回帰したけど逃げ出しました
三万文字程度のお話です。
数日中に完結予定。
お付き合いいただけましたら幸いです。
「なにこれ? どうしてこんなことになっているの」
早朝。薄いカーテン越しに朝の光が部屋の中を照らしはじめる時刻。
子ども用のベッドに座る妙齢の女性が、愕然とした表情で壁際に置かれた木製のドレッサーに見入っている。
鏡に映る姿は、くすんだシナモン色の髪と生気のない草色の目。顔色は青白く、まるで死人のようだ。
「……まあ、実際に死んだのだから、こんなありさまでも仕方ないのだけど」
鏡から目を離し自分の手を見つめた女性は、小さな声で信じられないような言葉を呟いた。痩せ細り骨と血管が浮き出た老婆のような手に、深いため息が落ちる。
しかし次の瞬間、手はぎゅっと握られた。
「でも! いくらなんでもこれは酷いでしょう! 死に戻ったはずなのに、どうして私は若返っていないのよ?」
怒りを堪えるように握りこぶしはブルブルと震えた。
女性――――セシリア・バーガルド伯爵夫人は、彼女自身の感覚ではつい先刻死んだばかりだ。
二十歳で政略結婚した後、三年間の白い結婚を強いられ、ようやく明日教会の定めた条件を満たし離婚できるというときに、慰謝料の支払いを渋った夫に毒殺されたのだ。
「控えめに言っても、ドクズな夫だったわよね」
しかし、それはいい。
いや、よくはないが、セシリアにとってそれは想定内のこと。むしろそうなると知っていたからこそ、彼女はセシリアに転生したのだ。
そう、セシリアは日本人だった前世の記憶を持つ転生者だった。
それも大のラノベ好き。お気に入りのジャンルは、主人公が死に戻り痛快な復讐を果たす回帰モノだ。
そんな彼女だったから、異世界転生できるとなったときには、もう大喜び。力一杯万歳三唱をし感動に酔いしれた。
どうも前世の彼女は、神さまサイドの不手際でとてつもなく運が悪かったようなのだが、そんなのどうでもいいと言わんばかりに「回帰モノの小説の世界に転生させてほしい」と、神さまに頼みこんだ。
「…………まったくもって今生に未練がないのだな。それも我らの過ち故か」
神と名乗った老人は、憐れみをこめた視線を彼女に向けてきた。次いで口を開くと、
「そなたの望みはできる限り叶えてやりたいが、小説の世界など存在せぬぞ」
そう告げてきた。
「そんな! 小説の世界への転生は、異世界モノの定番じゃないですか!」
「そのような定番を創ったことはないな」
「えぇ~!」
衝撃の事実を知った彼女は、がっくりとうなだれる。
しかし、すぐにキッと顔を上げた。
「だったら、私に回帰できる能力をください! そして、転生先の世界で不遇な人生を送ったあげく若死にする人に転生させてください」
「――――は?」
「回帰モノがないのなら、自分で創るまでです! 私がその不遇な人を、回帰できる能力で幸せにしてみせます!」
ないなら創ればいい。それは受難続きの人生を生き抜いた彼女の座右の銘だ。
「……幸せに」
神は、呆然と呟いた。
「はい。幸せに!」
彼女は力強く頷き返す。
神はしばし考えこんだ。……やがて「是」と答える。
「そなたが望むのなら仕方ない。できることならそなたには、平穏で幸せな人生を贈ってやりたかったのだが……人の幸せを我らが勝手に決めることはできないからな。そなたの望みどおりの転生を叶えよう」
神の言葉を聞いた彼女は、拳を天に突き上げ喜んだ。
勢いのまま歓喜の声を上げようとしたのだが、そこに待ったがかかる。
「ただし! ……我は、これ以上そなたが誰かに傷つけられる姿を見たくない。なので、回帰するそのときまで、そなたの心は我の力で封印することとする。それまでの間、転生したそなたの体は、我が作った疑似人格に任せよう。記憶はしっかり引き継がせるから、そなたはそれまで安らかに眠るがいい」
神はそんな条件をつけてきた。
(別にそんなことをしなくとも今さら傷ついたりしないのに)
そう思った彼女だが、ここは神の提案を受け入れることにする。打たれ強さには自信があるのだが、あえて打たれるような自虐趣味はないからだ。
「それに、そなたには回帰能力以外にも役立つ能力をいくつか授けようと思う。転生先は剣と魔法の世界だ。剣術を磨くもよし魔法を極めるもよし。回帰後に使えるようにしておくから、思いのまま生きるがいい」
それはチートがもらえるということだろうか。
思わぬ神の大盤振る舞いに、彼女は満面の笑みとなる。
神は、なおも言葉を続けた。
「そなたがどのような道を選ぼうともかまわぬ。……ただ、ひとつだけ約束してほしい。どうか幸せになってくれ。他の誰でもない、そなた自身の幸せを願ってくれ。それだけだ」
神の声は重かった。
そんなことならお安いご用だと、彼女は胸をドンと叩く。
「わかりました。回帰して誰もがうらやむような幸せ者になってみせます!」
「その言葉、忘れるなよ」
こうして彼女は転生したのだった。
転生し、回帰して、本当の意味で覚醒したのだが――――。
「違う! 違うのよ! 死に戻りってこういうものじゃないの!」
死に戻ったセシリアは、かつて自分が暮らしていた子ども部屋を見ながら、悲痛な声をあげた。木製のドレッサーの脇にかかったカレンダーの日付は、十五年前のもので、時間が遡ったことだけは、間違いない。
しかし、彼女の願った「死に戻り」と、神の認識していた「死に戻り」の間には、大きな齟齬があったのだった。
「過去に戻ったとしても、私が大人のままじゃどうにもならないでしょう!」
普通回帰といえば、自身も若返るもの。しかし彼女の年齢は、元のままだ。
いきなり子どもが大人になったなんて、誰も信じるわけがない。
「ていうか、子どものいなくなった部屋に居座る大人なんて、間違いなく不審者よね? 下手すりゃ誘拐犯と思われて逮捕一直線じゃない!」
問答無用で殺されることだって、あり得る。
「……捕まる前に、逃げなくっちゃ!」
三十六計逃げるにしかず。この世界にそんな言葉があるかどうかはわからないが、迷っている暇はない。
セシリアは、自分の部屋が一階でよかったと思いながら、すたこらさっさと生家から逃げだしたのだった。
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よろしくお願いいたします。