魔王遊戯
風もすぐに鳴り止む程の緊迫する重圧の中で軽々な双眸が輝きを灯す。人も、魔王も、遊びの戦慄を、この瞬間に、嬉々揚々と謳歌しようとしていた。
「付与、追風、猛炎!」
止んだ風が怖気ていた背中を押す。底なし沼に嵌りかけていた足がふわりと浮かび、固く握った大剣に肌を焦がす炎が宿る。眼前の魔王は余裕を崩さず、武器を持たぬ両手を広げ、足元から冷気を放っていた。
「貴様、上に二人がいるからと手を抜いているわけではあるまいな?」
「抜いているのは、ミーアの方じゃないか?」
音を立てる追風に乗り、ごうごうと燃え盛る炎を纏う剣を、微塵の動きも見せないミーアへと振り下ろす。
「ふっ……それではこの先が思いやられるな」
猛炎を纏う刃が魔王の白い頭を割ろうとした刹那、ミーアは億さずに鼻で笑いそっと目を閉じる。
雪原の中心に突然放り出されたような冷えきった空気が全身に襲いかかる。凍死という単語が脳裏に浮かび上がった途端に氷塊が砕ける透き通った音が力強く響き渡る。赤い花が地を穢すよう咲き乱れると思っていたソレは、魔王の形を取った氷人形となり、澄ました表情のまま炎に溶かされゴロゴロと崩れた。
「おいおい人間、殺す気で来いとは言ったが、びっくりしたではないか。もしや、私に恨みでもあるのか……?」
冷気で薄氷に固められた体が炎で溶かされ、流暢に駄弁りながらも不安に駆られる背後からの声に、慌てて柄を強く握って振り向く。溶けた氷で濡れ、飛んだ火の粉に燃え上がる絨毯の上に、先程まで目の前にいたミーアが、腕を組みやや青い顔で風になびかれていた。
「殺す気で殺さずというのは……なかなかに難しいな」
「加減を知らないのだろうな。だから貴様は常に自らを縛っている。違うか?」
全力で臨んでいるというのに、傍から見れば縛りを設けているようにでも見えるのか。その齟齬に首をかしげた途端、魔王はニヤリと微笑み、人差し指を軽く曲げる。
「なるほどな、どうやら貴様はハッタリに弱いらしい」
足元を冷やしていた氷人形の欠片がふわりと浮かび上がり、布越しに凍てつく空気になぞられる。
「さぁ人間、魔王に抱かれる感覚を教えてくれ!堕落の魔王の傀儡!!」
堕落へ誘うその声が、傍観していたエルピスやアルプスさえも震怖させるほどに響きわたると共に、彼女の指先に煌びやかに輝く細い糸が目に映る。
浮かんだ氷像の欠片全てがミーアの一本の指に繋がれていると気づいた時、既に大小様々な欠片で囲まれていた。炎を纏わせた剣で砕くも、破片は新たに指に繋がれ、闇雲に砕いていくうちに、吹雪の中に放り出されたような凍てつく寒さで満たされ、視界はとうに氷粒で埋め尽くされていた。
「あぁ……あぁ!人間!貴様の姿が見えなくなってしまったでは無いか!だが、その中で貴様が無惨に凍りつく姿を浮かべると、胸が高鳴る!身動きの取れぬ貴様を、私が堕落させてやろう!」
無慈悲に熱く、享楽に恍惚とした魔王の顔が目に浮かび、より一層寒々とさせる。足で立っているということすらあやふやになり、振るっていた命の灯火も尽きかけ、カランカランという金属が床に落ちる音が遅れて聞こえてくる。
この感覚、以前にもどこかで味わったような気がする。それも何度も。そしてその度に「死」という単語が頭に浮かんでいた。
『少年!起きるんだ!ここで寝てしまっては全てが台無しだ!それでいいのかい!?』
今の今まで傍観していた神様が、私にだけ聞こえる熱のこもった声で私の目を覚まさせる。手足の感覚などとうになくなり、脈打つ鼓動が直に感じられるだけの体に指先が触れる。
