後編
後編です。よろしくお願いします!
「で?無理めの要求って?」
歩きながら僕が話を振ると、弟は思い切り顔をしかめた。
「ミワん家には今、ミワの親父さんと後妻さんとミワの弟の三人だけでさ。手伝いの人もみんな辞めちまったのに、小間物屋だから割と荷物が多いんだ。それを親父さんがすぐ脇の川まで小舟で運んで、そこから荷馬車に積み替えて、うちが作った庭をぐるっと回って、倉庫まで運んでる。でも、それじゃ効率が悪いから庭の真ん中に道を通せって、あの後妻さんがさ」
「へぇー?」
「大した距離でもあるまいし、嫌がらせかな?ウチの奴らに工事に来させて、庭作に作らせるくらい我が家は上等な小間物屋だって宣伝したいのかな?たったそれだけの距離を節約するくらい、切羽詰まってるのかな」
こいつは、僕とミワとの別れ以来、大層ミワとその実家を嫌っている。兄ちゃんを泣かせやがって、と思っているらしい。僕の弟が可愛い。大男だけど。
「なるほどね、わかった。お前、ミワん家の庭に、思い入れは?」
「思い入れ……。いや、特には」
「あの庭を作ったのはジイさんだったな、よし。丁度いい。いっそのこと、ジイさんさえ構わなけりゃ、もうあの庭は潰そう。ウチが世話するのはこれが最後で、どうせもう庭もないんだから、金輪際ミワん家には関わらないって約束でね」
「……そりゃ、別に思い入れはないけど、庭のど真ん中に荷馬車が通るような道を作るなんて、庭作の誇りが許さないよ」
結構メンドくさい奴だな、ゼンは。さすが兄弟。
「……うーん、そうだな、まずはジイさんに確認してくれ、あの庭を潰してもいいかってな」
「棟梁は、別にいいっていう気がするけど、どうするんだ?」
僕の説明を聞くと、弟は目を輝かせ始めた。相変わらず眩しい、見惚れるようないい笑顔だった。
発案者である僕は、工事の進むミワの実家に顔をちょくちょく出すことになった。ミワの親父さんや後妻さんには一度だけ話をした。僕の案を説明すると、後妻さんはともかく親父さんは渋った。親父さんも少しはウチが作った庭への思い入れを持っててくれたようで、よかったなと思った。
でも傾いている小間物屋で、金にもならない庭をそのままにしておくより、商売の足しになりそうな案を承諾するのは割とすぐだった。後妻さんの尻に敷かれてるのもあるけど。
だがそれ以来、バツが悪いのかなんなのか、僕が工事の手伝いに行っても親父さんも後妻さんも全く外に出てこようとしない。僕の姿を見かけると、逃げるみたいに家の中に入っていく。いや、話もないし別にいいんだけどさ、挨拶くらいしてもいいと思わないか?わざと長居してやろうかな?無駄か。時間とか根気とか心の平安とかの。
小間物家の庭の僕の案は、川から水路を引き入れて小さな船着場を作り、荷物を小舟から直接、倉庫に入れられるようにするものだった。ついでに倉庫や店の部分をジイさんの庭だったところに移してやって、馬車寄せとか繋ぎ場とかをつくる。今のところ親父さんの小間物屋には馬車で乗りつけるような上客はいないけど、新しい庭が評判になれば、本当に馬車でくるような客が現れるかもしれない。
これだけのことをしようとすれば大改造だし、ほとんど費用はもらえないから相当損になる。だけど僕はジイさんを説得した。
ひとつは、これからもずっとタダ同然で庭の世話をしてやれば、結局損になる。僕の代でも世話することになるだろう。それは勘弁だ。
それと、これだけ目立つ改造をすれば、宣伝になると思ったんだ。小間物屋もだけど、庭作の宣伝にもなる。多分、同じように自分の敷地内に水路を引いてほしいという依頼が増えるだろう。ゼンの設計は相変わらず天才的で、ミワん家の船着場とその周りの倉庫や店は、ちょっと外国風で瀟酒な、周りの風景と調和しているのにすごく目を引くような感じになる予定だ。これだけでも小間物屋は繁盛するだろう(肝心の、扱う商品さえ選び間違えなければだが)。きっと、真似したいという店や屋敷は、他にも現れるはずだ。損した分なんてすぐ取り返してやる。ふっふっふ。
ある日、僕がミワん家の工事を手伝っていると、ミワが一家全員で訪ねてきた。柔和な感じの旦那さんと、旦那さんによく似た大人しそうな三、四歳の男の子と、おてんばそうで歩き始めといった年頃の女の子だ。ミワと直接会うのは久しぶりだったが、幼馴染としての懐かしい気持ち以外、湧かない自分に安堵した。
