表の顔
「すげぇ、ほんとに飛んでる……夢じゃないんだよな」
「リヒト、見て、雲ふわっふわ」
紙のコンパスを頼りに新しく加わった二人と共に針が指す方へ空を駆けていく。
リヒトは最初こそ興奮していたものの、絶滅したとされていた龍の背中に乗っていることを疑い始める。対してアルカルテは、風と翼で切り裂かれる雲を掴み取り、羊毛よりも、わたあめよりも柔らかくすぐに溶けてしまう感触を楽しんでいた。
「なぁリヒト」
「ん?どうした?」
「リヒトとアルカルテって、どこに向かってたんだ?」
そう尋ねると、彼は少し考える素振りを見せ、雲で遊ぶアルカルテと顔を見合わせる。
「いや、どこにも。旅みたいなもんだ。そこに目的も意味も何もねぇ、たった二人で行ける所まで行ってみたかったんだ」
「嘘、本当は家出」
「な、おいアルカルテ!」
リヒトは顔を赤く染めあげ、一喝しようとするも、どうやら事実のようで何も言い返せずそのまま黙り込んでしまう。
「はぁ……そうだよ、家出だ。笑いたきゃ笑え」
「笑うも何も……いい歳した貴方が女の子一人連れて家出なんて、傍から見たら誘拐犯ですよ」
「誘拐犯、ねぇ、まぁ俺とこいつは血ぃ繋がってねぇし、そう思われても仕方ねえな」
エルピスが半ば呆れながら言うと、彼の癪に障ってしまったのか、怒気を見え隠れさせながらアルカルテを抱き寄せる。彼女は嫌がって振りほどこうとする様子は何も無く、心から受け入れているように幸せに満ちた表情をしていた。
「……すみません、誘拐犯は言いすぎました」
逆鱗に触れてしまったと思ってか、叱られた犬のような罪の意識に苛まれていたが、彼はアルカルテを撫でながら朗らかな表情で微笑みかけた。
「いや、いいんだ。ちょっとクソ野郎のことを思い出しただけだ」
「リヒト、あのことはもう忘れよ?リヒトが辛くなるだけ」
「……でもな、俺はこの手であいつを絶対にぶっ殺すって決めたんだ。何があってもな」
リヒトは内なる怒りから力強く拳を握り、強く噛み締めながらやり場のない力を無意味に流し続ける。
震える彼の手にアルカルテの手がそっと添えられる。すぐさま手の震えが収まり、元の陽気な雰囲気が漂い始めた。
「悪ぃな、こんな話しちまって。兄貴たちは関係ねぇのによ」
「リヒトの兄貴、復讐するの?」
「あぁ、俺は俺の気が晴れるためなら、アルカルテのためなら、喜んで悪事に手を染めるさ。アルプスちゃん、俺みたいな大人には絶対なるなよ」
彼はアルプスを呼び寄せ、アルカルテと一緒に髪を乱さないよう撫で始める。その手に魔力でも宿っているのか、彼女はなんの抵抗もなく、笑みを浮かべて受け入れていた。
「でも、私はアルプスだから、悪い人になっちゃうかも」
アルプスという単語を口にした瞬間、彼の手が止まり、思い出したかのように、暗い顔で今度はアルプスではなく、その奥の私とエルピスに向かって言った。
「兄貴、この子の本名、聞いてなかったな」
「アルプスの本名か、実は分からないんだ」
「は?だってお前、この子の兄貴じゃ……いや、いい。あらかた想像ついた。でだ。アルプスっていうのは、死神のことか?」
「リヒトさんもあの噂を知っているのですか!?」
彼は首を横に振る。僅かに俯くその表情からは、何か迷いがあるように見える。私とアルプスの顔を見比べると、その色がいっそう濃くなり、やがて悔しげなものとなってため息が聞こえてきた。
「俺の知り合いにそういうことに詳しいやつがいるんだ。死神のこともそいつから知ったしな。寄り道になるが……兄貴が死神について知りたければ寄る価値は保証する」
アルプスの話を思い出す。私と彼女は死神に助けられ、彼女は自らに死神の名であるアルプスと名付けたと。そして、アルプスは本物のアルプスと同じように死神になろうとしていると。
