魔王に拾われた人間
すすり泣く少女にミーアが駆け寄る中、人間が鉄扉の奥に幽閉されていたという事実に驚愕する。黒い長髪に加え、膝を曲げて蹲っていることでその顔は伺えぬものの、エルピスのような、か細くスラッとした体型が、目の前にいる人間が少女であると認識させた。
「おい、どうした?また何か悪い夢でも見てしまったのか」
ミーアは口調はそのままに、声質は柔らかく和やかに尋ねると、少女は腕で涙を拭い、小さくこくりと頷く。ミーアが少女の背中を摩る中、私たちは少女の存在にただ立ちすくしているだけだった。
「まさか……人間がここにいるなんて……」
「私が拾ったんだ。路地裏で死にかけていたからな」
「捨て子……だったんだね」
人里から切り離され、龍に育てられたレイカが、感傷に浸りながら小さく呟く。同じような境遇だった彼にとっては、どこか思うところがあるのだろう。
「お前が悪夢を見るだなんて珍しいじゃないか、どれ、聞かせてみろ。慰めになるかもしれない」
少女はこくりと頷き、ミーアに体を寄せながらやがて抱きつく形になり、ミーア自身も少女の幼さの残る体を優しく包み込んでいた。
「路地裏で……お兄が居なくなって……帰って来なくなる夢……」
「そうか……あの時の記憶が夢となって浮かび上がってしまったのか」
ミーアは「よしよし」と言いながら少女の頭を撫で、慈愛に満ちた優しげな表情で、震えながら零す涙を受け入れていた。
「兄妹がいたのか……」
「あぁ、こいつの兄は……こいつと二人きりで生活していてな、道行く大人達に助けを求めることも出来ず、大人達も見て見ぬふりをして、たった二人で生きながらえていたんだ」
「路地裏……兄妹……」
「どうした?何か心当たりでもあるのか?」
心当たりと言うよりも、奥底に靄がかかったような感覚が沸き起こる。その少女のことは何も知らない。自分にもそのような過去はないはず。それなのに、同情してしまうように自分のことと思ってしまう。
「いや……ない」
「そうか……残念だ」
「今までこの城に来た人間は居ます?」
少女のすすり泣く声と布を摩る音だけが木霊する密室の中でエルピスが疑り深く尋ねる。
「あぁ、私の首を狙った人間が沢山な」
「その人にその子を預けようとは」
「……最初は思ったよ、しかしな、どうやら私はこいつに愛着が湧いてしまったらしい」
ミーアはそう言いながら苦笑いを浮かべる。それがエルピスに向けられたものなのか、少女に向けたものなのかは定かではないが、少女に対するその心は嘘偽りではなさそうだった。
「……どうやら私はとんだ思い違いをしていたようです」
「何の話だ?」
「魔族は人間と絶えず争いをしているという話を聞いてから、いつか貴女は裏切って、私たちを殺してしまうのではないかと思っていました。ですが、その子と、その子に対する貴女の優しさを見て、わかったんです。貴女は人間が好きなんだと、愛しているんだということに」
エルピスの心から安心しきった言葉に、ミーアは少女を摩る手を止め、呆気にとられた表情を見せ、耐えきれずに吹き出した。
「ふっ、ハハハ!面白い、私が人間を愛しているだと?」
「なっ!違うのですか!?」
「あぁ、私はどちらかと言えば人間を憎んでいる。我が同胞を殺し、この魔族領へと侵攻する人間を、魔王である私が何故愛さねばならない。先代魔王も、人間領で死に絶えてしまった魔族たちも人間を愛していた。愛していたが故に殺されたのだ。だから私は誓った。魔族と人間との間で平和がもたらされるまでの間、人間という種族を愛さないと!」
魔王の怒りの籠った力説に私たちは言葉を挟めず、口を固く閉ざす。過去の人間が魔王をこうさせてしまったのだとやるせない気持ちでいっぱいになってしまった。
「だが、こいつとそこの人間は別だ」
荒々しい語気が一転し、先程の和やかな声色に戻る。ミーアの力説の時に震えていた少女は落ち着きを取り戻し、彼女の顔色を伺っていた。彼女はそんな少女と目を合わせ、微笑みながら優しく頭を撫でていた。
「きっと私はこいつが好きなんだ。こいつが居てくれたから私はそこの人間に協力を申し出ることができた。こいつが居なければ、きっと私は、立派な魔王になってしまったのかもしれない」
少女は微笑むミーアに安心し、これまでのように再び体を預ける。少女の体温を直に感じているミーアは自らの何よりもそれを大切に扱い、深い慈愛……と言うよりも、母性に近いものを持って少女に触れていた。
「人間、私はこいつを手離したくない。しかし、こいつはいつか、人間の元で暮らさなければならない。魔族と人間との関係が改善されたとして、昔のような生活が戻るとは限らないからな。今は貴様だけが頼りなんだ。だから、絶対に、私達を裏切らないで欲しい」
「もちろんだよ。血の盟約も結んだんだ。いつかミーアの思い描く世界を、一緒に作ろう」
「……頼もしいな。エルピス、私は貴様達を裏切るつもりなど一切ない。魔族たちにも貴様達は仲間だと伝達しておく。だからこの領地であまり警戒せずに過ごして欲しい。先程は少し強く言ってしまったかもしれないな、すまなかった」
「いえ、別に……謝らなくとも……私こそ疑ってすみませんでした」
「ハハハっ、なぁに、疑うのも無理はないさ」
部屋全体が朗らかな空気になったところで、退屈だったからか人形を物色していた神様とレイカが手のひらサイズの人形を手にして少女の興味を引こうと、遊ぼうとしていた。それでも少女は神様とレイカと一緒になろうとはせず、嫌がるように視線を逸らし続けていた。
「うぅ、しょうねーん!この子ボク達に興味がないみたいだ……」
「今まで魔族だけを見て育ったからな、未知のものを前にして怯えているのだろう」
「お兄以外……見たくない……」
「だそうだ。伊倉、レイカ、すまないが、今は諦めてくれ」
「ちょっと残念だね」
「少年に似てる気がしたから余計にねー」
軽く落ち込みながら私の体の中へと帰っていく一人と一柱が放った言葉が妙に引っかかり、慌てて少女と私の顔を見比べるミーアと、半ば呆れ気味のエルピスに見つめられる中、少女の顔を覗いてみると、たまたま目があった。似ているかどうかは判断しかねるが、もしもこの少女が妹だったら、私はなんと声をかければいいのだろうか。
少女は私と目が合うと、自らミーアから離れ、ベッドから降りて私の前に立つ。少女を目の前にして見ると、やはり四肢の骨の浮かび上がりが気になるが、魔族の元で育ったにしては、魔族の影響を全く受けず、人間としての理性がしっかり根付いているように見えた。
そんな少女に右手を取られ、抵抗するでもなく、そのまま頭にぽんと置かれる。レイカやエルピスのようなふんわりとした髪質ではなく、もっとガチガチの、手入れが施されていない痛みきった髪の上に手が置かれた。そして少女は大粒の涙を浮かべ、満面の笑みを見せる。
「お兄だ……やっと……やっと会えたね……」