総てを壊された街
日の出とともに目を覚ます。大きな欠伸を漏らして目を擦ると、どことなく倦怠感に襲われる。まだまだ眠っていたい、そう思いながらも首を動かした。カーテンは締め切られ、隙間から漏れる光が淡く、儚く遮られていた。そんな中で三人はまだまだ夢の中のようだった。
私の左腕を絡めるように組みながら抱きついて眠っているレイカは静かに寝息を立て、寝相が悪いのか、片足を露出させ眠っているアルプスはよだれを垂らしながら何やら空気を咀嚼している。そんな彼女の足を腹の上に乗せられ、苦しげな表情を浮かべているエルピスは「もう食べられません」などとベタな寝言を呟きながら、夢の中で空腹を満たしているようだった。
このままでは、油断した瞬間二度寝しかねないと危機感を持ち、体を起こす。以外にもレイカの絡めていた腕がスルッと抜け、そのまま腕を動かさずに熟睡していた。龍になって空を翔けているのだから、疲れていないはずがない。
体を伸ばし、日を跨いでも直っていない玄関を開けて外へと出る。オレンジ色に輝く朝焼けの中に、白い息がうっすらと映える。外はこんなにも寒いのだから、コタツでぬくぬくと寛いでいたいものだ。
「やあ、少年、元気かい?」
もう誰も通ることのなくなった道路のど真ん中で伸縮運動をしていると、我が家の方からそんな声がした。振り返ってみると、平坦な屋根に座りながら私を見下ろしていた神様が狐のものと同型のしっぽを揺らしながら、太陽の輝きに負けず劣らずの眩しい笑顔を向ける。
「おはようございます神様、元気ですよ」
早朝なのにも関わらず、神様には眠そうな様子は一切見られなかった。図書館にいた時から静かだった神様は、きっと私の中でずっと気楽に眠っていたのだろう。
「初日の出ってわけではないけど、こう、何も無い朝日が昇るのを見るのも気持ちがいいものだよ」
神様は地上で見上げる私に手を伸ばし、屋根の上へと誘う。断る理由などなくその手を取ると、体がふわりと浮き上がり、神様の隣へと座らされ、朝寒の元でもふもふのしっぽに包まれる。あまりの心地良さにここで眠ってしまいそうだ。
「ふふっ、やっぱり少年は朝に弱いんだね?まぁ、朝が強い人間なんて聞いたことがないんだけど。ボクの膝使って二度寝するかい?神様のお膝だよ!多分ムチムチでプニプニで柔らかいよ!」
そう言って体を寄せられ、膝元へと誘導されるも、しっぽの扱いが上手くいかないのか、枕にしたのは左肩だった。心臓に近い部分でありながらも、神様の鼓動は全く感じられない。神様の心臓は私の中で動いているのだと、底知れぬ罪悪感に襲われて眠気を覚ましてしまう。
「少年、何をそんなに気にしているんだい?まさか、ボクの肩、硬かったのかい!?」
肩は硬いだろと内心ツッコミを入れ、戸惑いながらゆっくりと頷く。そのあまりの低度さに呆れていたからか、頭を撫でられていたことに気づくのは、神様がイタズラに笑ってからだった。
「少年ってば、神様であるボクに触れられても動揺しないんだなぁ」
「もう慣れてますから……」
「ははっ!それもそうだね!それにしても……ボクが少年を見るようになってもう十年がすぎたのか……いつの間にかボクより大きくなっちゃってさ、最初はこんな小さい子供だったんだよ?」
神様は座ったまま、自分の頭の高さまで手を持っていき、撫でるように手を動かす。神様の腰から頭の高さまでしかなかった十年前の私は今や易々と神様の身長を超えて超えている。
「私からしてみればまだ一年経ってませんよ」
「あー、そうか……十年前の少年ってば可愛かったんだよ?賽銭箱の前でピョンピョン跳ねちゃってさ!中にお金入れる時も中を覗き込んでたし!あぁもう一度少年が小さくなってくれたらなぁ!」
「いつか神様が誘拐やらかしそうで怖くなってきた」
「はぁ!?何言ってるんだい!?ボクはねぇ!赤の他人には興味ないんだよぉ!」
「しー!しー!神様しー!まだ朝ですよ。アルプス達まだ寝てますって」
無人の街中に響いてしまう程の神様の大声の主張に慌てて口元で人差し指を立てる。いくら熟睡していたと言えど、ここまで騒いでしまっては起きても不思議ではなかった。
「おっと、ごめんよ……」
「全く……というか、それって生命の神としてどうなんですか」
「え?だってボクの信者は少年だけなんだから、少年と身の回りの人にしか興味無い!」
あまりに自由奔放で堂々とした態度に、これが神の中での当たり前なのだろうと割り切って納得してしまう。
