エルとエルビス
「ご主人様ー!」
「リヒトー!!」
後光が差す翼を広げたエルの末裔を前に、どこからか少年少女の声が聞こえてくる。土を蹴り、息を切らしながら走ってくるそれらに目を向けると、翡翠色と紺碧色が紅い空の元に目立って近づいてきた。
「レイカ!」
「アルカルテ!無事だったか!」
紺碧色の髪の少女は、主人の帰りを待っていた犬のようにリヒトに飛びつき、翡翠色の髪の少年は私の前で歩を弛め、紅く光が差す方を見上げた。
「あれは……エルピスさん?なんで僕たちに刃を向けてるの?」
「私達にも分からないことだらけなんだ……でも、あの目の光を失わせないと、エルピスが取り返しのつかないことになるみたいなんだ」
「取り返しのつかないこと?」
「……ここにあった廃墟で見かけた人達みたいになる」
「そう、なんだ……」
レイカは前髪で目が隠れてしまうほどに俯き、歯を強く噛み締めて再び光のほうへ見上げる。
「僕が叩き落とすから、その後にご主人様達が何とか気絶させて!」
「ま、待て!レイカ!!」
呼び止める声も届かず、蹴っていた土を力一杯踏み込んで跳び上がる。手を伸ばしても届かないほどに高く飛んでいる彼女を見据え、赤い空に木霊する咆哮をあげ、翡翠色に輝ける鱗を纏った翼龍へとその姿を変えた。
喉を鳴らして唸る彼にELVISは一切意識を向けることなく、龍が飛び立つのを見届けていたエルに一点集中している。その後ろで彼は大きな翼を羽ばたかせて雲を突き抜けるほどに空高く飛び上がり、鷹が獲物を捉えるように高速で降下し、後ろに一切意識を向けないELVISへ向けて空中で全身を一回転させ、頑丈な鱗に覆われた尻尾を叩きつけた。
「な……なんで……?」
龍の尻尾は僅かなズレもなく彼女の背中に向かっていた。無鉄砲な彼の蛮勇な姿を見ていた私たちはその期待を一瞬にして打ち砕かれた。
かかと落としのように振り下ろされた尾は、バリバリと弾ける音を立てながら、もうすぐで届くというところで見えない壁に阻まれていた。見えない力に龍の巨体は易々と押し出され、唸り声を上げながら空の上へと投げ出された。
(まだだ……!これだけが龍の使い方じゃない!!)
雲の上に投げ出された彼の声が胸の中に響き、赤い太陽に照らされ影を映し出したそれを目にする。レイカの翼が雲を吹き飛ばし、雲ひとつない紅天が私たちを照らす。龍の翼が巻き起こした豪風がELVISの足元で小さな竜巻を作り始め、周囲の空気を巻き込んで段々とその形を大きくさせていく。
砂や小石、館だった瓦礫までもが巻き込まれ、地面に突き刺した刃がなければ私達も巻き込まれてしまいそうな大竜巻がELVISを襲った。
翼を羽ばたかせるだけで、自然災害をいとも容易く巻き起こすその力に密かな恐怖を覚え、同時に彼女に対する同情を抱いた。しかし、それも一瞬にして新たな恐怖へと姿を変えた。
風が止み、砂や瓦礫が重力に則って土埃を上げる。落ちた衝撃で吹き荒れた風に目を覆い、再び空を見上げると、怒りを通り越した無表情で見下ろす彼女が、全くの無傷で無言で佇んでいた。
「一体どうなってやがる……!エル!姉貴の力、どんなのか分からねぇのか!?」
自然災害を直撃しても傷一つついていない彼女に畏怖嫌厭の情を抱いたリヒトがアルカルテの肉壁となりながら声を上げる。純白の一枚布を茶色く汚した私たちの始祖は、静かに首を横に振った。
「いくら我の血縁者と言えど、全てを把握している訳では無い!」
「ってことは、エルさんでも分からないってこと!?」
「あぁ……我々の力は存在そのものに干渉するものだ。作ったり壊したり、形を変えたり……だがやつのそれはどれにも当てはまらない」
「くそっ!使えねぇな!!本当に俺たちの先祖なのかよ!」
目を血走らせたリヒトは槍を握る手に力を入れ、空高く飛んでいる彼女を目掛けて投擲した。風を切り、まっすぐと飛ぶ三叉槍がELVISの翼にもう少しで刺さろうとしたその時、レイカが振り下ろした尻尾の時と同じように、透明な壁に弾かれ、その勢いを全て失って地面に向かって落ちていった。
「壁……?拒絶、撃攘……いや違う、もっと別のなにかだ……」
「エル!兄貴!!何ぼさっとしてるんだよ!なにかしねぇと糸口見えねぇぞ!!」
「せめてエルピスの力がどんなのかさえ分かれば……!!」
握った大剣の柄に力を入れ、槍を拾いあげようと走り出したリヒトを追いかけエルの前から走り出す。その瞬後、彼女のサーベルがゆっくりと天を指す。負けじと透明な壁を打ち破ろうと、巨体を活かした体当たりを仕掛けたレイカが空中でピタリと動きを止める。
(う……動けない!!助けてご主人様!)