「よう!久しぶり、元気そうだな、すっかり「母ちゃん」になったな!」
僕が声をかけると、ミワはちょっとホッとしたように笑った。
「ナギもすっかり大きくなったわねえ!」
なんだそりゃ。「大きくなった」はないだろ、子供扱いするなんて。さてはご主人の前だからだな。僕は苦笑した。
「親戚のオバさんみたいなこと言うな」
「ナギだって、母ちゃんになったとか言ったし!」
「悪いことじゃないだろ」
「そうだけど、そうじゃないのよ、相変わらず女心がわかってないのねえ、「大きくなった」は撤回するわ。あ、これ私の旦那と子供たち。あっ!」
ミワの子の妹の方が、工事を見たがったのか、身をよじってミワの腕を抜け出すとヨチヨチと行ってしまった。
「ダメよ、危ない!待ちなさい!」
ミワが子供を追いかけていくと、大きい方の男の子が今度は旦那さんの手を振り切ってミワを追いかける。賑やかだ。後にはミワのご主人が残された。
「……やあ、初めまして、君がナギくんだね、君とゼンくんのことは、ミワから聞いているよ」
ミワのご主人が話しかけてきた。ご主人は物腰柔らかな紳士のようだった。きっとミワは、この旦那さんに大切にされているんだろう。「撤回する」なんて言い回しを、昔はミワはしていなかった。勉強もさせてもらってるに違いない。僕は安心した。
「初めまして、庭作のナギです」
「僕の妻の実家がずいぶんとお世話になっているようなので、挨拶をと思ってね」
「ミワ……さん、いえ、奥様もお子様方もお元気そうで何よりです」
頭を下げて挨拶する僕にご主人はひとつ頷いて、ミワが子供たちと工事を見物するのを目を細めて見ていたが、僕を振り返ると真顔になった。
「……ところでね、これは初対面で言うことじゃないが、またいつ会えるかもわからんし、はっきりしておかないと後々、大事になりそうなので念のため言わせてもらうが、」
ご主人は一旦、言葉を切ると表情をさらに厳しくした。
「妻の実家と僕たちは疎遠でね。ほとんど絶縁状態だ。今回はせめて庭作さんに挨拶くらいと思って顔を出したが、妻の両親と話をするつもりはない。だから、これだけのことをしてもらっているが、妻の実家が支払い能力がなかったとしても、僕たちが援助するつもりはないんだ」
僕はすぐに答えず、考えた。もちろん、工事を始める前に、費用については契約していて、今の小間物屋でも支払っていける金額を提示している。ウチは大損だが、ジイさんは父さんと仲の良かったミワの親父さんへの、いわば最後の挨拶みたいなもんだと言っている。
この人はそれを知らないのかな?それとも、工事をするだけしておいて、僕ら庭作が後からふっかけるとでも思っているのかな?まさかね。と、するとだ。この人が考えているのはおそらく……。
「その件は、ミワの親父さん……、いえ、奥様のご実家と、きちんと全額契約が交わされています。支払いはミワの、えっと、奥様のご実家から、工事が終わるまでには完了するでしょうし、そうなれば私ども庭作もミワの、その、奥様のご実家との縁もなくなるでしょうから、ご心配には及びません」
僕はわざと何度も「ミワ」と呼んでやった。その度にご主人の眉がほんの少し上がるのに気付いたからだ。本当に大切にされてるんだなぁ、ミワは。
僕がわざと呼んでいるのに気付いたのか、ご主人は小さく笑った。
「……いや、すまないな。そうだろうとは思ったがちゃんと確認したかったのと、妻の初恋の人だという君に、少し意地悪を言いたくなってね。大人気なかったかな」
そう言うとご主人は屈託なく笑った。やっぱりそうか。それでもこだわらずに笑顔で本音を語ってくれる。僕に対して牽制も兼ねてたんだろうけどね。チクショウ、カッコいいな。なんかちょっぴり悔しいのは、いわゆる男の主導権争いで劣勢になっちゃったからだということにしておこう。
「……いえ、そう言っていただく方が助かります。僕は、ご主人にはずっと感謝していたんです。その、お二人が出会ったのが、鐘楼の上だと聞いて……」
ご主人はちょっと考えたが、すぐになんのことだか思い当たったようだった。
「ああ、あれ。あんまりにもミワが思い詰めた顔をしてたから、知らない娘さんだったのにいきなり、早まるな!とか声をかけたんだ。ミワはびっくりしてたなあ。でも、ミワは、そんなつもりは全然なかったけど、助けようとしてくれてありがとうって笑ったんだ。あの笑顔で僕は一発だったよ」
「そうだったんですね、噂よりそっちの方が、ずっといい話だな」
