存在の血族
存在の血族。エルピスが聞いた死神の噂のように、こちらも聞いたことがなかった。当然アルプスはミーアの元で育ったためか初耳で、共に首を横に振るだけだった。
「これは良かったと言うべきか、悔やむべきか……まぁ知らぬのなら良い。だが私もこれに関しては全て知っているという訳では無い。そこだけは承知して欲しい」
「ミーアさんは人間のこととか、魔族のこととか、色んなこと知ってるのに、エルの血族については知らないの?」
アルプスが純粋な疑問をミーアに向けるも、彼女は呆れるように大きくため息をつく。叱られるとでも思ったのか、アルプスはそんなミーアに怯え、私の背中へ隠れてしまった。
「あのな、アルプス。確かに私はお前にこの世界のことを色々と教えた。だからと言って全ては知らん。全ての神が全知全能ではないように、私にだって知らないことくらいある」
「……ごめんなさい」
「なぁに、怒っていないし、謝って欲しい訳でもない。まぁ、これも教えの一つだと思ってくれればそれでいい」
私の陰に隠れていたアルプスがおずおずと体を出し、やんわりと微笑むミーアに上目遣いをするよう目を合わせた。
「わかった……」
「よし、いい子だ」
怯えるアルプスも、ミーアがポンポンと頭を優しく叩くだけで、さっきまでの、しおれた顔が、日を浴びた向日葵のように満開の笑顔が咲き誇った。
「っと、すまない。話が逸れてしまった。存在の血族についてだが……この世界を作った者達の一人、エルの血筋を引いている者のことを指す。そして、存在の血族は皆共通して、物の有り様を操る力を持つのだ。貴様が私の前でテーブルを消したようにな」
「ということは……アルプスにも何らかの力があるということなのか」
「兄妹なのだからそうだろうな。だがしかし、何か条件があるのか、未だにそいつの力を見たことがない」
「手がかりは」
「これ以上のことはどうやら極秘情報のようでな、これ以上知らないのだよ。だがな、情報があるかもしれない場所を知っている」
私は一度そこに立ち寄ったことがあるかもしれない。全ての情報の原典が集まる場所。世界機関を。
「世界図書館か」
「む、行ったことがあるのか。あそこは簡単には行けないはずなのだがな」
「神様と行ったんだ」
当時の記憶がノイズだらけで鮮明に思い出せない中、僅かに正常な記憶を繋ぎ合わせながら言うと、ミーアは少しの間何かを考え込み、やがて納得するように頷いた。
「そうか、神なのだから一度訪れたことがあっても不思議ではないな」
「ねぇねぇ、私とお兄が存在の血族のことを知って、そのあとはどうするの?」
アルプスの問に対する答えをミーアは持っていなかったようで、簡単にお手上げ状態のまま、その場で少し考え込む。
「そうだな……お前たちの親のことが分かるだろう?知りたくないか?自分の家族のことを」
ミーアは一筋の汗を流しながら、ひねり出した答えを言うと、アルプスは少し俯き気味に首を横に振る。
「ううん……今はお兄もいるし、何より私のお母さんはミーアさんだから」
嬉しいようで悲しいようで、とても辛いようで、残念なようで、ミーアはそんな入り交じった感情を胸を掴んで中で押さえ込み、爆発しないように一呼吸置いた。
「全くお前と言うやつは……」
その声に怒気が見え隠れするも、アルプスは先程のように怯えることはなく、年相応とは思えないほどに諦めた目をまっすぐと向けていた。
「まぁいい。しかしだ。私は一人の魔族として、この地に住む者として、そして同盟者として、素性を明かせぬ者は簡単に信じることはできないのだよ。これはお前のお兄のためでもある。だからどうか、己のことを知ってはくれないだろうか」
「お兄の……ため……?」
アルプスの目に少しづつ光が宿り、私を見上げる彼女と視線が交わる。やんわり微笑むと、彼女は力強く頷き、確固たる覚悟を持ってミーアの方へ振り向いた。
「わかった。世界図書館に行くんだよね」
「そうだ……!わかってくれたか!」
彼女は揚々となり、心躍らせる中、視界の端であるものを捉えると、それは一気に興醒めとなってしまった。未だに身をよじらせているエルピスの姿だった。