龍の巨体はまたも透明な壁に阻まれ、天を指した刃に突き刺された様子は見られない。遠くから見ても、近くから見上げるリヒトにも、動けない原因が分からないようだった。
必死に足掻く声が胸を苦しめるほどに響き渡る中彼女は、無慈悲に空に向けた刃先を、斬るように素早く振り下ろす。それと共に動きが宙で止まっていた彼が刃の軌道に沿って操られるように動き、巨体が易々と投げられ、凄まじい勢いで地面に叩き付けられ、土埃を混ぜた強風が私たちを襲った。
「そうか……!わかったぞ!あやつの力は……」
強風に煽られ、刃を地面に突き刺すまもなく吹き飛ばされる中でエルがそう呟いた。
「存在掌握!生命すらも意のままに操り、我々の思考も全て手に取るように察知されてしまう力……!」
地面に叩き付けられたレイカが人の姿へと戻り、倒れ込んだままELVISの力によって私の手元にゆっくりと戻されると同時に、気絶していた彼が独りでに私の中へと入っていく。その光景を目の当たりにしていたエルが焦って彼女の方を向き、再び口を開いた。
「そして……我々は既に奴の領域内に入っている……」
「レイカがエルピスに触れることすらできなかったのもその力のせいなのか!?」
「あぁ、あの龍がELVISの掌握領域に触れるところで阻まれ、先程の槍が刺さる前にあやつの力によって直接手を下さずとも弾かれた。そして今の子がお前の手に戻ったところで確信した」
「つまり、もう私たちはエルピスの掌の上……考えも見透かされているってことなのか」
エルは重くゆっくりと頷いた。私たちがどのように動いても、どのような作戦を立案しても、ELVISはその先を読み、裏をかくことだろう。
一体どうすればいい?どうすれば彼女を止められる?そんなことが頭の中でぐるぐると巡っていると、クスクスと静かに笑っている彼女がゆっくりと地に足をつけ、太陽に向けた手をゆっくりと下げ始める。エル以外が、体にかかる重力が何倍にも感じ、抵抗虚しく地面に伏せる形で顔を上げることすら叶わない状態となってしまう。
「貴方達はもう私の手の中、例え私を凍らせようとしても、塵に変えようとしても、この力で全て拒絶します。お母さんがどんな力を使おうとしても、全て止めます。今すぐに殺すことだってできますよ」
地面に映ったELVISの影が動き、手に持ったサーベルが空を切る。宣言通り、エルの首が切り落とされるのかと思ったが、舞い落ちる白い髪がその思考を遮った。エルの綺麗だった長い白髪が地面に落ち、目の前でしぶとく生えていた雑草が同様に斬られ、風に乗ってどこかへ飛んでいってしまう。
「姉貴……!本当にエルを殺さなくちゃダメなのか……?」
「ええ、殺すだけでは全く足りませんけどね」
「ELVIS、この者達は関係ないだろう。せめて自由にさせてやってはくれないか」
「誰が貴女のような罪人の戯言に耳を傾けるのですか、それに、伊黎さん達は私たちを止めたいのでしょう?ならば押さえつけておかなきゃなりません」
「罪人罪人って、エルが何したって言うんだ!」
重力よりも重い空気に肺が押しつぶされそうなまま声を絞り出すと、彼女は陽気に考える素振りを見せると、しばらくして体にかかる力が少し弱まった。人一人が上に乗っている位の重さだった。
「身の上話になってしまいますが、お話しましょう……お母さんの思考を読みながらね」
エルは一筋の汗を流し、固唾を飲む。ELVISについて知られたくないと言うよりも、彼女に自分自身のことを知られたくないと言う思いが強いように見えた。
「まず、翼族はお母さんが生み出した種族ではありますが、全員が存在の血族と言う訳ではありません。血族であるのは、本来は翼族の女王様だけのはずなのです。他の同族は、産まれたと言うより、作り出されたの方が適切な表現かもしれません」
「女王だけのはず……?姉貴は例外ってことなのか?」
「そうです。私は女王様に仕える直属の騎士団の団長を務めていました。ですが、翼族は、私と、行方不明の女王様を遺して突然絶滅してしまい、お互い無意味な肩書きだけで、無価値な地位となってしまいました」
彼女の嘘にリヒトたちは口を挟まず、私を一瞥してから再びエルに鋭い眼光を向けた。
「本来、私は生まれるはずのない生命でした。仮に私という命が産まれたとしても、血族の力を持って生まれるはずがありませんでした。ならば何故、血族の力を持っている私が産まれたのか」
「……至極単純、我がELVISを生み出してしまったからだ」
「私が人であれば良かったのに、お母さんはある本をちぎり、翼族である私を作ったのです」
「エルピスさんを作った……?ならエルピスさんは血族の力を持たないはずじゃ」
「我が直接血を与えたのだ」
「だから、直接受け継ぐことに?そんなことしなければ、エルピスの姉貴は普通の生活を送るはずだっただろう!?」
