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軍神の娘  作者: 雨宮玲音
第弐章 上洛
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第37話 織田家②

 元亀元年(1570年)6月28日。



 ここ、姉川ではとある大きな勢力が対峙していた。



 一つは織田・徳川連合軍だ。



 同年4月上旬に浅井家の突然の裏切りにより、撤退戦を強いられた(金ヶ崎の退き口)。その後6月上旬に義父を出立した信長は、21日に虎午前山に布陣。そして、その3日後に横山城を包囲し、竜ヶたつがはなに布陣。そこへ同盟国で援軍としてやってきた徳川家康も布陣した。



 織田・徳川連合軍と敵対していたのが朝倉・浅井連合軍である。



 同日に浅井・朝倉連合軍は大依おおより山に布陣していたが、27日に陣払いをして兵を引いた*。が、翌日の未明に姉川を前にして、軍を二手に分けて野村・三田村にそれぞれ布陣した。



 一方の織田・徳川連合軍はこの動きに対して、徳川家が西の三田村勢へと向かい、東の野村勢には信長の馬回り衆および西美濃三人衆(稲葉良通、氏家卜全、安藤守就)が向かった。



 この戦いは結果織田・徳川連合軍の勝利に終わった。



「信長殿、ひとまずは一段落いたしましたな」



 戦いが終わった徳川家康は盟友の織田信長に対し、労いの言葉をかける。今年はというと4月から浅井家の突然の裏切りにより、撤退船が強いられたが、そこから今の今までずっと休む暇はなかった。



「家康、貴様にも苦労を掛けたな」



「いえ、めっそうでも……」



「だが、これは終わりではない」



「ええ……」



 この合戦において浅井家では遠藤直経を含む中心的な人物が、朝倉家では真柄直隆らが戦死した。この戦いに負けてしまったがこの時点では浅井・朝倉連合軍に余力は残っていた。金ヶ崎のころのような勢いはないだろうが、厄介なことには変わりがなかった。



「……にしても、だ」



「はい……」



「なぜ長政、あやつはこのわしを裏切ったというのだ」



「それは……」



 もちろんそれは、朝倉との盟約があったからであろう。元々織田家が浅井家と同盟を結ぶ際、「朝倉を無断で攻めない」というものである。だから、その分を見れば織田が悪いと思われる。義弟であり、信長も彼の力量には一目おいていた。ましてや、あのような人物が義兄との盟約を守らずにだまし討ちのような真似をするはずがない。ならば、なぜか?



「もし、金ヶ崎で成功しておれば、わしを討ち取ることはできただろう」



 長政が目先の欲に囚われるとは思っていないが、やはり疑問がわく。戦国の世がそうさせたのか、それとも……。



「それは……まるで、何かが動いている」



「ああ……」



 彼ら二勢力ではもはや肥大化してしまった織田の勢いなど止められるはずがない。ましてや、金ヶ崎のような爆竹のようなまねごとなどしなくても浅井家はうまくいっただろうに、それを覆すような大きな勢力が、働いているのかもしれない。そう感じずにはいられなかった。

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