第20話 北条氏康
石鹸を完成させてから数ヶ月後。わたしは父・謙信から呼び出しを貰っていた。
今更だが、去年の10月頃に父は出家し、輝虎から謙信へと名前を改名した。生涯不犯はわたしがいるのでもう無理だが、つまりこれ以降子供を産むとか結婚とかはしないのだ。謙信は本気でわたしを跡取りとして育て、そしてその許嫁の景勝を当主にするつもりらしい。が、周りは気が付かないのか跡継ぎは景勝か景虎かという話をしていた。その候補の中にわたしは居ないのだ。謙信の計画では形式上は景勝、事実上はわたし━━虎にするつもりのようだが、重臣以外に伝わっていないようだ。一体、どうしたものか……。
「父上からの呼び出しってなにかな? 信綱、千代丸」
景勝の方へ向かった与六を置いてわたしは信綱、千代丸を連れて大広間へと向かっていた。
「恐らくこの間の石鹸の件かと」
「石鹸……ああ、あれね。あれ、一応父上にも献上したんだけど、よかったのかな?」
「ええ。むしろ、同盟国とはいえ、御屋形様を差し置いて先に相手の大名に渡してしまうのはいいとは言えません」
「だよね~」
自国の大名より他国の大名を優先するとは何事か!?ってこの時代の人ならなりそう。
◇◇
「虎、ただ今参りました」
礼儀作法通りに広間に入るとそこには上杉謙信その人がいた。
「虎、こっちに」
父上が手招きするので膝の上に座る。すると、父上はわたしの頭を優しく撫でた。
「父上、何用ですか?」
人の膝の上では様にならないが真面目に告げた。
「ああ。この文を読んでくれないか?」
「文……?」
父上から差し出された文を広げる。送り主は『北条氏康』だった。
「北条、氏康……!?」
ばっ、と父上の方を振り返る。彼はどこかいやそうな不愉快そうな顔をしていた。
「これって……」
シンプルに考えるならば、北条氏康は同盟国で挨拶のために書状を送るなど珍しくはない。史実でもこんなことがあったかは今は置いておく。
「最後まで読んでみよ」
「はーい」
ところどころ読めない文字は適宜彼に尋ねながら読み進める。(『第弐章 第18話 文』を参照)
「……これってつまり……」
読んでみた結果だが、前半は社交辞令で読み飛ばしてもいいが、問題は最後だ。
『 ところで貴殿にはご息女がおりますが、彼女も息災でしょうか?彼女の聡明ぶりは我が愚息__景虎から伺っていますが、最近彼女から石鹸なるものを頂きました。妻が使ってみたところ肌が綺麗になり、笑顔も戻って参りました。私も使用させて頂きましたが身も心も晴れやかな気分になったような気もします。そこで、病気がちな私や気落ちをしていた妻の心を救ってくれたことを感謝して、直接お会いしたいと考えています。どうかご検討なさいませ。』
ここの項目も前半は社交辞令と言うよりも口実だろう。注目するべきは最後の部分。
『そこで、病気がちな私や気落ちをしていた妻の心を救ってくれたことを感謝して、直接お会いしたいと考えています。どうかご検討なさいませ。』
つまり、わたしに会いたい。そう読み取れた。
「ああ。氏康のやつが、会いたいそうだ。虎に」
「わたしに……」
相模の獅子と称されるあの氏康がわたしに気安く会いたいと言うわけが無い。もちろん彼の言う通り先日の「石鹸」の件でお礼をしたいのだろうが、それは当たり前だが、表の理由。それだけならば、文でお礼を言えばいい話だ。つまり、明らかにそれだけが目的だとは思えない。
「父上、これはどうなさいますか?」
答える?それとも断る?どちらにしろリスクがありそうだが……。
「断る」
「へ?」
「こんないかにも裏があるという話を容易く乗る訳には行かない」
「はぁ」
やる気のない返事が出る。
今は同盟国とはいえ、ついこの間まで仇敵だった。簡単に信頼出来るはずがない。しかし、この氏康の誘いの真意も読み取れない。
氏康はもう次期死ぬ。北条家は氏康の死後、越相同盟を破棄して、甲相同盟を復活させる。だから、今更上杉家と直接会って会談する必要などない。むしろ、この時代、大名同士が直接出会うなどありえない。けど、本当にこのままでいいだろうか?氏康に会わなくても、それでいいのか?もし、このまま越相同盟が継続すると言うならばもしかしたら、御館の乱は起こらなかったのではないか?難しいことは考えられない。
「父上! わたしは会ってみたいです!」
「会ってみたい? だが、かなり危険だぞ。迂闊に行けば食ってかかれるぞ」
「わかっています! されど、けど、会ってみたいのです! 相模の獅子と呼ばれた男に!」
嘘ではない。未来人のわたしからしたら後北条氏はかなり好きだ。特に北条氏康は個人的に1度でいいから会ってみたかったのだ。
父上は何かを考えるように静かに目を閉じた。すぐにゆっくりとまぶたを開けた。
「……わかった。虎がそこまで言うなら会ってみようか」
「本当ですか!?」
氏康に会えると言うなら色々と策を考えなければ。色々と頭の中で何をするべきか計画を練っていると頭上から声が聞こえてきた。
「ただし、この返事は虎、お前が書け」
「はい。わかりました! ……はい?」
にやりと笑った父上の顔が脳裏に残る。この時代の人なら、笑い方が様になる。
いや、そうじゃなくて、なにそれ!聞いてないんですけど!




