第二話 アリシアとオスカー
「……ん……ここは……一体……?」
すっかり日も落ちたころ、ようやく騎士団長殿が目を覚ます。
「ご気分はいかがですか? ローズブレイド騎士団長殿」
「む……お前は? ここは……どこだ?」
素早く周囲に目を配りながらこちらの出方をじっと伺っている。
さすがですね……一分の隙も油断もない。
側に居てうっかり手を出したりしたら、腕を捻じ曲げられて、武器を奪われた挙句、尋問されていたでしょうね……。おお怖い。無用な怪我はしたくないものです。
「これは失礼いたしました。私はオスカー、オスカー・カーライル男爵です」
「カーライル卿……そなたが助けてくれたのか?」
こちらに危害を加えるつもりがないことがわかって、わずかですが警戒を解いてくれたようですね。それでもまだ野生の獣と対峙しているような緊張感と迫力ですが……。
「はい、偶然通りかかることが出来たのは僥倖でした」
「そうか……死を覚悟したのだが、私も案外しぶとい」
美しく整った顔が少しだけ暗く見えるのは夜闇のせいだけではないのでしょう。部下を失った喪失感。自分だけが生き残ってしまったという自責の念。指揮官として素直に喜べるはずもない。
「そうですね、全身複雑骨折に重度の火傷、生きているのが不思議なくらいでしたから、さすがは戦鬼、やはり常人よりもしぶといのかもしれません」
「ふ……言いよるわ。自己紹介がまだだったな。私は王立騎士団団長アリシア・ローズブレイドだ。あらためて感謝するぞ、カーライル卿」
ほんの少しだけ頬を緩める騎士団長殿。さすがは歴戦の強者。この程度の修羅場では心が折れないですか。
「ところで痛むところはないですか? 傷は大方治っているはずですが、外からではわからないことも多いのです」
「うむ……特に痛みはない……って待て、か、カーライル卿、ま、まさか……み、見た……のか?」
「ええ、失礼かとは思いましたが、命がかかっておりましたので、治療する際、衣服は剝ぎ取らせていただきました」
「そ、そうか迷惑をかけたな」
酷く狼狽えている様子の騎士団長殿。ああ、何か勘違いされているようですね。
「ご安心ください。治療や洗浄、着替えなどは、私の女従者が行いましたので」
「そ、そうか、後でその従者にも礼を言わねばな」
わかりやすく安堵した様子の騎士団長殿。やはり戦鬼と畏れられていてもうら若き乙女には違わないのでしょうか。思いがけない意外な素顔に微笑ましくなりますが、ここで笑ってしまっては失礼になってしまいますよね。
「ところで騎士団長殿、お腹が空いておりませんか? まもなく夕食の準備が出来ると思いますので、よろしければ」
「うむ、言われてみれば朝からろくに食べていない」
騎士団長殿のお腹からかわいい音が聞こえましたが、知らないふりをしましょうね。
食欲があるのであればもう大丈夫そうです。
「マスター、夕食の準備ができました」
知らせに来たのは従者のビアンカ。
「ありがとうビアンカ。騎士団長殿、彼女は優秀な回復魔法の使い手でね。治療はほとんど任せたのですよ」
「おお、ビアンカ殿、ありがとう。心より感謝する」
「……いいえ、マスターに頼まれたから治療しただけです」
人見知りのビアンカがつれない返事をする。
「いや、結果的に助けてもらったのは間違いない。この恩は必ず返そう」
ビアンカは優秀なんですけれど、少々不愛想なんですよね。騎士団長殿がそういうことを気にしない方で助かりました。
「ところでカーライル卿、マスターということは、もしやこの者は?」
「はい、人ではありませんが私が契約した従者ですので、どうかご安心を」
「そうか、カーライル卿は契約士であったか。たしか王立魔法師団にも何名か所属していたはずだが、なるほど、これが……」
しげしげと物珍しそうにビアンカを眺める騎士団長殿。私の後ろにすっと隠れてしまうビアンカ。
たしかに契約士は珍しいですからね。ほんの百年前、呪われた家系として迫害された暗黒時代もあって、契約士であることを明かさずに生活している者もいると聞きます。
契約士とは、古の理をその血に受け継ぎ、人外を契約によって使役することを生業とする者。
辺境の田舎者に過ぎないカーライル家が男爵位を賜っているのは、先祖代々の貢献が認められているから。
「では参りましょうか? 騎士団長殿」
「カーライル卿、騎士団長殿ではいかにも長いし堅苦しい。アリシアと呼んでくれ」
そう言われましても……困りましたね、騎士団長殿はローズブレイド公爵家令嬢。よもや呼び捨てにするわけにはまいりませんが。
「それではアリシアさま、私のことはオスカーとお呼びください。よろしければご案内いたします」
そっと手を差し出す。まだ若干足元がふらついているようですからね。
「うむ、オスカー殿、よろしく頼む」
差し出した手を力強く握り返してくるアリシアさま……あの、痛いです。