祭りへ向けて
塔を型どった城を魔王、サキュバスと共に出ると、辺りから聞こえてくる魔族達の復興に奮闘する声や再建に響かせる施工音が、未だに痛む頭に無慈悲にもけたたましく聞こえてきました。
「あ、エルピスさーん!」
木や鉄を打つ音が響く中、魔族の中に紛れた人間の少女の声が聞こえてきました。少女は私たちの方へ駆け寄り、土や煤に汚れた姿を見せ、苦の色を見せない清々しい面持ちで、彼女の兄がいる森へ向かう私たちを見上げてました。
「もう外に出られるようになったんだね!」
「この程度で音を上げてはいられませんから、心配してくれてありがとうございます」
僅かな恨みを隣の淫魔へ向けると、白を切るような無表情で柔和な目を返されてしまいます。そんなことを悟られないよう目を戻すと、彼女は手足の土汚れを払って額を流れていた汗を拭いました。
「あの時、エルピスさんが私のクッションになってくれたから無事だったんだけど、その後エルピスさんが頭から落ちて気絶しちゃって、二、三日絶対安静だったんだよ」
「でも、今はこのように動けますので」
そう言って彼女の痛み固まった髪を撫でると、ぱあっと華が開いたような明るい顔つきになり、この安心感からか、私の方もなんだか心の奥が温かくなっていました。
「本当に、アルプスちゃんが無事で良かったです」
この手の動きがだんだん慣れてきたのか、彼女の顔に疲れの色はなくなり、気づけばほんのり蕩けてその心地良さを堪能しているようでした。魔王ミーアも、アルプスちゃんの快悦な表情が感慨深いようで、無意識に伸びる手を理性で抑えつけながら、魔王らしからぬ優しげな目でこの姿を眺めていました。
「魔王様、ご褒美の提案です」
そんな中、スーツを着こなした童顔のサキュバスが声をあげ、この空気をほんの僅かにぶち壊してくれました。
「既にあの人間の生気を吸い取るという褒美?を与えただろう。他に何を望むというのだ」
「私にこの人間のように頭を撫でてください」
「また今度してやるとしよう」
「魔王様の手が頭を撫でたくて疼いていたのを見逃してませんよ」
「き、気のせいだ!」
魔王の顔がほんのりと赤くなり、あからさまに動揺しながらサキュバスから背ける姿が可笑しかったのか、アルプスちゃんは可愛らしくクスクスと小さく笑い、サキュバスは揶揄うように初めて無表情を崩しました。笑顔が素敵とはよくある褒め言葉ではあるものの、サキュバスのそれも例に漏れずこっちの方がいいと思わせるほどに可憐なものでした。
「それより!我々はあの人間の元へ行くのだ。あまりここで駄弁っていては他の魔族達の邪魔となる」
「えっ、エルピスさん達、お兄のところに行くの?」
「ええ、少しお話したいことがありまして」
「なら私も行く!」
「ダメだ、お前は魔族達の手伝いだ。私が止めても聞かずに飛び出したろうに、それに、兄とは毎晩顔を合わせているだろう」
魔王がやや呆れながら一切語気を荒げず諭すも、アルプスちゃんは不満げに口をすぼめ、ゆっくりと地面に倒れ込み、
「やだやだ!お兄が何してるか気になるもん!それに魔族さん達は私がいなくても作業速いし!お兄のところ行きたいー!」
と駄々を捏ね始めました。その姿を見て何を思ったのか、サキュバスもアルプスちゃんの隣に同様に倒れ込み、
「魔王様のご褒美欲しいですー。頭撫でてほしいですー。撫でてくれるまでここから動きませんからねー」
なんてスーツを汚しながら手足をばたつかせて幼稚な抗議をして魔王の頭を悩ませていました。
「あぁもう!わかった!アルプス、今日はあの人間の元へ連れて行ってやる。しかし、今日だけだ!明日からはまた復興を手伝ってもらうからな」
「やったー!!」
念願叶って飛んだり跳ねたりするアルプスちゃんに、サキュバスは目を輝かせ、魔王に頭を撫でてもらいたくて近づけさせます。
「それはまた別の話だ。お前がまた一つ善行をしたならばしてやろう」
