種族の壁
灰紺とした空から白い粒が礫のように顔に直撃する。疾走に風を切り、ゆらゆらと降る雪が、まるで吹雪のように感じられる。
(そろそろ着くよ)
冷淡で無慈悲な雪から露出した肌を守るように腕を盾にしていると、この寒さをものともしない翡翠色の龍、レイカが私の意識の中に語りかけてきた。腕の隙間に入り込んでくる雪もなくなり、白息を吐いて盾を外すと、そこには人間の街と大差のない、一昔前の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ってしまうほどに現代技術を取り入れていないであろう街並みが広がっていた。
「ここが、魔族領なのか?」
思わず疑問を口にしてしまうほどにイメージと異なり、人間が混じっているのではないかと下を見下ろすも、道行く姿はオークやサキュバス、スライムにミノタウロスと言ったもの達だった。エルピスや神様もレイカの背から身を乗り出して見下ろし、同じ光景を目にして好奇の声を上げた。
「おお!トレントやゴブリンもいますよ!」
「へぇー、人間は人間って括りの中だけで生活してるけど、魔族は別種とか関係なしに暮らしてるのか。まるでボクたちみたいだね!少年!」
「そう、なのかな」
初めての光景に心躍らせる二人が珍しいもの見たさに飛び降りてしまわないかとヒヤヒヤして苦笑いをこぼす。そんな中、レイカは城らしき建物をただひたすら探し、街並みを眺めている余裕はなさそうだった。
(レイカ、街を歩いてる魔族たちに聞いてみないか)
(ごめんなさいご主人様、それは許容できないかな)
数時間ほど飛び続けていた彼を思っての提案だったが、容易く却下されてしまう。城のような大きな建物であれば空から探す方が良いのかもしれないが、それでもなお断られる理由が知りたかった。
(だって、昔は仲が良かったのかもしれないけど、今はそうでもないんでしょ?ご主人様が標的にされるくらいなら、僕、頑張って探すよ)
確かに彼の言うとおりで、人間である私が安易にこの地に足を踏み入れてしまっては袋叩きにされる可能性が大いにある。それでも、私は無力ではないが、ここは甘えてしまおうとすら思っていた。
(そうか、なら頼むよ)
神様もエルピスも聞こえない私の意識の中でレイカとの会話を終える。頼もしい彼の鱗を撫でると、その感覚が伝わったのか、先程よりもスピードをあげて空を駆けた。
(あ、あれかな)
人間の領地とは打って変わって、寒空であるものの、晴天で見晴らしのいいこの地でたった一つの建物を探してはや小一時間。彼の下には先程よりも栄えた街が広がり、その中心部には、城と言うよりも、塔のような建物がそびえ立っていた。都合よくその近くに無人の公園があり、そこに降りては禍々しい紫色の塔を見上げた。空からでは周囲の家よりも大きいという印象しか抱かなかったものの、間近で見あげると、天にも届いてしまいそうなほどに高く伸びていた。
幸運にも、街ゆく魔物たちはこの城には用もなく近づかないようで、遠くから私たちのことを睨みつけるだけで何か手出しをする様子は全くなかった。
「カチコミだー!」
神様は勢いよく魔王城の入口である自動ドアを走ってくぐり、中の魔物たちから冷たい視線を浴びる。
「どこでそんな言葉覚えたんですか、もしかしてあの漫画ですか」
「ご主人様、カチコミって何?」
心底呆れながら続くエルピスに、袖をつかみながら不思議そうに私を見上げるレイカ、神様の暴挙に胃が痛くなってしまいそうだった。
「あ、貴方は」
どこからか突然、聞き覚えのあるような声がする。まさかと思い、声の主を探していると、カウンターの奥に立っている紫色の肌のサキュバスが、一人?一体?で傍観者のように私のことを凝視していた。
「君は、確か」
