殺人鬼はすぐ後ろにいる
こんばんは、遊月です!
すっかり更新が遅れてしまいましたが、日曜夕方にヒーロー見参となりました。
本編スタートです!!
槙原優作はその日、ひどく虫の居所が悪かった。仕事でのトラブルに巻き込まれ、その煽りで何故か巻き込まれただけなのに上司から叱責を受けたうえに、帰りにストレス発散しようと寄ったパチンコでも負けに負けて、近所の子どもからもふざけ半分で犬の糞を投げつけられた挙げ句、それに対して怒りをぶつけたところに子どもの親が現れて一方的に詰られてしまったのだ。
なんだってんだよ、まったく!
ちょっと新入社員同士が言い争ってたから仲裁したついでに彼氏いるのかとか処女なのかとか訊いただけじゃねぇか、あのガキ共だって、タバコの火が目に入ったくらいなんだってんだよ、こちとら20000もスッてんだ、そんな俺の前で騒ぐんじゃねぇよ!
今日がたまたま厄日なのか、それともこれからずっとこんなにツイてないことが続くのか? あぁくそ、目に入ったカップルに舌打ちしたらまるで汚いものでも見るような目を向けながら逃げられた、多少胸がすくような気持ちもしたが、俺はそんなに汚いのか、と余計に苛立つことになった。
「くそ、くそ、くそっ、なんだぁお前らァ? なに見てんだ、あぁぁっ!!??」
仕事場からたまたま持ち帰って手元にあったカッターナイフを見せつけながら、周囲を威嚇して歩く槇原。周囲が自分を恐れて離れていくのを見ていると、先程までのむしゃくしゃした気分も少しは晴れて、その心地よさが癖にもなっていた。
今後はストレス溜まったらこうやるのもアリだな……などとニヤけている槇原の目に、遠巻きに自分を見る小学生の姿が見えた。ただ遠巻きに見ているだけならよかった、槇原の身体にはきっと、エクスタシーに近い快感を与えてくれていたに違いない。しかし、しかし、その視線は……。
「おい、」
その視線には、大人の男というものを軽蔑したような、冷めたものを感じた。小柄な小学生が向けていい眼差しではない、とすら思えるほどに。
「おいっ、なんだよ、このメスガキっ!」
そんな彼女の眼差しは、槇原のプライドを傷付けるには十分過ぎるものだった。一瞥だけくれて、あとは槇原のあげる声にすら気付くことなく立ち去ろうとしている少女。慌てて追いかけようとしたが、立ち竦む人々に阻まれて思うように進めない!
くそっ、怯えてねぇでさっさと避けろ、逃げられちまうだろうがっ! 叫びだしそうになりながら、少女を追おうとする槇原。どうにか人混みを脱け出した頃にはもう視界に入る距離ではなくなってしまっていたが、それくらいで諦めたくはなかった。
「チキショウ、待ってやがれ……! まだガキの足じゃそう遠くまでは離れてねぇ、たぶんどこかの角を曲がったくらいに違いねぇんだ、クソッ、見つけ出したら覚悟してやがれ……!! 大人に舐めた態度とったお仕置きだぁ……っ」
どうしてやろうか、まずはあの澄ました顔を思い切り殴って涙目にでもしてやろうか、それから、ふにふにと柔らかいだろうその甘えきった幼い腹に根性焼きの痕でもつけてやれ、あのいい匂いのしそうな肩や腕に噛みついてやってもいいかもしれない。きっとあんな澄まし顔なんてすぐに消えるだろう……、そこからは、たっぷりと大人の怖さを教える。
「失礼、少しお時間いいですか?」
涎を垂らしながら路地裏に入ったとき、槇原の背後から低く艶のある男の声がした。
* * * * * * *
小学校からの帰り道。
時計を見ると、まだ誰も家には帰ってきていないような時間だ――仕方なく、美玲は近所の公園で時間を潰すことにした。前の短縮授業の日、早く帰ってしまったときに嫌なものを見てしまった記憶が、彼女からは拭えずにいる。普段なら学校に残っているのだが、今日はテストを作る日だからすぐに帰らなくてはいけなかったようだ。
「はぁ……」
美玲は、先程見た光景を思い返して溜息をつく。いや、溜息というよりは、無事に公園まで逃げきれたことに対する安堵の息だった。
帰り道で、怖い人を見たのだ――カッターナイフみたいなものを振り回して、何を言っているのかわからないくらい大きな声で叫んでいる、父よりも少し年上くらいに見える男の人。その姿は、なんとなく早く帰り過ぎたときに出会ってしまった母の『お友達』を彷彿とさせるものだった。