きらびやかな瞳はその後一瞬にして光を失い、潤みを帯びては静かに倒れ込み、手足の力が抜け落ちて虚空を見つめて涙を浮かべました。
「私、人間に拐われて殺されかけて、仲間が死んで行く中私だけが取り残されたような気がして、追いかけようと拳銃を手にしても逝くことは出来ず、多くの死体を脳裏に焼き付いたまま生きているのですよ……?」
魔王は、無視しようと思えば簡単に出来るはずなのにそうはせず、やや不服な意志を見せたがそれも一瞬にして和やかになります。それから土に片膝を着いてサキュバスの頬をつたる涙を指ですくい上げ、慣れた付きで体を起こしてそのまま抱き寄せました。
「そうだったな。私が力不足で不甲斐ないばかりに、お前たちには苦労をかけさせてばかりだ。だが、しばらく耐えれば、我々に害をなす人間に対抗する術を得られるかもしれない。それまで、我慢してはくれないだろうか」
魔王の見えないところでサキュバスの目に光が戻り、それが演技であったかのように涙はすぐに枯れ、また、僅かに口角を上げました。
「人間に対抗する術ですか。いつも魔王様は下手に私たちに希望を持たせようとしますね」
「お前を後先なんて考えず助けたあの人間は、我々魔族の希望であり……私個人としての希望でもあるのだからな」
「仕方ありませんね。今回も、騙されてあげます」
そう言ってサキュバスは悪戯っぽく笑いながら魔王の抱擁からするりと抜け出し、要望なんてものも嘘であったかのようにゆっくりと離れました。
「魔王様からその二文字が聞けて良かったです。同盟なんて口約束じゃなく、魔王様が抱いている気持ちを聞けただけで」
「お前……一体何がしたい?」
「家族を失ったのは魔王様だけではありません。私も、復興に励んでいる者たちも、ほぼ全員と言って良いほど、人間によって身内が殺されているのです。この領地には甲斐無く散って行った仲間たちが骸となって支えてくれています。そこに私たちが立っているのです。それを忘れないでください」
サキュバスはどんどん魔王に背を向けて離れて行きます。魔王はそんな彼女を呼び止めることも無く、地面を見つめながら強く拳を握りしめ、私たちが進むべき先へ向いたままでした。
「なんて、柄にもないことを申し上げましたが、本当は温もりが恋しかっただけです。たとえ成長しても、それは見かけだけで、誰しも幼さは残るものなのです。その残った幼さがあるが故に、どうしても譲れないところがあるのです」
彼女は最後にそう言い残して城の中へと戻って行きました。私はその背中を黙って見送っただけで、アルプスちゃんのように魔王を気遣う余裕などありませんでした。
「……わかっているさ。私だって、できるなら我々だけで終わらせたい。しかし、それではダメなのだよ」
「ミーアさん?大丈夫?」
「行くぞアルプス、エルピス、思ったより時間を浪費してしまった。急ぐぞ」
魔王は強く拳を握りしめ、希望へ目掛けて悔しさに苛まれながら復興に励む魔族達の間を駆け抜けて行きました。
一心不乱に走り続ける魔王を追いかけ、城からかなり離れた木々を前にすると、焼け焦げた匂いは気づけば透き通るような草の香りへと変わり、森の奥から清水の流れが穏やかな風に乗って聞こえてきました。
ここでは鳥のさえずりも草木を踏む音も穏やかにことを運ばせます。どこからか流れる川を下って行くと、切って落としたような崖に座って下を見下ろす二つの影がありました。
「お、魔王に続いてキミたちも来たんだね。きっと少年が喜ぶよ」
「ご主人様なら下で水を感じているよ。だから、静かにね」
黒髪に仮装を思わせる獣耳と尾を生やした神と、翡翠色の髪を清風になびかせる少年が私たちを出迎え、少年が口元に人差し指を当てながらしーっと静謐を促す仕草を見せました。
「水を感じているって、川の流れに身を委ねているのですか?」
龍になれる少年と神と共に崖下へ続く緩やかな坂を下って行くと、ふと気になって尋ねてしまいました。
「少年にそんな危ないことさせられないよ」
「まぁ、魔王様はそれよりももっと危ないことさせようとしたんだけどね」
