婚約者を取られた公爵令嬢…わたくしは悲しみを乗り越えて、しっかりと生きて行こうと思います。
エステローゼ・カルディルナ公爵令嬢には、相思相愛のディオルグ・レグリアハレス公爵令息と言う、同い年の婚約者がかつていた。
エステローゼは金髪碧眼の美女、ディオルグは黒髪碧眼の美男である。
エステローゼは、学年での成績は、ディオルグと1位を常に争う位に優秀であり、
公爵令嬢としてのマナーも、ダンスも全てにおいて高貴な令嬢の鑑と言われる位の優秀な令嬢であった。
ディオルグも勉学だけでなくて、剣の腕は学園一、いや、王宮騎士でも敵わないかもしれない位に素晴らしいものであった。
エステローゼは、愛するディオルグと、王立学園を卒業後、結婚する事を楽しみにしていた。
二人の未来は輝かしい物になると信じていた。
それが、リディア・コーザス男爵令嬢という女性が現れてから、ディオルグの様子がおかしくなったのである。
エステローゼに紳士的で、とても優しかったディオルグ。
それが、エステローゼを無視して、いつの間にかリディアと学園で過ごす事になり、
エステローゼはそれはもう悲しみにくれた。
リディアという女、禁断の魔法、魅了を使って誘惑しているに違いない。
リディアの事を頭にきて、頬を叩いた事もあった。
震えるリディアをディオルグは庇い、エステローゼは悪女扱い。
しまいには、卒業パーティで婚約破棄まで言い渡されて、
許せない。リディアの事を許せない。
婚約破棄を言い渡されたら、その場で二人を拘束して、ディオルグを神殿送りにし、魅了と言う魔法をかけられていた事を証明して、リディアを死刑にしてもらうつもりだった。
リディアは逃げた。逃げて川に飛び込んで…
彼女は死んではいなかった。
水神という化け物だったのだ。
顔は人間だが、身体中が蛇の鱗に覆われ、巨大な蛇の身体を持つ水神。
その化け物は、ディオルグの魅了が解けてしまっても、更に誘惑して…
しまいにはディオルグを抱き締めて、水の中に引き込んでしまった。
ディオルグがレグリアハレス公爵家から捨てられても、平民に落ちても、エステローゼは彼の事を諦められず、入り婿として両親を説得し、出迎えるつもりだった。
それが…あの女に、連れ去られてしまったのだ。
ディオルグは生きているのか…
あの化け物に抱きしめられたまま、川に沈んでいったディオルグ。
助けなくては…。もう、生きてはいないでしょうけれども。
せめて、死体だけでも回収したい。
それともあの女が食べてしまったのかもしれない。
ともかく、あの女、まだ川にいるらしい。
時折、煌めく鱗が、大きな水音が聞こえる事があるから。
だからわたくしは…大がかりな川の大掃除をする事にしましたわ。
川をせき止めて、水を抜きましょう。
そうしたらあの女は逃げる事が出来ない。
我がカルディルナ公爵家の力を借りて、大掛かりは工事を始めましたわ。
さぁ、ディオルグ様の敵を取らせて頂きましょう。
川から水を抜いて行く。
露になって行く川底から、巨大な蛇の化け物の姿が現れた。
集まっていた人々が悲鳴をあげる。
「出たぞ。二体だ。」
「化け物だ。蛇の化け物だ。」
「あれは水神様じゃねぇか?害したら罰が当たるんじゃ。」
わたくしは、川の底を浚わない方がよかったのかもしれません。
愛しいディオルグ様が、あの女と同じような姿に変えられていただなんて。
何としても助けなくては…神殿へ連れていけば、ディオルグ様を元の姿に戻す事が出来るかもしれませんわ。
「男の方を捕らえて頂戴。女の方は殺して。」
そう、協力してくれた方々に命じました。
ディオルグ様はあの女を庇うように、蛇の身体を巻き付けて。
こちらを睨んでおりました。もう…人ではない…そんな感じの表情で。
人々が槍を持って、あの女に近づこうとしたその時、一人の男性から声をかけられました。
「やめておけ。エステローゼ。」
「これは…王太子殿下。」
こんな所に何故?この国の王太子殿下ヘリオス様がいらしたのでしょう。
わたくしは、ヘリオス様に訴えました。
「この女はわたくしの婚約者、ディオルグ様を誘惑し、このような化け物に変えてしまった大罪人です。ですから、殺してしまいたい。」
「それでも水神は、神の使いと言われている。殺せば災厄が起きる可能性がある。
あの連中の事は捨て置け。」
悔しい。悔しい。悔しい…
わたくしは…涙いたしました。
あの女に負けたのです。
「川の水を戻して…」
協力してくれた方々に命じてから、ディオルグ様に話しかけましたわ。
「ディオルグ様、わたくしは貴方の事を愛しております。
この女に渡すのはとても悔しい。でも、遠くで貴方の幸せを願っておりますわ。
例え、貴方が化け物になり果ててしまったとしても。」
そう化け物になったディオルグ様に向かって話しかけました。
聞こえたでしょうか?