『あぁ!? んだよ、ガキとか見かけるとマジで冷めんだけど! チッ、っっざっけんなよ、ほんとにさぁ!! 早く帰って来る日なら呼ぶんじゃねぇよ、ったくよぉぉっ!』
美玲のことを見たその人は脱いでいた服を慌てて着て帰っていき、その人と同じような格好をしていた母は、美玲のことをすごく冷たい目で見た。傍らにあるアイロンをチラッ、と見た母のことがすごく怖かったのを、忘れられない。
『お姉ちゃんとお父さんに話したら、』
少し躊躇ったように言葉を切って、それでもやはり気持ちは変わらないとでも言いたげな冷たい眼差しで、『殺すから』と低く呟いたその姿も、美玲の心に焼き付いている。
だから、美玲は学校が早く終わっても、帰らないのだ。
母と一緒に入っていたお風呂にもひとりで入るようになったし、その出来事から数日は夜に眠るのも怖かった。それから、近所の公園が彼女にとって憩いの場となっている。ここには近所のおじさんとか、地区会長のおばさんとか、近所の子たちもよく来て、美玲に話しかけてくれる。一緒に遊んでいると、時間が経つのなんて忘れてしまうくらいだ。
それに…………。
「やぁ、美玲ちゃん」
「――――っ、梨田さん! こんにちは!」
ここには、彼が来てくれる。
去年引っ越してきた、とても素敵で優しくて、今まで美玲の近くにはいなかったような男の人。お母さんの『お友達』とも違って、時々美玲を見つめる目が怖かった前の担任の先生とも違うし、とりとめのない話をしていてもにこやかに聞いてくれる。
少しミステリアスなところも、耳をくすぐられるみたいな声も、心の底まで覗かれてしまうような瞳も、まるで恋人にしているように優しく接してくれるところも、なんだかドキドキしてしまう。
「何かあったのかい、少し手が震えているよ」
そして、今も。
さっき叫んでいた人を見て怖かったのも、彼が触れてくれた手からどんどん消えていくようだった。この人と一緒にいると、安心する。けど、それはお父さんといると感じる安心とはまた全然違って、それよりももっと、何か……。
「美玲ちゃん、今からちょっと僕の家に来るかい?」
「い、いいんですか?」
「今から帰っても、まだみんないないんだろう? ひとりきりだと、少し寂しくないかい?」
それは願ってもない言葉で、どうしてだろう、もうそろそろ夕方になろうという時間なのに、美玲は少し身体が熱くなるのを感じた……。
* * * * * * *
「それじゃ、さようなら! ありがとうございました!」
「あぁ、またね。今度は僕も負けないよ?」
「えへへ、次もまた勝っちゃいます♪」
笑顔で帰っていく美玲を見送ってから、梨田はふたりで遊んだ家庭用ゲームを片付ける。いま流行りの対戦格闘ゲームで、美玲も姉や父とよく遊んでいるらしいと知って、それまでゲームなどしなかった彼が急いで買ったものだった。
「ふふふ……」
おとなしく振る舞おうとしていたようだったが、ゲームをしている最中はまるで家族といるときのようにはしゃいでいた美玲を思い出して、梨田――いや、化野義明は頬を緩める。
彼女が口をつけたグラスにもう一度ジュースを注ぎ、入念に彼女が触れたところをなぞるように自分もジュースを飲み干す。そして、決して美玲を入れなかった部屋へ向かう。
一見するとただの壁にした見えない扉を開けて、電気をつける。壁一面に貼られた子どもたちの泣き顔と死相を写した写真と、美玲の生き生きした顔。それらを見て、彼は恍惚の息を吐いた。
「ただいま、やっぱり君たちは、可愛いね」
男は、ひとり笑った。
化野義明は、児童を狙った連続猟奇殺人犯である。世間では単なる快楽殺人だとも、何かを訴えようとしているとも言われているが、それらの議論に対して彼は嘲笑すら浮かべてしまう。
「僕が君たちを愛する行為に、どうしてメッセージ性だとかいうものが必要なんだろうね? 僕にはわからないよ、僕はただ、君たちを心の底から愛しているだけなのに」
そう、化野の猟奇殺人はあくまで彼の愛情の発露に他ならない。
たとえば、いま目の前に貼られている写真のなかで悶絶しているのは、江口俊吉という、地元でも有名なサッカー少年だった。将来を嘱望されており、その日も遅くまで自主練習に励んでいた時に、化野と出会ってしまったのだ。
