才能と実験場とリサーチ
吉本興業についてテレビでやってるのを見た。
中々面白い。
サラリーマンがお笑いと向き合うという、その当時では異色の歴史。
でもそのサラリーマンも才能がなかったら出来なかったことだったんだろう。
僕達人間が新しいものを生み出すとき、それは実験場が必要なんだと感じた。
ある意味、実験場というフレーズから察するに、科学と同じことなんじゃないだろうか。
仮説をもとに研究を積み重ねていく。
だからこそ実験場である、コンテストや才能発掘プロジェクトみたいなものが世の中に蔓延るようになっている。
ここで一つの疑問が生じる。
新しいものを作るとは何だろう。
新しいものを作るということは、未知の道を作っていくことだ。
ただ言葉遊びをしたいわけじゃなく、この言葉が出てきた。
必要なのは分析をすること。
何があって何がないか。
学問だって、時間を使って研究するのは、誰もしてない分野の領域を解明するためだからだ。
現状を整理する文章をリサーチと呼び、立派な研究の一つとなる。
だから才能発掘をしても良いと思うが、現状がどんな状態なのか、全体図を示してくれるものがもっとあっても良いと思う。
僕達は何も知らずに世の中に放り出されるのだ。
だからこそ、大学で学び直したいなどと言う者も出てくる。
最初から研究したいことを研究出来ているのであれば、そんなものは出てこないはずだから。
実際、自分ももう一度、大学で学び直せるなら、学び直したいと思ってる1人だ。
話が少し逸れてしまった。
何が言いたいかと言うと、革新を生み出すイノベーターは、流行(既知の道)が出来ると飽きてしまう。
自分がイノベーターだと自称できるほど、傲慢なわけではないが、見慣れてくるコンテンツには面白味を感じなくなってくる。
普通の人は流行を追う。
だからこそ人気のコンテンツが出来る。
それは間違ったことではない。
しかし、成熟したコンテンツを追うのは得策とは感じない。
だからといって、未知の状態から、何か大作を生み出せるのはごく少数でしかない。
もっと知らなければいけないことが沢山あると、最近痛感する。
そう、僕達は知らなければいけないのだ。
何も知らずに、道を作れるほど知識は完成されてもいないし、洗練されてもいない。
イノベーターを自称する、もしくは新しいものを生み出そうとするものなら尚更だ。
世の中の問題を知ること。
そして予測すること。
間違っても良い。
大切なのは、予測に根拠を持つことだ。
だから世の中はもっとリサーチを届けておくれ。
長々と語ったが、言いたいことはそれだけである。
選択肢さえあれば、僕達は次の道を見つけていけるはずだから。
文章書くのって勢い必要だなと最近しみじみ思います