんとか)
クズ夫は、育ちも最底辺だと蔑んでいた。
まあ、クズ夫の言うことなどどうでもいいのだが――――。
(逃げてきた森って……ひょっとしたら、ここのこと? でも、この子が襲われていたのってブラックウルフじゃない)
サーベルタイガーではなかった。
では、今ではなくまた別なときに、同じような状況でサーベルタイガーに襲われることがあるのだろうか?
(こんなことが何度もあるの?)
ちょっとそうは思えない。
考え始めたセシリアだが……ふと「サーベルタイガー」というワードが頭に引っかかった。
サーベルタイガーは、この森では最強の魔獣だ。
一頭一頭が広い縄張りを持つため、あまり個体数は多くない。
その多くないサーベルタイガーが、今セシリアのアイテムボックスに九頭いる。
その他にも、少なくない数を冒険者ギルドに下ろして金に換えていた。
(……もしかしてもしかしたら、私のせいでサーベルタイガーがいなくなっていたりする?)
サーベルタイガーがいなかったから、ブラックウルフに襲われたのかもしれなかった。
なんだかとってもありそうな展開だ。
それに「狩人」というワードも気にかかった。
(この森に狩人なんていたかしら?)
考えれば、またまた思い当たることがある。
そう、あれは、王都の商店街を歩いていたときのこと。突如見知らぬ女性に声をかけられたセシリアは「ありがとう!」と感謝されたのだ。
「え?」
「あなたのおかげで、父が家に帰ってきてくれたんです!」
なんでも女性の父は、森にひとりで住む狩人だったのだとか。
女性は、森は危険だから王都の自分の家に帰ってきてほしいと、以前から父に勧めていたそうだ。
しかし頑固者の父は首を横に振るばかり。
「そんな父が、あなたの狩りを見て引退を決意したんです」
いつかは定かでないが、狩人は圧倒的な力でサーベルタイガーを狩るセシリアを見て、自分の限界を悟ったらしい。逆立ちしたって敵わない実力差に、心がポキッと折れたのだとか。
以降は街中で安全な仕事をしているとのことだった。
――――セシリアの背中に冷たい汗が流れ落ちる。
(狩人がいないのも、私のせいなの?)
まず間違いなくそうだろう。
本来、サーベルタイガーに襲われるところ、ブラックウルフに襲われたことは……まあいい。
サーベルタイガーもブラックウルフもセシリアからしてみれば、等しく獲物だ。たいした違いはない。
狩人が助けるところをセシリアが助けたことも……まあいいだろう。
助かったという事実に変わりはないからだ。
(問題は……これからよね?)
今後エゼルウルフを守り育ててくれるはずの狩人は、もういない。
引退して街に住んでいるからだ。
(…………ってことは、この子の面倒は誰が見るの?)
自問自答に窮したセシリアが、なんとか他の答えがないかと心の中で唸っていれば、目の前の少年から声が聞こえてきた。
「あ、あの――――」
「え! あ、はい。……えっと、なあに?」
「助けてくださって、ありがとうございます。傷も治してもらって……お世話になってばかりで、こんなことを言うのは、図々しいとは思うんですけど――――」
思いも寄らぬ長文を話されて、セシリアは驚く。
そんな彼女の手を、まだ繋がっていた少年の手がギュッと握りしめてきた。
「お願いです! 僕をあなたの弟子にしていただけませんか?」
黒い目が、ひたとセシリアに向けられる。
(……やっぱり、そうくるわよね)
セシリアは、目を泳がした。
彼女にできる返事は二択。「はい」か「いいえ」だけ。
(「はい」って言えば、絶対面倒に巻きこまれるわ。……私は自分の復讐だけで精一杯なのに)
それでもセシリアは悩む。
だって「いいえ」と言えば、かなりの確率でこの少年の未来が、ここで終わってしまうからだ。
そしてその原因は、セシリアが回帰したことなのは間違いない。
それはあまりに寝覚めが悪いと思った。
黙りこむセシリアに焦ったのだろう。エゼルウルフはさらに言葉を重ねてくる。
「お、お礼は、今はできませんけれど……出世払いで! 将来必ずあなたの恩に報います!」
――――未来の国王の出世払い。
それはかなり魅力的なのではなかろうか?
しかし…………。
いろいろ悩んだセシリアの覚悟を決めさせたのは、その場に響き渡った大きな音だった。
グギュルルル~。
音源は、エゼルウルフのお腹だ。
美少年の顔は、たちまち朱に染まる。
(そういえば、鑑定で『飲まず食わずで三日間。空腹状態』ってあったわね)
他の情報のインパクトが大きすぎて忘れていた。
「…………わかったわ」
考えに考えた末、結局セシリアは承諾した。
お腹を空かせた子どもを放りだすなんて、とてもじゃないけどできなかったのだ。