ひと目見たときに、夢に向かってひたむきに努力する少年の姿に心惹かれた化野は、彼を拉致して自宅に監禁した。最初こそ抵抗していたが、万力を使って両足を壊したらただ泣き叫んで許しを請うようになっていた。だが、化野はあくまで俊吉を愛でるために誘拐したのであって、謝られたところで何も許すべきことなどない。そもそも俊吉は、化野に許されなければならないことなど何もしていないのだから。
その後、足の神経を1本1本メスで裂いてみたり、虚ろになって何も見なくなっていた眼を抉って食べさせたりしているうちに、彼は自らの舌を噛み切った。話すことができなくなったのは残念だったが、舌を噛み切る自殺というのは、噛み切ったことによって流れ出た血液が喉に詰まる窒息が主立った死因である。だからすぐに処置をして延命し可能な限り生かしておいたが、生きる気力のなくなった少年に飽きた化野はすぐに殺すことになってしまった。それも、結果的にこのことによって化野が俊吉に接触していた様子を写した防犯カメラ映像も相まって、彼は逃亡生活を余儀なくされたのである。
本当なら殺した子どもたちが遺してくれた「宝物」も持って行きたかったが、急を要したために写真を持って行くだけに留まってしまい、このときばかりは惜別の思いに駆られて涙を流したものだった。
どうにか逃げ延びて、ようやく居着いた今の場所で、彼は“梨田”と名前を変えて生活を始めた。元々『化野義明』という名前だって、初めて衝動に負けて少女を殺めてしまったあと、それを見ていた男を処理して成り代わったものなので、名前を変えることに抵抗などなかった。
強いて言うなら本来ここに来るはずだった『梨田哲也』には申し訳ないことをした、などと思いながら周辺の子どもを物色したときに、出会ってしまったのだ。
瀧本美玲。
彼女を初めて見たとき、耐え難い衝動に襲われた。誰に見られていても構わないから、今すぐにこの娘を連れ去りたい、連れ去って怯えさせ、怒らせ、悶えさせ、苦しませ、ありとあらゆるものを見ながら殺してしまいたい、と。
そんな衝動は、今までの子どもたち相手には感じたことのないものだった。もちろん、彼は耐えた。彼女をより長く“愛する”為にも、堪えなくてはいけない。短絡的に拐っていては、また見つかってしまうかもしれない、そうしたら今度こそ逃げ場はない、まだ愛し足りないというのに……!!
だから、まずは美玲を観察することにした。その家庭環境についても、学校での様子についても、外での様子、趣味、嗜好、様々なことを把握した。恐らく今の彼は、家族や級友たちよりも美玲のことをよく知っているだろう。
そうするうちに、彼は気付いたのだ――自分の胸を満たす感情が、一般的に『恋』と呼ばれるものであることに。
子どもたちの幸せそうな顔を見て気持ちよくなるのは変わらなかったが、美玲に対しては、それとは少し違う気持ちもあったのだ。
『僕が彼女に、こんな顔をさせてあげられるだろうか?』
『その笑顔を独り占めしたい』
『彼女に、ずっと寄り添っていたい』
『どうかその笑顔のまま、僕の傍にいてほしい』
『彼女で幸せになるのではなく、彼女と幸せになりたい』
それは、今まで抱いていた“愛情”を否定することになりかねない、あまりにも苦しみを伴う初恋だった。尊厳を踏みにじり、命を奪うことによって一方的な愛を謳っていた男は、30近くも年齢の離れた少女と出会って初めて、世間一般で尊ばれる“恋”というものを知ったのだ。
だから。
「あぁ、愛してる、愛してるよ、僕の美玲」
彼は美玲がこれまで自宅を訪ねたときに遺した痕跡たちを集めた棚に跪く。
「僕の命は君のためにある、だから君の命も僕のためにあってくれ……僕はたとえ何があろうと、君を守ってみせるよ……っ、僕が君を殺してしまうそのときまで」
恍惚としたその声を聞くものは、誰もいない。
前書きに引き続き、遊月です!!
今回は美玲ちゃんと梨田さん(化野)について語る回となりました。どちらもそれなりに事情を抱えている(梨田さんに関しては性癖ですが)ことが明らかになった本エピソードですが、来週もまた、美玲ちゃんに危機が……!?
また来週、お会いしましょう!
ではではっ!!