当時のみすぼらしい布切れとは打って変わって、リクルートスーツを着こなした、あの時のあの子が、冷淡とも無表情とも取れる顔立ちでいた。
「ええ、あの時貴方達に連れ出されたサキュバスです」
神様はようやく現状に気づき、エルピスも彼女の存在に気づく。私たちの視線を集めるサキュバスは緊張する様子も、怖気付く様子もなく、事務的に仕事をこなそうとこちらに背を向けた。
「着いてきてください。魔王様がお待ちです」
目の前を歩くサキュバスのように、身の丈に合った、人間が着るようなスーツを着こなしている魔族たちが物珍しくなってしまう。すれ違う彼らは私たちの視線が不快なのか、それとも私たちがここにいること自体が不快なのか、外にいた魔物たちよりも敵愾心をむき出しに睨みつけていた。
「安心してください。貴方達は絶対に傷つけるなと魔王様がきつく言いつけてありますので、襲われる心配などありません」
何も言わずとも、彼らの視線から私たちの心情を連想したのか、彼女がスタスタと足早に通路を歩きながらこちらに振り向くことも無く言う。そこまでさせるとなると、本当に魔王は私達と友好関係を結びたいのだと信じてしまう。
建物は一昔前のものだが、技術は発展しているのだろう。サキュバスが向かった先にはエレベーターが存在していた。上下移動が劇的に快適になるこの箱が魔族領でも活躍しているとはと、何故か嬉しくなっていた。
ボタン一つで上にも下にも短時間で移動できる箱に乗り込み、サキュバスは一番上の階のボタンを押す。直にドアが閉められ、上へと上がっていく。
「やけに来るのが遅かったじゃないですか。魔王様も待ちくたびれてましたよ」
最上階に着くまでのこの無の時間になにか添えようと彼女が切り出した。
「いや、だって、魔王から手紙が来るなんて思わないんだから、疑うよ」
「人間と魔族の関係は決して良くありませんからね、それもそのはずです」
「ねぇお姉さん」
「なんでしょうか」
レイカが何やらなにかに興味を抱いたようで、もうすぐ最上階に着いてしまうにも関わらず、愛想を決して振りまこうとしない彼女に尋ねた。
「なんで魔族と人間って仲が悪いのかな」
その時、エレベーター内でアナウンスが鳴り、ドアが開かれる。目の前には一本道が続き、その最奥には黒と紫と言った禍々しい配色の大扉が、今までの人間的な雰囲気とは異色を放っていた。
「それは魔王様から直接伺ってください」
エレベーターを降りると、彼女は役割を終えたようで、私たちを残して降りていく。空気の流れが聞こえそうなほどの無人の通路で足音だけを響かせ、大扉に手を置き、押し開く。
「んむぅ……誰だ」
全体的に暗い色で統一された床や壁を青い炎が灯りとなって照らしつける。部屋の最奥では玉座に座ってうたた寝をしていた。人間ではないが、人間と全く同じ姿形をした、白髪の長い髪をして胸元を晒しながらも体のラインを隠した黒い布地で身を包んだ女魔王が眠たげに薄目でこちらを見定めていた。
「人間……か、どうせまた私の首を狙った輩だろう。生憎とまだ死ぬ訳にはいかないものでね、来るならいつでも来い、返り討ちにしてやる」
魔王は圧倒的な余裕を見せ、大きな欠伸をしながら手を前に掲げた。だが、こちらに戦意など微塵もなく、懐から三通の手紙を取り出して見せた。
「あー、この手紙を貰った者だけど」
すると魔王は急激に目を覚まさせ、玉座から立ち上がって歩き出した。
「なぁんだ。それならそうと早く言え、人間。貴様達が来るのをどれほど心待ちにしていたか、さぁ座れ、貴様らは私の客人だ。もてなそうではないか」
どこからか人数分の椅子とテーブルが突然現れ、魔王に催促されて座ると、彼女が最後に座り、張り詰めた空気の中でニヤリと笑いだした。
「魔族の間でも自己紹介というのは自分からするのが礼儀でな、私は堕落の魔王、ミーア。一方的ではあるが、貴様たちを呼びつけた張本人だ」




