事案決闘・一番勝負
おはようございます、遊月です!
日曜日の朝はなんの時間? そう、ヒーローがやって来る時間ですね!
今回は何やら不穏な始まり方をしますが、本編スタートです!!
ジョン・スミスをよく知る者が彼について語るとき、決まって『猛獣』という単語が入る。それは彼の外見や立ち居振舞いのことではなく、そのあまりに苛烈な有り様を指した、およそ彼を表そうとするなら最も適切な言葉であり、また彼自身も大いに気に入って、以前の裁判に出廷したときには自らを『ビースト・スミス』と名乗って聴衆を煽る場面もあった。
若くして天才格闘家として名を馳せていたスミスだったが、試合中に相手からの挑発に激昂してルール無用の暴行によって死なせたことをきっかけに社会的な地位を失うことになった。このとき、スミスを制止しようとしたレフェリーも巻き添えをくらい、自力では生活できなくなる後遺症が出るほどの大怪我をしてしまっている。
それからのスミスの生涯は血に濡れたものであった。というのも、そもそもスミスが格闘技の道に進んだのは彼自身の滾る闘争本能を満足させる為でしかなく、その道を断たれた以上、彼が闘争を求めて荒れ狂うのは必然とも言えた。
法では裁かれていない犯罪者を独自のネットワークで調べあげ、ひとりひとりの自宅を訪ねて拳と技術にものを言わせてその欲求を満たしてきた。謝肉祭の賑わいに乗じて盗みを繰り返した窃盗犯、低所得者を対象とした詐欺を立て続けに実行して死に追いやった者、まだ幼い子どもたちをその手で穢した神父、人種差別に対して肯定的な意見を述べて人道に反する行為を実際にしていた政治家など、徹底的にいたぶり、嬲り、軽くて重体、ほとんどは死亡に追い込んでいる。
そんな彼の行いを、一部ではヒーローのように取り上げる声があったことはスミス自身も知っていた。だが、彼にとってはそんなことなどどうでもよく、ただ拳をぶつけられる大義名分がそうした犯罪者相手ならあったから、という理由に過ぎない。その証拠に、とうとう彼の暴力性の矛先は決して大きいとは言えない軽微な犯罪を犯したものに対しても向くようになった。また、人間だけではなく害獣の駆除という名目で野性動物すらも、彼によって屠られることとなる……もちろん、道具など使わずに。
猛獣の名に相応しい破壊力、狂暴性、野性動物のように冴え渡った直感、敏捷性、くわえて暴力を振るうことへの躊躇のなさ。幾度逮捕されようと、収監される前に脱走してしまえばそれでいい――彼を捕まえられる者など、この世界にはいなかった……。
それなのに、それなのに!
何故、この男は……
スミスは、脂汗をかきながら自問する。
理解不能、理解不能、理解不能!
極東の黄色人種というのは、この巨躯を見れば萎縮して震え上がり、自分を卑下しながらペコペコと頭を下げるばかりじゃあなかったのか!? ヘラヘラ笑いながら大きなものに従い、ただ身を縮こませるだけが能なんじゃあなかったのか!!???
何故、俺はそんなやつを相手に後ずさりしている?
何故、俺はそんなやつを相手に汗をかいている?
理解不能、理解不能、理解不能!!
「どうしたんだ、そんなに青ざめて? 僕の方がよほど酷い怪我をしてるというのに……なぁ?」
目の前に立っているサラリーマン風の男……いや、立っていると言っていいのかは正確にはわからなかった。右足を引き摺り、いま杖のように突いている鉄パイプがなければただ倒れることしかできないだろう。きっと肺や内臓も少なからず傷付いているに違いない、呼吸をするたびにごぽ、と異音が聞こえてきている。
そんな有り様なのに、どうしてだ?
どうしてこの男は、尚も立ち上がる? 立ち上がって、自分に向かってくる? 大人しく殺されていれば、楽だというのに?
「何故、と言いたげだなぁ、君にとっては異質なものでしかないのだろうね、僕は? よほど自信があったのだろうね、自分の拳を振るえば歯向かうものなどいない、なんでも自分の力で思い通りにすることができる……と」
口から血を溢れさせて、男はなおも笑う。
そして一歩ずつ、一歩ずつ確実にスミスに迫ってきている……普通なら、逃げるのに!
美麗な顔、決して格闘の経験などないであろう体型、最初に見たときには穏和そうに見えたこの男……ナシダ、とか名乗っていたか? しかし、スミスは本能的に嗅ぎ取っていた。この男には猛獣という呼び名すら生ぬるいほどの血の臭いがすることを。
だから、ぶちのめそうとした。
公園でガキと遊んでいるところに声をかけ、呼び出したんだ。そりゃ、邪魔なところにいたガキを突き飛ばしはしたが、こんな血生臭いやつとつるんでるようなガキがまともなわけがない。だから、ちょっとくらい怪我したって問題ないに決まってるはずなのに……っ!