木々の隙間から岩肌と豪快に水が落ちる光景を目の当たりにしながら、そう静かに話していると、終着点が見え始め、土と落ち葉ばかりだった地面が、川へ近づくにつれて砂利石が混じっては歩く度にジャリジャリと音を立て始めました。
「それにしても、神様とレイカ君は見てるだけだったの?」
「まさか、少年が頑張ってるのにボク達が何もしない訳には行かないさ」
「じゃぁ、何してたの?」
「少年の周りを泳ぐ小魚見つけたり、小鳥を追いかけたり、冬眠してる動物達を探したり!」
「遊んでたんですね」
「だって見てるだけなんて退屈だったんだもん」
「あとは水遊びかな」
「レイカ君もお兄の邪魔してたんだね」
「楽しかったよ」
思わず苦笑いを浮かべるアルプスちゃんとは違い、呆れて溜息をついてしまう中、滝つぼに立つ白い水柱の中で不動のまま打たれる彼と、それを遠くから眺める魔王の姿がありました。
「む、来たか」
「誰が?うわぁ!!?」
私達の接近に魔王が言葉を漏らすと、それに反応した彼の膝元から薄氷を踏み割るような音が響き渡り、そのまま滝に押し沈められてしまいました。
「い、伊黎さん!?大丈夫ですか!?」
浮き上がる彼を待たずに翼を広げて滝壺へ向かい、段々と大きくなる影を探していると、真下から浮上する音が聞こえ、震えながらも私の名を呼ぶ声が届いてきました。
「エルピスー、下下ー凍え死ぬから上げてくれないか……」
寒空の下、水に濡れて凍り固まってしまいそうな姿に慌てて急転直下し、溺れずに歯をガタガタと鳴らす彼の手を掴み、待っている魔王たちの元へ下ろします。魔王はすぐさま指先に小さな優しい炎を出して濡れた全身を暖めてあげていました。
「もしやしなくとも今のは私のせいだな、うん」
「お兄、今まで何してたの?」
あまりの震えに歯をガチガチと音を立てながらも、彼はゆっくりと言葉を紡いで答えました。
「み、ミーアの提案でな、滝行しながら能力使用状態の維持を、してたんだ」
「滝行する意味は?」
「力の乱れは心乱れ、平常心を深く長く保てば限界を超えて精神力を鍛えられると思ってな?精神力の限界を超えた時、爆発的な力を発揮でき、限界を上げればあげるほど、その爆発的な力を平常心の内でも使えるやもしれぬと思ったのだ」
「なんだか信頼性が全く感じられませんが……伊倉さんやレイカ君はあえて邪魔していたと?」
「そ、そうとも!ね、レイカ君!」
「う、うん。そ、そうだよ。ご主人様のために全力で邪魔してたんだよ」
「なんだか騒がしいなとは思っていたけど、そういうことだったのか!私のために……!」
彼は明らかに口裏を合わせたような二人を疑う素振りは見せず、むしろ感涙を浮かべます。すぐに信じる難点こそあれど、それが私たちを引き付けたのだと今になって思いました。
「そうだ。まだ貴様らにはいつ祭りがあるのか伝えていなかったな」
魔王は突然思い出したような口ぶりで和やかな空気の中を切り出し、子供のように目を輝かせている希望に意識を向けました。
「王様になるための祭りか」
「幸いにも期間はある。しかしそう長くは無い。その期間のうちで我々魔族はこれまでの繁栄を取り戻し、貴様を送り出す準備をする」
「あとどれ位なんだ?」
魔王は目を伏せた後、緊張感と人一倍の覚悟を持って彼を見つめます。
「祭りは三ヶ月後だ。それまでには我々魔族はこれまでの繁栄を取り戻し、心置きなく貴様を送り出すことが出来るだろう。それまで、胸を張って向かえるようになってくれ」
「次回のUnleashed Antiquerは」
「三ヶ月後か、思ったより時間が無いな」
「あぁ、だが中途半端では終わらせないつもりだ」
「ミーアが能力の強化、エルピスが剣術の強化か……魔王と騎士団長のシゴキとは、骨が折れそうだ」
「しっかりついてこいよ、人間!」
次回、Unleashed Antiquer 白露の国
「私は胸を張って、王になりに行く」
「私は希望を確信へと変えさせる!」