ティナ・アルプス
モニターに映る映像をいくら変えても興味のある番組が一向に映らない。電源を消してベッドへ飛び込むと、全てを包み込んでくれるような温もりと安心感、ふかふかした感触に意識が沈んで行った。
「兄貴、まだ起きてるか?」
ドアが開かれる音ともに耳に入ったリヒトの声で意識を現世に引き戻される。
「多分寝てる……」
体を起こす余力も無くなるほどに気だるくなってしまい、普段よりも低い声で返答してしまうも、彼は扉を閉めずに部屋へゆっくりと入ってくる。
「そうか、アルプスちゃんどこにいるかわかるか?」
「隣の部屋にいるんじゃないかな……」
そう言って大きな欠伸をしながら体を起こすと、ほんの僅かに腫れぼったい目をしたリヒトが、沈んだ空気を漂わせながら私のベッドの前で佇んでいた。
「その目、どうしたんだ?」
「ん?あぁ、急いで来たもんだから、人とぶつかっちまってよ、多分、タンコブできちまってんだ」
「そういえば、楓さんのところに行ってたんだっけ……どうだった?」
「いや、至って普通だった。しばらく考えないことにするってよ……」
リヒトはそういい、真っ赤な目を逸らす。呆れたように苦笑いをするも、その表情は未だ海の底に沈んかのように暗かった。
「まぁ、楓のやつはもう心配しなくていいからさ、兄貴の妹、ちょっと借りるぞ」
「いや、待ってくれ」
彼が部屋から出ていこうと踏み出した所を呼び止める。ゆっくりとこちらを振り向くと、その目はどこか虚ろで、目の前のことが何も見えていないようだった。
「私もついて行く。楓さんにティナ・アルプスについて聞くために連れてきてもらったんだから」
「……それもそうだったな。まぁ、アルプスちゃんも一人だと不安だろうしな」
ぐっすりと起きる気配を見せないレイカを一人にさせ、部屋の電気を消して廊下へと出る。すぐ隣の扉を叩こうとした瞬間、エルピスが部屋から出ようと扉を開けた。
「あ、理仁さんに伊黎さん、何か用ですか?」
新しいタオルを手に持ち、僅かに頬を赤く染めた彼女はやや息を切らしながら尋ねる。その奥ではやや誇らしげなアルプスと、部屋の隅で蹲っているアルカルテが、私たちの存在に気づくなり目を輝かせ、意気揚々と走りよってきた。
「理仁、理仁!一緒に寝よ!どこ行ってたの?寂しかった」
「お兄!聞いて!エルピスさんってやっぱ耳弱いんだって!耳にふーってしたら、顔真っ赤にさせて身動ぎしてね!」
やや困り顔のエルピスを見兼ねて二人を宥めると、彼女はこの甘酸っぱい空気に似つかわしくないと、部屋の奥へと戻って行った。
「わりぃ、アルカルテ、今はアルプスちゃんに用事があるんだ。今日は一緒じゃなくてごめんな」
手を合わせ、悪びれるも、アルカルテは涙目になり、動揺しながら気持ちを沈ませ、布団を被っては団子のように包まれた。
「私に用事?」
アルプスは何かを思い出し、「あっ」と声を漏らす。
「もしかしてティナ・アルプスさんのこと?」
「そうだ。楓がそいつのことをよく知ってるんだ」
「わかった!すぐに行こ!」
目を輝かせたアルプスに手をグイグイと引かれ、リヒトに先を歩いてもらい、最上階の支配人室を前にする。
「楓、連れてきたぞ」
木を叩く軽い音が響くも、扉の奥からは物音しか聞こえてこない。リヒトは返答を待たず、扉を開けて中へと入っていく。
壁一面のガラス張りの奥には満天の星が一望でき、地平線の奥のさらに奥まで空が続いていた。この絶景はレイカにも見せてあげたいほどに綺麗なものだった。
「は、早かったですね」
アルコールの臭いが微かに漂うこの部屋で、楓は潰された缶を手に持ち、寒い季節の中、胸元を開けた格好をしていた。顔を赤く染めあげ、ふらつく体を見るからに先程まで呑んでいたように見えた。
「全く……まだ営業時間中だって言うのに、トップの人間が酒飲んじゃダメだろ」
薄暗がりの中、リヒトは床に落ちた缶を拾い上げ、部屋の隅に置かれたビニール袋へと投げ入れる。上手く入った時にはカランカランとゴール音が鳴り、ガッツポーズを見せていた。