本名を知らぬ私の妹が思い描く死神像など全く検討がつかないが、人の間で噂になっている死神について知ることが出来れば、間接的にだが、妹について、私たち兄妹について分かるかもしれない。
「リヒト、その人がいる所を教えて欲しい。元々はエルのことを知るためにここまで来たんだ。それに、もしかすると私とアルプスに関係があるかもしれない」
「あいわかった!」
彼はそう軽快に、そして豪快に一言。それから龍の鱗から滑り落ちないよう身を乗り出して雲の隙間を覗く。
遠くの雲が晴れ、地表が見えてくる。未開拓地のような一面の草原の中には僅かな家屋と田畑が点在し、農作物たちが一面の緑を作り出していた。そのさらに奥には、リヒトとであった街と負けず劣らずの摩天楼が姿を表した。
「久々に会うからな、なんか緊張してきちまった」
焼けていく空に、摩天楼から次々と明かりが灯っていく光景を目の当たりにしながらリヒトは苦笑いを浮かべながら夕焼けよりも赤く染っていく。
街外れの人気のないところで降り立ち、翡翠色の龍は人の姿へと戻っていく。平然と無表情を向ける彼の顔からは一筋の汗が流れ、僅かに息が荒く感じられた。
「どうしたの?皆僕を見て、なにか着いてる?」
「いや、こそこそしなきゃいけねぇの、大変だなって思ってよ」
「人間達は共存派より排他派の方が多いのが現実ですから」
「何とかならねぇもんかなぁ……」
残念がりながらも、諦めずに先を進むリヒトとアルカルテに続き、摩天楼の中へと入っていく。途中、隣を歩くレイカの足取りがふらついているように見えて、前を歩く彼らに気付かれないよう足を止めた。
「あ……ごめんね、ご主人様、ちょっと疲れたみたい」
彼は何とか作り笑いを向けようとするも、かえって顔が歪み、すぐに疲弊の色が強くなった。そんな姿を見過ごす、なんて厳格なことなどできず、口では嫌がる彼を強引に背中に乗せて歩き出す。
「僕、一人で歩けるから……」
「ダメ、龍になって飛ぶの、そんなに疲れるなんて思わなかったんだから……昨日からありがとうね」
「ご主人様のお願いだから……僕にできることなら、なんだって叶えてあげる」
「じゃ、今はこうやって背負われてて」
「……わかった」
帰り急ぐ人混みの中でいつの間にか陽は沈み、青黒い空が白い星々で化粧をする。不満げにボヤいていた彼は、散りばめられた星を見上げ、感動の声を漏らしていた。
「幻想領で見た星とは違うように見えるけど、実はほとんど同じなんだよね」
そう言いながら彼は空に指先を向け、星と星の間をなぞって繋ぐ。疲れを感じさせないほどに楽しそうで、どこか心苦しそうにも見えていた。
「おーい、兄貴ー!こっちだー!」
目的地に到着してから初めて居なくなったことに気づいたのか、淡い光が漏れている横道の前で、人混みの奥からリヒト達が大きく手を振って待っていた。
小走りで駆け寄ると、彼らが待っていた場所は、周囲の建物の中で一番高く、高級な雰囲気を漂わせている、「ホテルミオソティス」と優雅な文字で書かれた建物の前だった。
「ホテル……ミオソティス?」
「あぁ、そいつの話によると、ワスレナグサっていう花の別名らしい、花言葉も言ってたような気がしたが……忘れちまったぜ!」
あまりのいい加減さに困惑していると、彼は歯を見せて笑い、身だしなみを整えながら回転扉を押して中へと入っていく。
彼に続いて入っていくと、天井が反射するまでに磨かれた大理石の床、豪華に室内を照らす数々のシャンデリア、小さな美術館を思わせる彫刻や壁に飾られた絵画の数々、雰囲気を壊さない黒いソファでコーヒーを嗜む客に、シワひとつない制服に身を包んだスタッフの無駄のない動き、素人目から見ても、どこをとっても、余裕、気品、華やかさに溢れていた。
このドレスコードがあってもおかしくないこの場に似つかわしく無い私たちがフロントへ歩いていくと、受付の最奥にいた人物がこちらを見るなり喜びを見せながら走り寄ってきた。
