ロストメモリア(1)
「はい、チーズ」
三人で横並びで肩を組み、向けられたカメラに満面の笑みで答える。桜が吹雪のように舞落ち、校庭や校内が賑わいムードの中、校門横の隅で写真を撮っていた。
「「「いえーい」」」
三人が同時にピースサインを向けたところでシャッターがカシャリと音を立てる。
黒地に五芒星の校章が縫い合わせられた制服を着こなし、暖かい風が祝うかのように桜を吹き散らし、まだ少し大きな制服がなびかれる。今日は、入学式だった。
「まさか、再会できるなんて思わなかったよ」
「幼馴染、なんだっけ?」
「そう!小学校からの付き合いだよ!」
彼女は当時を鮮明に思い出せるかのように惚けながら二人を見つめ、カメラマンとなってくれた父親に大きく手を振って見送った。
「いいな、私は中学の頃に初めて会って仲良くなったから……ちょっと羨ましいな」
薄幸そうな、少々根暗なもう一人の彼女が、これまでにテレビカメラの前で見せてきたビジネススマイルや大衆向けに作ったハイテンションキャラからは考えつかないほどに妬み、羨む。普段の素顔は髪で片目を隠し、テレビに映る時だけはヘアピンで押さえつけてさらけ出す。人気絶頂中の彼女は、二面性だ。
「ねぇ、せっかくだからさ、好きになった所を言い合いながら帰ろうよ!」
「いいよ、今日は入学祝いのパーティーだから、帰る場所も同じだし、いい時間潰しになるね」
「は、恥ずかしいから普通に帰ろうよ……」
突拍子もない提案に頭から湯気を出し、二人に両手を繋がれたことに気づかずに帰路についた。
「まずは、手が温かいところ!」
「優しいところ」
開始数秒にしてこの遊びが止まり、二人は手を繋いでいる一人の照れ顔を覗いた。
「あれ、どうしたの?」
「次、君の番だけど」
「や、やっぱ、言わなきゃダメ?」
「「もちろん」」
二人は当たり前とでも言いたげに頷く。思いついた言葉を口しようとすると、どうしても伝えるのが恥ずかしくて、聞かれたくなくて、自然と声が小さくなってしまう。
「か、可愛いところとか……」
「んー?きこえなーい」
「もっとちゃんと言って」
わざとらしく聞き返す二人にもどかしくなり、次々に押し寄せてくる羞恥に耐えきれず
「か、可愛いところ!」
寂れた街道で、通りに響かせてしまうほどに叫んでしまった。あまりに素朴で捻りのない答えでも二人は喜びを見せ、車すら通らないこの道でにじり寄ってくる。
「それってどっちが!?」
「どっちが可愛いの?」
「どっちもだよ!」
番が来る度にこうしてせがまれると考えるだけで、伝える以上に恥ずかしくなり、余計に億劫になってしまう。
「わ、私が……可愛いの?」
「ふふっ、嬉しい」
飾り気のない直球な思いに恥ずかしくなる幼馴染に、珍しく心の底からにこやかに笑う芸能人、この遊びは家に着くまで延々と続き、家に着いても尚、その余韻に浸るほどに幸福に満ちていた。
「なんか、ここに来るのも久しぶりだな……」
「中学は別だったし、なかなか遊べなかったもんね」
「結構広いんだね」
リビングのソファで三人横並びになって座り、誰も興味を示さないニュース番組を垂れ流しながら、入学式の精神的疲労にため息をついた。
「もしかして、疲れちゃった?」
「膝、使う?」
「い、いいよ、恥ずかしいし」
ポンポンと叩かれたそこに目を向けると、キッチン奥から嬉しげにクスリと笑う声が聞こえて来る。三人とは別の人物がこの家にいた事をすっかりと忘れていてしまい、羞恥に身が縮こまった。
「もー!お母さん!せっかく伊黎君を膝枕するチャンスだったのに!」
「だって、娘が親のいるところで彼氏とイチャつくんだもん。コーヒーが飲みたくなる!」
その夜、誰もいない夜に帰っても孤独が待っているだけで、彼女らに夕食に誘われ、快く同席した。
「ねぇ、灯織」