気づけば、太陽は顎まで出し、未だに寒いながらも少しずつ暖かくなってきた。神様のしっぽも、心做しか惜しみながらも私の体から離れていく。
「さてと、日の出も拝んだことだし、そろそろ降りようじゃないか」
「あれだけ騒いだんだし、誰か起きてるでしょうね」
神様に手を引かれ、またも体が軽くなってふわりと着地する。壊れた扉を開けて寒い空気を極力中へ入れないようすぐに閉めると、ワンルームの中ではエルピスとアルプスが既に目を覚ましていたが、レイカはまだまだ夢の中のようだった。
「お兄……お腹すいたよ……ご飯どこ?」
「レイカが起きたらすぐに買いに行こう」
アルプスは歯切れ悪そうに渋々頷く。空腹に慣れてしまったせいか、それから何も言わずにエルピスの膝元へ頭を乗せて不貞腐れた表情を私に向けた。
それから彼が起きたのは程なくしてからだった。レイカもまた空腹であったが、そう思わせない澄ました顔で大かな欠伸を見せて外へと飛び出した。
「ご主人様、早く行こう」
「アルプスちゃん、起きてください。行きますよ」
「うー……うー」
正座していたところに頭を乗せられたエルピスの足は限界を迎えていたのか、プルプルと震え、彼女もまた苦悶を取り繕いながらアルプスの背中を優しく叩いて起き上がらせようとする。アルプスは唸りながらも体を起こすも、その後すぐにエルピスが立ち上がることはなかった。
「あのー、そのー、助けてくれませんか?」
外へ出る前に水を顔に当てていると、未だに布団の上で縮こまるよう正座している彼女が汗を流しながら言う。溺れてしまうほどに水を飲むアルプスを気にとめながら彼女の元へと向かうと、両手を私の体を目掛けて伸ばす。
「情けない話なのですが……足が痺れてしまって……おんぶ、してくれませんか」
悪びれる様子もなく甘えたがる彼女に背中を貸すと、まるで演技だったかのように飛び乗ってくる。
「なんだか懐かしさを感じます。私と貴方が初めて出会ったあの日を思い出すようで」
「あ、いいなー!私もお兄におんぶして欲しい!」
「ま、待ってくれ……また後でな」
羨むアルプスを他所に、頬擦りするエルピスを落とさないよう外へ運び出し、正面道路で既に龍となって待っていたレイカの背中に降ろす。その背中には既に神様が退屈そうに座って待っていて、両足をぶらぶらと揺らしながら晴れた空を眺めていた。
水で腹を満たしたアルプスも連れ、翡翠色の龍の背中に乗る。空腹など満たすことも出来ず、休憩という休憩もしたような気もせず、総て喪われた街を飛び立つ。友人も、思い出も、証も、総て、総て。
「いやぁ、今朝からおアツい所を見せびらかすねぇ!ボクはそんなエルピスちゃんが羨ましいよ!ボクも少年におんぶしてもらいたいよ!」
心残りもないはずなのに、小さくなっていく無人の街を見つめていると、神様がいたずらにからかいながらエルピスの頬をつつく。そのなんとも微笑ましい光景の向こうで、遠くでなにか一線が下っているのが目に映った。その線が向かっているのは、私達がついさっき飛び立った街だった。
「レイカ!飛ばせ!!できるだけ早く!!」
(わ、わかった!)
その線が一体何をもたらすのかは全く想像がつかない。しかし、良いことではないと予感が告げた。それから落下する物体から目を離すことができず、今もそれは上空から直滑降し続ける。
私はその瞬間から目を逸らし、アルプスを抱えて龍の背中に張り付く。エルピスも同様にしがみつき、神様はわけも分からず慌てて私の体の中へと逃げ込んだ。そして彼は決して振り向くことなく、両翼を羽ばたかせて風を、雲を切る。
気づくのが遅かったのか、眩い閃光が視界を襲い、数秒後に灼熱を帯びた突風と共に轟音が空にまで響き渡る。
目を潰す程の光が止み、熱風の中振り向くと、炎が混じった雲が地面から湧き上がり、黒煙が周囲から巻き上がっている。遠目から見てもわかるほどに、そこにはもう私の育った街は燃え尽きて無くなり、周辺地域に火の手が回っていた。
(ご主人様)
一瞬の出来事に愕然としながら、目の前の光景を意図もせず脳裏に焼き付けていると、意識の中でレイカが語りかける。
(どう……した……)
(昨日の夜のあの子、逃げられたのかな)
(灯織か……さぁ、分からない)
(無事だといいね)
一体誰があんなことをしたのかなんて分からない。灯織が逃げきれたのかも分からない。ただ、唯一わかることは、もう二度と平穏な日々は戻らないことだった。