「問題ないわけ、ないだろう?」
ずいぶん艶のある声だと思った。
苦しげに息をつきながらも尚、自分を見つめてくる眼光は鋭く、吐き出される息は今にも止まりそうなのに、それでもその声は、故郷でよく祖母が作ってくれたスイートポテトのような甘さを持っていた。
「彼女は……僕が心に決めた女性だ……、そんな人を傷つけられて黙ってられるほど、僕も男を……捨てて、ないんでね……」
「ココロに……キメた……?」
あんな小さなガキをか?と嗤う気にはなれなかった。
猛獣と呼ばれたスミスだからわかる。
同じ獣のことは、たぶんこの世界の誰よりも、わかっている。きっと目の前の男は、こうやって立ち上がるのだ、そして何がなんでも排除してこようとするのだろう、その心に決めた女とやらを傷つける輩を。
「美玲は、僕の全てだ……彼女に出会って、僕は、一度死んだんだ……あの日までの僕は、死んだ、そして、生まれ変わった、彼女を心から愛し、求める、ものへと……」
息も絶え絶えになりながら向かってくる男の手にはナイフが握られている。よく使い込まれているのがわかった、自分の打撃を致命傷にならない範囲で避け続けているだけでも大したものだが、あのナイフの威圧感には及ばない。
スミスは、知らず固唾を飲んでいた。
俺は、獲物を虐げるためにこの拳を使う。
あいつは、何のために……?
「悪いがここまでダ、ナシダ!」
底知れぬ恐怖が、スミスを突き動かす。
それは、今までどんな相手にも抱いたことのない感情――ただの殺意だった。相手を虐げるうちに死んだ、という結果としての殺人なら幾度と繰り返した彼だが、殺すための拳を握るのは、初めてだ。
グリズリーを蹴り殺したキックをも受け流し、飛ぶ鳥すらを打ち落としたパンチを避けるその才能をこの世から消してしまうのはもったいなかったが、そんなことを言っている余裕など、もうなかった。
「シュッ――――――」
短く、しかし肺の中で吸気を破裂させたことで大量の酸素を身体に行き渡らせながら、その妨げになる二酸化炭素を爆発的に体外に排出する――エアーカッターのような勢いで放たれた呼気と同時に、スミスは拳を突き出した!!
パァァァンッ…………!
大気中を目まぐるしく流れる粒子よりも早く突き出された拳は空気を叩き、虚空に激しい打音を響かせる。それは紛れもなく、現役時代を含めたとしても最速にして、最強の拳だった。
しかし。
「殺そう、君がそう意識を変えなければ、今の拳は避けられなかっただろうなぁ」
的確に心臓を刺したナイフ。身体が冷えて、だが胸だけが異常に熱くて、そのアンバランスさが、スミスに幼い頃の記憶を呼び起こさせる。
あぁ、そうか、この男も…………
「哀れ……だな、ナシダ…………」
最期、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、スミスは命の光を手放した。最期の瞬間に悟ったのだ、この男もいつか、自分と同じになる、と。
脳裏に浮かぶのは、想って、想って、心の底から想ったからこそ、壊してしまった、初恋の少女。きっと、こいつも……俺と同じように……
スミスが最期に見たのは、いつかこの男が愛するものを殺し、己を見失うだろう、未来だった……
* * * * * * *
「梨田さん、大丈夫ですか? 事故、すごいケガ……」
「ありがとう、美玲ちゃん。美玲ちゃんが来てくれたお陰で、僕もだいぶ元気になったような気がするよ」
「ほんと!? よかったぁ~」
梨田が事故で大怪我をしたらしいと知った美玲は、たまたま家にいた母親にせがんですぐさま病院に駆けつけた。あの怖い感じの外国の人とふたりで連れ立って歩いていくのを見送っている間にも不安で押し潰されそうだった心が、すっかりめげそうになっていたのだ。
幸い、手術が終わって面会できるようになったタイミングで到着できたため、すぐに梨田の顔を見ることができたが、もし少しでも待たされてしまっていたら、美玲の心は押し潰されてしまっていただろう。
「彼とは何もなかったんだけどね、お話して見送っていたら、その帰りにトラックとぶつかっちゃってね」
「そんな……っ、へ、平気なんですか、わたし、話してて?」
「平気平気。むしろ、美玲ちゃんが今ここからいなくなってしまう方が、僕は辛いな」
「な、梨田さん……っ、」
お母さんもいるのに、と顔を熱くする美玲。
その後も似たような調子の会話が続き、面会時間が終わって帰る頃には、美玲の顔は耳まで真っ赤ではゆでダコのようになっていた。
その帰りの車のなかで、ふと母が言ったのだ。
「梨田さんって、なんか普通の人っぽくてつまんないと思ってたけど、わりと口の回る人なのね。退院したらお邪魔しちゃおうかな……お母さんも美玲みたいに、仲良くなりたくなっちゃった」
軽く笑いながら、けれど唇を軽く舐めて、漏れる吐息はどこか熱く。瞬間、美玲の脳裏にはあの日見た、裸になっていた母と見知らぬ男の姿がよみがえって。
「だめだよ」
一瞬、それが自身の声だと理解できなかった。
けれど、母の怯んだような顔で、すべて理解した。
「だめだから、ぜったい」
「み、美玲?」
「………………!」
本気だ、と伝えるようにキッと母を睨む美玲。母のことは怖かったけれど、そこだけははっきりさせておきたかった。
母は、少しだけ青ざめた顔で、けれどからかうように「ふぅん?」と笑いながら、前に向き直る。青信号になったのを見計らって踏まれたアクセルが、少しだけ乱暴だった。
「あんた、そんな顔するのね。さすが、お母さんの娘だわ」
嘲るようなその言葉のあと、車内には沈黙だけが残った。
前書きに引き続き、遊月です。
梨田さん、というか化野、本当に何者なんでしょうね……天才格闘家ともわたりあえるらしい殺人鬼と、そんな彼が恋する少女の物語は、まだまだ続きます。
また来週、お会いしましょう!
ではではっ!!