入学祝いのご馳走を平らげた後、お返しと言うばかりに皿洗いをしながら根暗な彼女が自ら話し出した。
「今夜泊まっていっていいんだよね」
「うん、伊黎君も泊まっていくよね?」
「え、着替え持ってきてないけど」
明日は休日、どうせ独りですることもないと気掛かりなことがあるまま頷く。
「あー、そっか、制服で寝るのも嫌だもんね、凪咲ちゃんは私の貸せばいいから……」
「まぁいいや、持ってくるよ、家もすぐそこだし」
「一人で大丈夫?外もう暗いし、ついて行った方がいいかな」
全ての皿洗い終え、タオルで乾拭きをして棚に戻す。子供を見守るかのような柔らかな目をする彼女らに軽く失望し、溜息をひとつ、ダイニングキッチンの中でこぼした。
「俺たちもう高校生なんだよ?一人で平気だって」
「でも、伊黎弱いじゃん」
「そうだよ、ガラの悪い人に絡まれたらどうするの?」
内なる能力である「加減速」と「変換」が満足に扱えない中、彼女らの見下してはいないながらも気遣うような言葉に強い屈辱を覚え、二人を傷つけまいと怒り感じながらもむき出しにはせずに朗らかな振る舞いを見せる。
「確かに俺は弱いけど、大丈夫だから!」
そう言って屈辱から逃げるように家を飛び出し、数件ほど隣にある小さな一階建ての家の鍵を開けて扉をあける。
「ただいまーおかえりー……はぁ……」
部屋の電気をつけながら無人の家中で一人寂しく会話のキャッチボールを行う。畳むことすら面倒で、ここ何ヶ月も干してない布団の上を踏み荒らして部屋の東側の隅にある小さな四段のタンスの一番上を開けて下着を取り出し、二段目を開けて私服を畳んだままの状態で取り出す。そして反対側の冷蔵庫脇に束ねられた大きめのレジ袋に乱雑に詰め込む。
家を出ようと玄関に向かった時、ガスの元栓が開けっ放しだったことに気づき、慌てて閉め、電気のスイッチを歩行の勢いを乗せて切りながら家を出た。
鍵をかけ、早急に灯織の家へ戻るべく走り出したところで、街灯の下で千鳥足でこの住宅街歩く男の姿が視界の端に映った。その男はこちらを見るなり「おっ」と声を漏らす。
ズボンからシャツをはみ出し、ポケットからチェーンをぶら下げ、見るからに手入れがされていない尖るようにボサボサな灰色に染めた頭、ワイシャツの袖をまくって露出させた筋肉質な腕を持ったその男の視線を背中に受けていると、他に誰もいないこの道で声をかけられる。
「ねぇ、ちょっとそこの君ぃ」
早く戻らねばと思いつつも、呼ばれてしまったからには立ち止まって振り向く。こちらよりも一回り大きい体躯に緊張を抱きながら、ビニール袋を持つ手に汗も握った。
「その制服……能力者養成学校のものだよねぇ?俺みたいな平凡な人間より頑丈なんだからさ、ちょっと発散に付き合ってくれよ」
能力者は平凡な人間より頑丈、そんな理屈が一体どこから来るのか、男はこちらの有無も言わさずにその千鳥足でフラフラと走りながらも握り拳を作り、太い腕をあげてこちらの顔面に向かって殴りかかった。
もちろん、ただ何もせずに顔に受けた訳ではなく、急所を守るべく、利き手ではない左腕でその拳を防ぐ。ビニール袋に入れた服が衝撃を和らげて痛みこそなかったものの、男はさらに反対の腕で今度は腹を殴り、防ぐことも間に合わず、灯織の家のある方角へ殴り飛ばされた。
吐血こそしなかったものの、体内の空気が無理やり外へ押し出され、痛みで腹を抑えながら咳き込む。
やはり灯織たちの言った通り、脆弱で、今のたった一撃だけで意識が霞だす。地面の上を殴り飛ばされた衝撃で転がり続け、彼女の家の前で立ち上がることが出来ずに男が歩いて近づくのを怯えながらただ待つだけだった。
何とか力を振り絞って顔を上げると、男は目の前にたち、見下ろしながら足を上げ、目立った外傷を残さないようにと、誤って殺さないようにと、頭ではなく背中を何度も踏みつけ、自らのストレス発散に利用されていた。