ディオルグ様は金色に輝く目で、あの女を抱き締めながら、こちらをじっと見つめておりました。
そして川の水が戻って、川が普段の通りの姿になった時、
ディオルグ様はあの女と共に姿を消しました。
あれからしばらくして、わたくしは、ヘリオス王太子殿下に請われて王太子妃になりました。ヘリオス様も婚約者であった令嬢が裏切って、他の貴族令息と出来ていたことが解って…その二人は今だ牢の中。
だから、優秀で未来の王妃に申し分のないわたくしを王太子妃に望んでくれたのでしょう。
けれども。
わたくしはディオルグ様の事を忘れることが出来ませんでした。
だって、そうでしょう?あんな形でお別れしたんですもの。
あの心の傷を忘れるだなんて、出来ない。絶対に。
だから、時折、お忍びで、あの川へ出かけるのですわ。
どうしてもあの川が忘れられなくて。
あれは忘れもしない。
月が西の空へ沈みかけた早朝の事でしたわ。
数人の近衛騎士を警護に連れて、久しぶりにあの川へ来ましたの。
そうしたら、水面が揺れて、
ああ…懐かしい…ディオルグ様。
異変に気が付いた近衛騎士達を手で制して、わたくしは水面を見つめたわ。
ディオルグ様は、顔は人間ですけれども、鱗に覆われて、蛇のような身体を持って、
最後に見かけたあの時の姿でこちらを見つめておりました。
「もう、ここへ来てはいけない。エステローゼ。」
「わたくしは、今でも貴方の事を愛していますわ。」
「私は君を裏切った。もう人間ではないのだ。だから…それに君の幸せを願っているよ。」
「ディオルグ様。」
涙がこぼれる。
「お聞きしていいですか。」
「何だ?」
「貴方は今、幸せ?」
「ああ、幸せだ。子が出来た。あの時、君が見逃してくれたお陰だ。有難う…」
わたくしは立ち上がりました。
ディオルグ様が幸せなら、もう…
「さようなら。ディオルグ様。」
「さようなら。エステローゼ。本当にすまなかった。」
ディオルグ様は頭を下げる。
わたくしは、ディオルグ様に、
「ここに祠を立てます。未来の王妃として、お願いしたい事があります。」
「何だ?」
「水神としてお祭りしますから、どうか、この国を水の害からお守りくださいませ。」
「約束しよう。」
「有難う。ディオルグ様。」
この日を最後に、わたくしは二度と、ディオルグ様に会う事はありませんでした。
でも、この国は水神を祭ったお陰で、水害から守られる事になりましたのよ。
今、わたくしも、子持ちになりました。
でも時折思い出すの。遠い日の学園生活を。ディオルグ様に愛された日々を…
もう、戻らない。でも…思い出は思い出として蓋をして、わたくしは先々、ヘリオス様を支えながら王妃として生きてまいります。