「存在……消滅……!!」
震え掠れた声が吹雪の中で木霊する。瞬後に体は寒さから逃れ、真っ白い空間の中で仰向けに倒れていた。
「くっ……私が欲していた力をこれみよがしに使って逃げるとはな…ははっ、しかしそれでこそ楽しみがいがあるってものだ……!」
どこか、はるか外から悦楽に浸るミーアの声が耳元に届く。冷たくなっていた息も、じわじわと熱を取り戻し始める。寒暖差に気だるさを背負いながらも、しっかりと両足で立ち上がり、再び自らに触れる。
「存在消滅!!」
真っ白い空間に別れを告げこの体を消し去ると、吹雪の晴れた魔王の間にて熱風が吹き荒れる。意気揚々と飛び出したが、どっと吹き出る汗に目の前がぐらつき、少しでも涼もうと周囲の水気で氷を作り出そうとして余計に体力を消耗たが甲斐もない。歯を食いしばり、反撃を恐れず、蛮勇にミーアに向かって走り出した。
「ふむ、流石に貴様も暑いか、これで倒れてしまってはつまらない」
ミーアは黒いローブを脱ぎ捨て、汗に濡れて服の生地がピッタリと肌にくっつき、体のラインがはっきりと見えたその瞬間、魔王は脱ぎ捨てた勢いで起こった風をすぐさまその手に掴み、素早く振り上げて豪風を巻き起こした。必死になって殴りかかったが、その風によって私の体はミーアの白い肌に触れるよりも前に押し返され、彼女のいる入口から最も遠い壁に打ち付けられて熱風に焼かれ、意識を手放した。
「……なるほど、伊黎さんの力も、先程のように組み合わせられれば、一切歩かずとも無力化させられると」
少しずつ戻りゆく意識の中、エルピスは僅かに感心していた。先程の遊びでミーアから話を聞いているに違いない。人間の軍曹と戦った時と同様手も足も出せずやられっぱなしで、悔しくないわけが無い。むしろ、目覚めることが恥であると自らを追い込ませていた。
「しかしな……あいつはどこか全力でない気がしてな」
「一度私も剣を交えたことがありましたが……比べ物にならないほどに衰えていました……」
「でも、私が死神の鎌使っても、ミーアさんには勝てない気がするよ?さっきのお兄みたいに何も出来ないかも」
安全圏で傍観していたエルピスとアルプスの言ったことが、どうにもバカにされているような気がして、体の奥底から悔しさと怒りが沸き起こる。歯ぎしりをし、奥で話し込んでいた三人を睨む。目を開いた瞬間、魔王の間は炎に包まれ、エルピスは慌ててアルプスを抱いて空を飛んだ。
「……やはり貴様は本気ではなかったのだな」
「さっきまでのお兄と……なんだか雰囲気が違う」
「あの時と同じ……でも根本的なものが違う……こんなに激しい炎、見たことがありません」
三人の視線が瞬時に集まる。体の中に棲む神様も、レイカも何も言わず、轟々と燃える炎が魔王の間を焼いていた。拾い上げた剣にも燃え移り、手足が炎に包まれても、痛みが力に変わるだけだった。
「……第二ラウンドと行こうか」
「次回のUnleashed Antiquerは」
「ようやく貴様の実力が測れるな。同盟者として、楽しみで仕方がない!」
「負けたことが悔しいんじゃない。何も出来なかったことが悔しいんだ」
「ははは!しかしこれは遊びだ。あまりムキになるなよ?」
次回、Unleashed Antiquer 烙炎
「全力でやらねば面白くない。そうだろう?」
「まぁ、貴様が倒れている間、私もいくらかは回復した……死合おうか」
「私の力、舐めるな」
「魔王を、舐めるな」