もうこのまま意識を手放してしまおうかと諦めかけたその時、右目の視界の端に映る彼女の家のドアが開かれ、未だ制服姿の灯織がこのあられもない姿を目の当たりにして飛び出した。
「伊黎君から離れろぉぉぉ!!!」
血走った目をしながら振るう拳を男は顔面に受け、骨肉が砕けるような鈍い音がしたかと思えば、男の体が住宅街のコンクリートの壁を壊し、住居人のいない家の壁を壊し、一直線に穴を開けながら殴り飛ばされていた。
そして、息を整えた彼女に軽々と体を持ち上げられ、中で待っていた凪咲に体の時間を戻してもらい、入学式から一日と経たずして汚れまみれにしてしまった制服を脱ぎ捨て、ビニール袋に入れていた寝間着へと着替える。
「やっぱり、君には私達がいないとダメなんだよ」
「伊黎は弱いんだから、強い私達が守ってあげるの」
月明かりだけか照らす部屋の中で、一つのベッドの上で二人に挟まれながらそう囁かれる。屈辱と劣等感に苛まれながらも、二人の囁き声に擽られてそれも徐々に鎮まっていく。
「でも……俺はずっと二人に守られてちゃ強くなれないんだよ」
二人は言葉を詰まらせながらも、両腕に伝わる鼓動が段々と早くなってきている。まるで興奮するかのように。
「今夜ね、親いないんだ」
「ということは、この家には灯織と私、そして伊黎だけ」
「「この意味分かるかな?」」
二人の鼓動が最高潮に脈打ち、つられてこちらの鼓動も早くなる。このままでは眠れるはずもなく、少しでも落ち着こうと体を起こして自分の右手を掴み、その平を眺めた。
「……やりたくないって言ったら?」
二人はもうその気だということが見て取れる。二人は振り返るこちらの目を物欲しそうな目で見つめ返している。その眼には一人の男だけが映り、その男は二人の眼の中で怯えていた。
「そういう時は、実力行使」
「強くなりたいんでしょ?強くなるために必要なことだって、小学校の頃言ったよね」
「そう……だけど……」
「大丈夫、痛くないから、怖くないから」
二人のこの笑顔を見ると、言い表せないほどに胸の奥が締め付けられて苦しくなる。いつもなら笑って返すところが、今はどうしても笑う気にもなれない。二人の笑顔が辛くさせるばかりだった。
「伊黎、遅い」
待ちくたびれた凪咲が左手首を力強く掴み、自分の首を掴ませる。それを見た灯織が真似をするように右手を強く引っ張り、同じように首を掴ませる。二人はそのままベッドの上に仰向けで倒れ込み、覆い被さる形で二人に体重をかけてしまった。
二人のか細い息と共に出される苦しむ声に、絞めるこの手を離すことが出来ずに、気づけば視界が揺らいでいた。
「灯織……凪咲……!」
彼女達の名を呼ぶと、二人は苦しみ続けながらも微笑みかけ、
「「笑って」」
と掠れた声で言った。
その声を最後に二人の手の力が抜け、開かれたままの目に光が宿ることがなく、そしてそこに男の顔が映ることがなく、首を絞めていた手を離し、二人の体を揺さぶる。
「灯織……凪咲……灯織……!凪咲……!」
何度も、何度も何度も二人の名前を呼びながら揺さぶり続けるも、二人からの応えが帰ってくることなく、胸に手を置く。早かったはずの鼓動がゆったりと規則的なものに治まり、まだ生きているのだと感じさせながら二人が次動くまで、眠れずにいた。
「灯織……凪咲……灯織……凪咲……」
「なぁに……伊黎君……」
気づけば陽は昇り、灯織がこちらの頬に手を添えながら微笑みかけていた。その目に光が戻り、添えられる手からは確かな体温が感じ取れた。
「良かった……良かった……!」
自らの手で殺めるに至らなかった。それが何よりも幸福で、この安心感をこれまでに何度も味わって来たのだと思うと、この先もずっと弱いままなのだろう。