「リヒトさーん!」
フロントに響くほどに歓喜を見せた人物は、フロントを担当していた他のスタッフとは違い、制服ではなくスーツを身につけ、長い髪を後ろで束ねた高身長の女性だった。
フロントのスタッフが彼女を止めようとするも、歯止めも効かず、彼女はリヒトの名を呼び飛びつこうとする。人の目もあってか、彼は彼女の頭を掴んで押さえ込んでいた。
「おい、仕事中だろ……お前が従業員に迷惑かけてどうする……」
「す、すびばしぇん」
彼が申し訳なさそうにペコペコとスタッフに頭を下げるも、彼らはこれが平常かのように、嫌な顔を一つもせず笑って過ごす。
「はぁ、全く。今日は一応客として来たんだ。それ相応の対応してくれよ?」
「は、はいぃ」
そう言い、呆れた彼の手が離れると、彼女はすぐさまポケットから櫛を取り出して乱れた髪を整え始め、終わると同時に彼女が姿勢を正して朗らかな表情でお辞儀をする。
「ようこそいらっしゃいました。私は当ホテルの支配人を勤めさせて頂いております、葵希楓と申します。本日は当ホテルにお越しいただき、誠にありがとうございます」
「部屋空いてるか?出来れば三人部屋を二つ」
楓と名乗った人物はカウンター奥へと行き、フロントからでは隠れて見えなかった端末を操作する。そして満足げに強く頷き、多くの欄が設けられた紙を取り出した。
「それではこちらにお名前と年齢、その他諸共を書いてください」
先程までの丁重な対応はどこへ消えたのか、途端にそれまでの砕けた対応となり、カウンターのスタッフは苦笑いを楓に向けていた。
「本当、よくそれで支配人が勤まるな」
「ふ、普段はしっかりしてますから!」
「俺の時もしっかりしてくれ……」
「そういえば、後ろの方達は?」
「あぁ、俺の連れだ。ちょっとお前に聞きたいことがあって、連れてきたんだ」
リヒトと気さくに話す彼女にも、初対面で上手く顔を向けられないレイカとアルプスが私の背中に隠れて覗く。楓がそんな彼らを決して面白がったりせず、やんわり微笑みかけて私の前で同じ目線に立つようしゃがみ込んだ。
「こんな可愛らしい子達が私に聞きたいことですか、ホテルに社会科見学なんて、面白いものはありませんよ」
「そんな話じゃねぇ……そんな平和な話じゃねぇんだ」
楓が二人に触れようとしても避けられて悲しむ中、リヒトがそう言い、私に紙を渡す。一番上に書かれた名前には大きく乱雑だが、辛うじて読める字で「灯籠音理仁」、その下にはアルカルテの名前があった。
ペンを受け取り、空いている枠に名前などを書き、彼女に渡す。楓は書かれた名前を眺め、息を荒くさせながら目を血走らせる。そうして紙をカウンターに勢いよく叩きつけ、バンッと鈍い音がフロント内に響き渡った。
「なんで……なんで貴方がここにいるんですか!!」
「今回は私です!次回のUnleashed Antiquerは!」
「えっ楓さん!?リヒトはどこに行ったんだ?」
「安心してください!理仁さんならすぐに出てきます」
「ふぅん、そういえば、リヒトと楓さんの関係って」
「婚や……」
「ただの腐れ縁だ」
「むー!理仁さん!邪魔しないで下さいよ!」
「嘘は言っちゃいけねぇ」
「言ってない!」
「仲良いなぁ二人とも、夫婦みたいだ」
次回、Unleashed Antiquer 極楽娯楽
「俺が?こいつと?夫婦?天地がひっくり返ってもありえねぇ……」
「ひっど!ひっっっど!!泣きますよ!!ヤケ酒しますよ!!いいんですか!?いいんですね!?あーあ!缶開けちゃいましたよ!」
「体壊すなよ、お前だけの体じゃねぇんだから」
「えっ……って、なんなんですか!私を口説いてるんですか!?」
「兄貴、このうるさいの黙らせてくれ」
「よし!次回予告終わり!解散!ありがとうございました!」