エルは自身に向けられたリヒトの怒号に表情を曇らせる。言葉を考えていると言うより、迷っているように見えた。
「当時の……いや、現女王が生まれてすぐに行方不明になったそうだ」
後悔に俯くエルを見下し続けながらELVISは、懐から黄ばんだ白い表紙の薄い絵本を取り出し、エルに向けて投げつけた。
「この本には最後の数ページが千切られて無くなっています」
「エルピスが言ってたある本って……!」
「はい、裏切りの名を冠したこのカルミアと言う絵本です。私は、Kalmia・ELVISはこの本から生まれたのです」
「我は……ELVISを女王にさせようとした。行方不明である本物の女王と入れ替えてな」
「ですが、しきたりをねじ曲げることはできず、お母さんの血を持った私は女王になることはできず、翼族でありながら血族でもある私は、代わりと言わんばかりに女王の側近である直属の騎士団団長にまで持ち上げられました」
過去を話し続けるELVISの言葉は荒れることは無かったが、過去を思い出し、はらわたを煮え繰り返しているのか、声質が段々荒れ始めた。
「当然、相応の実力が伴っていない私の地位をよく思っていない人が多かれ少なかれ存在していました。私はその人らに嵌められ、国外追放を受け、一人人間の世界で生きていくこととなりました。周りを頼ろうにも異種族である私の手を取ろうとする人間は誰一人としておらず、お母さんを頼ろうにも手がかりは何もありませんでした!」
「だからって殺すなんてこと……!」
「私はお母さんの身勝手な欲望で生まれ、本物の女王が姿を見せないまま、女王になれず二十年の時を過ごしました。私は……お母さんの欲が独り歩きして生まれた偽物なんですよ!!」
ELVISが私たちにかける力とはまた別の重いなにかが胸底にのしかかる。生みの親に捨てられたアルプスと私でも言葉を失うそれに、リヒトやアルカルテが口を挟めるはずがなかった。
「もういいでしょう……?私にお母さんを殺させてください」
「……お前の気が済むのなら今すぐにでも我を殺せ」
「エル!正気なのかよ!?」
「だが、我を殺したところでお前は自殺を考えているのだろう?」
「当然です。こんな命、お母さんを殺せばもう必要ないのですから」
「お前は我の思考を読んで自らがこの本から生まれたと言ったな」
エルは投げられた本を拾い上げ、千切られて先の読めなくなっていたページを開いて彼女に見せつけた。
「そうですが……まさか……!」
「そうだ。この本の結末からお前を生み出したからな、お前はこの本と同じ結末に辿り着くまでその生を終えることは出来ない。自ら命を絶とうとしても、苦痛が残り、前に進めなくなってしまうだけだ」
カルミアと題がつけられた本を閉ざし、息を詰まらせたELVISに押し付けて返す。
「我は存在の血族の始祖エル。先祖たるものとして、血族一人の命の性質を変えることなど容易い!」
ELVISが膝から崩れ落ちるも、私たちは彼女の力から解放されることはなく、地面に突っ伏したまま。天を仰ぎ啜り泣く彼女の声が同情を誘っていた。
「なら……私は一体どうしたらいいのですか!お母さんを殺すためだけに今まで生きてきたのに……!」
「絵本とは常にハッピーエンドで終わるものだ。しかし、カルミアという花は裏切りという花言葉を持つ。旅人を裏切って見せろ」
ELVISの全身が強張り、エルに向けていたはずのサーベルが地面に軽い金属音を立てて落ちる。
「そんなこと……出来るわけ……嫌だ……嫌だ嫌だ……!!もう何だっていい!死ねなくなっていい!殺す!お母さんだけは絶対に殺す!!」
「やめろエルピス!!!」
どんなに叫んだって彼女の耳には届かない。背中にかかる重力から逃れることすら出来ず、抵抗を見せないエルにエルピスが刃を振り下ろすところを見ているだけだった。
「次回のUnleashed Antiquerは」
「ELVISには悪いことをしたと思っている……」
「もうお母さん!お母さんなら人殺ししようとしてる子供をしっかり躾ないとダメなんだよ!」
「こればかりは我の罪だ……ELVISは一切悪くない……気が済むのなら死をも受け入れよう」
「これってもしかすると親馬鹿ってやつなのか?」
「いやぁ、違う気が……」
次回、Unleashed Antiquer 反発
「親馬鹿……?親馬鹿とはなんだ」
「子供に対して正当な評価できない親のことだよ!本で読んだ!」
「ふむ……お前の兄はELVISへの評価は正当でないと」
「親を殺そうとする子が正当なはずが……」
「我はELVISにとっての罪人だ!恨まれないことの方がおかしい!」
「あれれ?これって私たちがおかしいの?それともお母さんが本当に親馬鹿……というかバカ?」
「アルプスにも分からないのならお手上げだ……」
「うおおお!殺すなら殺せ!その殺意、しかと受け止めよう!!」