フラフラな楓の代わりに部屋中の缶や瓶を全て片付けたリヒトは、今までからは考えられないほどの悲壮感を漂わせ、惜しむ楓の部屋を後にした。
「さて、貴方達名倉兄妹がここに来た理由、お話しましょうか」
楓はどっと疲れが押し寄せたかのようにソファの体重をかける。私とアルプスもそれにつられ、高級そうな真っ黒なソファへと座る。ベッドのようにフカフカで柔らかく、アルプスはその感触を楽しむように跳ねていた。
「ティナ・アルプスについてですが……」
楓がぽつりと告げた時、アルプスが険しい顔立ちとなって凍りつく。
「明るい話はありません。あの人は死神ですからね……」
「わかってた……エルピスさんからティナさんの噂を聞いた時、ティナさんはティナさんなりの正義があるんだって思ったの……」
「……きっと貴方達兄妹にとっても辛い話となるでしょう」
楓は俯き、下唇を噛む。滴り落ちる赤い雫が、黒いソファを汚し始めた。
「ティナ・アルプスは悪事の根源となる人物を殺すというのはご存知ですよね」
私たちは頷く。エルピスから聞いた話と完全に合致するというわけではなかったが、本質は同じようなものだった。
「死神は……あなた達の両親を殺しました」
特別驚くなんてことはなかった。噂を聞いてからは、むしろそうだろうと薄々勘づいていた。しかし、不思議と死神に対する憎悪が生まれることはなかった。
「あの両親は存在の血族の血を絶やすため、産んでしまった貴方達を殺すべく、自ら手を下さずに路地裏へと捨てました。そこを見つけて殺した。……と聞いています」
「やっぱり、私たちの親は……どこにもいないんだね……」
「そして、彼女も、この世を去りました」
「それって……!死んだってこと!?」
アルプスが驚愕して前のめりになると、楓は重く頷く。
「死体は見つかっていませんが、もうあれから数年経ちましたから、もう白骨化してしまっていることでしょう。ですが、彼女から唯一回収できたものを、貴女に、現代のティナ・アルプスに授けようと思います」
そう言って楓は重い腰を上げ、向かい合ったソファの間の床を力強く踏んで壊し、勢いで飛び上がった黒い大鎌を手にした。
「これは彼女が使っていた仕事道具であり、現身、『大闇鎌ティナ・アルプス』です。大切に使ってくださいね」
彼女は手にした大鎌を片手で回転させ、月のように白く輝く柄をアルプスへと向けて微笑む。アルプスはその鎌に見覚えがあるかのように目を見開き、恐る恐る両手で握る。
黒く光る峰、赤く染まった刃、白く輝くアルプスの背よりも長い柄。骨っぽく、力のない彼女が握るには到底叶わないはずのそれを小さな両手で握られると、鎌全体が強く光り輝き、粒子となって部屋中に飛び散ってはアルプスの胸の中へと入っていく。
全てが吸収された時、楓はどこか安心したかのように、満足したかのように笑顔で座り込んだ。当のアルプスは、何が起きたのかさっぱり分からないようで、目を見開いたまま硬直し、何故か涙を流し始めた。
「温かい……なにこれ……満たされていく感覚がする……」
「どうやら彼女は貴女を主人と認めたようですね。これからは死神が貴女に力を貸してくれることでしょう。その力で、お兄さんを守ってあげてくださいね」
アルプスは満面の笑みで頷き、早速大鎌を呼び出して大事そうに抱き寄せる。見た目の邪悪さと重厚さとは真逆に、軽々と扱う彼女が、再開した時の虚弱さとは裏腹に、とても頼もしく見えた。
「ありがとう楓さん!天国のティナさんによろしく伝えておいてね!」
話せるまで話したところで楓が扉を開き、アルプスがそう感謝を告げ、軽い足取りで走り去っていく。その姿を目にした彼女は大きく目を見開き、やんわりとした表情で手を振って見送っていた。
「地獄じゃなくて、天国ですか……たくさん人を殺したって言うのに……でも良かった。こうやって救われた人が、また誰かを救う力を手にすることができたのだから」
健気なアルプスを見てしみじみと言った楓は、その場で佇んでいた私を見て硬くなった笑顔を向けた。
「あの子の元へ……行かないんですか?」