アルプスの囁き声が余程堪えたのか、しばらく経過しても蕩けた顔が元に戻ることはなく、今にも蛇行してしまいそうな程にしなやかにくねらせていた。
「こいつ、大丈夫なのか?」
普段の冷静でほんのりと凛々しさを放つ彼女とは正反対の、異常なまでに蕩けきっているそれに、私もお手上げだった。試しにエルピスの頬をつついてみるも、言葉にならない声を発するだけではっきりとした反応が返って来なかった。
「おーい、エルピスー、しっかりしろー」
名前を呼んでも、醒めない夢に囚われた彼女を見て、アルプスの顔が少しづつ青ざめていくのが感じられた。
「お、お兄……もしかしてこれが私の力なのかな……?」
「ま、まさかそんな……ははは……」
乾いた笑いしか出ない中、どんなに彼女の体を揺さぶっても正常な意識が戻ってこない。そろそろ危機感を感じ始めたアルプスが涙目になり、その小さな体で覆い被さるように、倒れ込んでいるエルピスの顔の横に手を着いた。
「起きて……エルピスさん……!すぐにとろけちゃうよわよわエルピスさん!」
彼女の上で四つん這いのアルプスが軽く罵倒を浴びせるも、彼女の表情は更に蕩けたものになる。どうやら言葉責めされるのが好きなようだ。
どれほど体を揺さぶっても、罵倒を浴びせても起きないエルピスに我慢の限界を迎えたのか、水滴が彼女の頬に落ちて伝う。
「うへぇ、へへぇ……はっ!私は一体何を!」
ようやく目覚めたのか、体を跳ねて起き上がらせ、呆れた表情のミーアと、安心しつつも、変態な一面を見せた姉となりうるかもしれない人を前に拗ねるアルプスを交互に慌てて見比べ、最後に苦笑いを浮かべる私で強気な視線が止まった。
「ラクイラさん!状況説明を!!」
「エルピスに被虐性欲があることがわかった。以上」
「な……!そんな変態を見るような目で言わないでください!!」
否定しないのだから、そう思われたって仕方がないだろう。私の中でのエルピスの凛々しくも活気ある姿が、目の前で恍惚としているこの一瞬にして崩れ落ちてしまった。
「ようやく茶番が終わったな……エルピス、お前も来てもらうぞ」
「ふぇ?どこへ行くのです?」
そんな彼女の間抜けな返答にミーアは、ため息だけでは呆れの程度をゆうに超え、片手で両目を覆い隠しながら首を横に振った。
「貴様……これまでの話が耳に入っていなかったのか……世界図書館へ行くのだよ」
「世界図書館?ここから果てへ向かうのですか?一体どうやって」
そこへは一度訪れたことはあるものの、実際にはそこの正確な場所やヒントとなり得る情報は何も無い。
そんな中、ミーアは高慢にくすくすと笑い、片手の平に魔法陣を浮かべ、十重百重と巻かれた、片手では収まりきらない程の大きさのロールを浮かび上がらせ実体化させる。
細長い紙で巻かれたそれには等間隔でミシン目がつけられ、ミーアは端から四枚目までを切ってから紙束をしまった。
「これは簡単に言えば世界図書館行きの往復切符だ。これを少しだけちぎって」
ミーアは自身の持つ一切れの切符を実践するよう僅かにちぎる。その紙が完全に切れることはなく、半分を残したところで彼女の姿が光に包まれ、粒子を散乱させて瞬く間に姿を消してしまう。
ほんの僅かな時間の出来事に仰天する中、各々が自らの指で挟んだ切符に目を向ける。そこに疑いはないはずだが、この場に些か不安が積もっていた。
「ねぇ、お兄……もし本当に私たちにエルって人の血が流れていて、私にもその力が使えるなら……」
アルプスはそれから言葉を詰まらせ、続きを待っているところで誤魔化すよう微笑んだ。
「やっぱなんでもない。早く行かないと置いてかれちゃうね」
「世界図書館、どんな所か楽しみです」
淡い期待を指先に込め、紙切れをビリッとちぎった。
光が晴れ、瞼を閉じていても刺さる夕焼けにゆっくりと目を開くと、目の前にはあの時と何も変わり映えのしない、天上に高くそびえ立つ、最上階の見えない塔のような建物があった。先に向かったミーアを追いかけ中へと入ると、相変わらず行く手を遮る本棚の迷路の隙間から見える向こう側にで、ミーアと、この図書館の司書であるヴィオリが仲睦まじく言葉を交わしていた。