僕の言葉に、ご主人は眉をしかめた。
「……僕らの出会いが噂になってるだなんて知らなかったな、一体どんな噂が出回ってるんだ?」
ぼくは笑って告げた。
「ナイショです、先ほどの意地悪のお返しということで」
「……そうか。君もなかなかやるな」
ご主人は笑って僕の背中を叩いた。だいぶ年上なこともあるけど、大人の人だな、ミワのご主人は。
自然に笑えた自分が、嬉しくも寂しくもあった。
やっぱり僕は、メンドくさい奴のようだ。
それからしばらくして、頼んでいた本が出来上がったと聞いた僕は、町の本屋の工場に出かけた。ここでは本の取り扱いだけでなく、自分たちで印刷や写本もしていて、町で一番の本屋だ。見本を手に取ってみることもできる、貴重な場所だ。
僕は本が手に入ったことでホクホクしていたのだが、一瞬で気分が下がった。トンデモ女ことリンの姿を見つけたからだ。
「あ!ナギ!ねぇ、この本!どっちがいいと思う?」
「……は?」
「もう一冊買いたいんだけど、どっちがいいか迷ってて!ね、ナギはどっちが好き?」
僕はリンが掲げる絵本を見比べた。全く違う内容の、異なる言語の二冊だ。どっちも高価で、豪華な食事を家族でしてもお釣りが出るくらいはする値段だ。どっちか迷いながら買うようなものじゃないし、こんなに違う二つで迷うなんて、何を手にしているのか全くわかっていないに違いない。意味がわからない。さすがトンデモ女、安定のぶっ飛び度だ。
「お前な、前に持ってたのは、もう読み終わったのか?そもそも、読めるようになったのか?」
リンは目を泳がせて視線をそらした。
「そんなこったろうと思った。読みもしないで積んでおくだけなんて、本を作る人たちにも失礼な話だし、どれだけ高価なのかわかってるのか?いや、たとえパン一個分だとしても、飾るだけなら無駄になる。そうだろ?」
リンは真っ赤になったが、猛然と反論し始めた。
「あれはもう役に立ったの!そのつもりだったの!だって、ナギ、最近すごく綺麗な女の人とよく一緒に歩いてたりお昼食べたりしてるじゃない!」
「なんのことだ、それに僕が誰かと歩いてるのと絵本を買うのと、なんの関係があるんだ、いくらお前でもぶっ飛びすぎだろ」
リンは俯いて奥歯を噛んでいたが、こぼすかのように話し始めた。
「ナギといた人は、美人なだけじゃなくて、すごく頭のいい人だって聞いたから、そういう子が好きなのかなって……。それにナギが、言葉を選ぶ勉強した方がいいって言ったけど、どうすれば勉強できるかわからなくて、外国語を勉強すれば少しは言葉も頭もよくなるかなって思って、頑張ってみたけど全然ダメで……。
でもナギには、お小遣いをやりくりしてでも本を買うような子だと思ってもらいたいなって……。それに、読めないけど、キレイな絵だから、見てて楽しいし……」
僕はため息をついた。コイツのいうことは半分以上意味不明だが、美人で頭が良くて最近よく一緒にいるといえば、多分ユノさんのことだろう。ユノさんに対抗して絵本を買って僕の気を引きたいと言っているわけだ。
でもコイツは本気で僕に気があるわけじゃないんだろう?僕は最初からずっと断ってたし、こいつだって僕に言い寄ってたのは取り消すと言っていたじゃないか。だから、なにか理由あって僕に近付いているんだろうけど、それがなんだかさっぱりわからない。
ともあれ、外国語を勉強したいってことだけは伝わった。僕はリンに、比較的安価で簡単な外国語の絵本と、同じ絵本でこの国の言葉で書かれた訳本とを二冊、買ってやった。
「いいか、これはよく知られた話だからお前も知ってるだろうし、この訳本はよくできてるから、二冊を見比べれば言葉もわかるようになる。読み方も発音もこの国と同じだからすぐわかる。
ここまでしてやったんだから、気があるふりして勉強を理由に僕に近付いてくるのはもうやめろ、迷惑なんだ」
リンは二冊を胸に抱いて、下を向いた。そのうち、「ごめんなさい……」とつぶやくと、身をひるがえして走り去った。
僕も反対方向へ歩き出したが、なぜだか「せいせいした」とは思えなかった。立ち止まって振り返ったが、もうリンの姿はなかった。
船着場の魚 終わり
ありがとうございました。これにてシリーズ第三弾は終了です。続編も鋭意創作中ですので、よろしくお願いいたします。
また、新作「つまりそれは溺愛希望ってことで合ってる?」も連載中です。そちらもご一読いただけると嬉しいです。