「本当にあれで良かったの?楓さん……いや、ティナ・アルプスさん」
死神、元死神は驚いた顔は見せず、諦めたかのようにアルプスの背中が消えた廊下の先を見つめ、大きくため息をつき、廊下に敷かれた絨毯の上に座り込んだ。
「いつから気づいたんですか?」
「突然死神を彼女って言い始めた辺り、かな」
「あー、ははは、言葉は気をつけたはずなんですけどね……でも、それだけだと納得いきませんね。私はただの知り合いですよ?」
「人間かどうかすらも分からない死神を、人だと言い、彼女だと言った。確かに、それだけだと知り合いでも筋が通る。楓さんが死神本人だって確信したのは……あの大鎌を取り出した時だ」
「なるほど、理由を聞きましょうか」
「あの大鎌、ティナ・アルプスの現身だって言ったよね。死神は死んで白骨化したかもしれないと言ったのに、その現身である大鎌はしっかりと形を残している。死体が発見されていないにも関わらず、仕事道具を楓さんが持っている。なんで死体が見つかっていないのに、道具だけが回収できたのかな?そもそも、なんで数年前に死んだってことがわかって、それが知れ渡ってないのかな」
楓は両手をあげ、首を横に振る。流石に攻めすぎたのか、顔を青くさせ、一筋の汗を流した。
「待って待って、わかったから。私の負けですよ……そう、私がティナ・アルプスで、君たちの両親を殺した本人です。そして、名倉伊黎君、君を殺した本人です」
自然に告げられたことに狂気を覚え、思わず身構える。今すぐにでもまた殺される。そんなことを考えるが、楓はすぐに届く私の首に手をかけることは無かった。
「なぜ私は君を殺したのか、その答えはいつか知ることでしょう。一つヒントを教えてあげます。確かにティナ・アルプスは、私は死にました。では、なぜ私は今ここで君とお話をしているのでしょうか」
死んだはずの人間が生きている……そんなことができるのは、今私の体の中で眠っている生命の神……そう、神の権能を使ったから、これしか思い浮かばなかった。
「今、君が考えていることを当てましょうか、神の権能ではありませんよ」
楓はそう言って私の手を取り、心臓部に当てる。私のものとは違い、確かにそこに鼓動は一切感じられず、冷えきった肌が、私の手を凍らせてしまいそうに熱を奪っていた。
「君が指摘できなかったこの点について、答えを知ったら、この世界は君にとってどのように映るのか、とても楽しみです。きっと、君の両親の目的も、自ずと知るはずですから」
死神はそういい、私の背中を押す。振り返ると、そこには大粒の涙を流し、手を振る彼女がいた。
「さぁ、早く私の前から立ち去ってください!君の最も信じる者が目覚める前に早く!」
気づけば私の足が廊下を走らせ、振り返ることをせずにアルプスを追いかける。
「本当はナズナが拾った君を殺したくなかった……本当にごめんなさい。それと、私を、お願いします」
遠のいて行く死神の声が胸に刻まれ、無我夢中に走っていたからか、目の前にはレイカやリヒトがいるはずの部屋があった。
扉を開けると部屋は真っ暗にされ、いびきをかいて寝ているリヒトと、健やかに静かに寝息を立てているレイカ。その二人に挟まれる位置にあるベッドへと横たわると、精神的疲労と空虚感に弱った体が睡魔に襲われ、目を閉ざす。
凍てつくほどに冷たい感触が手に残り、ティナ・アルプスの言葉が、頭の中でぐるぐると回り続けていた。
「さて、始めましょうか。次回のUnleashed Antiquerは」
「え、誰?君、誰!?」
「元死神に真実を問われ、エルを訪ねるはずの旅が世界規模となってしまった名倉伊黎君。最後に眠りについた彼は、ぐるぐると頭の中で言葉を巡らせる中で一つの夢を見る。次に伊黎君が目覚めた時は、美少女天使さんの膝の上だった。そして、美少女天使さんは夢という映像媒体の中で何を告げるのか……」
次回、Unleashed Antiquer 夢と現の狭間
「ねぇ、待って!私の知り合い!?」
「美少女天使さんは君の頭を撫でて静かに笑うのです」
「自分のこと美少女天使って言わないでよ!」




