暴虐の正義・後
こんにちは、遊月です!
日曜日はヒーロー曜日ということで、更新です!
ドナルド・コルテッサロと遭遇した梨田さん、はたしてどうなるのか……!?
本編スタートです!!
青年・木吉一哉はその日、レスリングのビデオを見て昼間から酒を飲んでいた。もっとも、彼に朝や昼などという感覚はない――ここ数年、ろくに外へ出ていないのだ。就職先で凄惨なリンチに遭い、庇ってくれていた上司が自殺したことで退職して以来、外に出るのが怖くなってしまっていたのだ。
…………しかし。
バンッ!!!!
窓ガラスを外から激しく叩きつけられて、一哉は思わずそちらを振り向いた。その音は、人の手で叩いたにしてはあまりにも――203 × 169cmの窓全体を一気に叩かれでもしない限り聞こえないような――“広い”音だったのだ。
恐る恐る窓の外を覗いた一哉が見たものについて、後に市民マラソン常連となった彼自身の口からこう語られることとなる。
「あのとき、いったい何を叩きつけられたのかと思って外を見たら、窓の外には何も落ちてなんかいなかったんですよ。強いて言うなら、うちの垣根がボロボロになっててね? その向こう側にいたんですよ……ボロボロの格好で佇んでいる、海外映画の俳優みたいなイケメンが!
何が起きたかなんて見届けられやしませんでしたね。一瞬で察したんです、ありゃ見てちゃいけないもんだって。ただ家に籠ってたらまた壁とか窓が吹き飛ぶかもしれない。そう思ったらもう引きこもってる場合じゃねぇ!みたいな? それからですかね、僕が走りを始めたのは……」
それを聞いた人々はよくある冗談だと思って笑ったが、そのときの一哉の顔は、少しも笑ってはいなかったという。
* * * * * * *
ぶちっ、
まず聞こえたのは、どこかの腱が切れる音だった。それと同時に化野――梨田が片膝をついたのを見て、ドナルドは頬を緩めた。まずは動きを止める、これは狩りをするときの基本で、自警団のメンバーたちにも命がけで体得させた技だ。
相手のアキレス腱に狙いを定め、しっかりと足を振り抜く――ごくシンプルな、しかしある種の特殊技能。
人は、自分が傷つくことを嫌がる――故に“痛み”という概念を知り、それを理解するして、習得する。するとその先に待っているのは、“他者の痛みに対する共感”だ。
目を潰したら痛いだろう、鼓膜を破ったら痛いだろう、そういった共感が、手を鈍らせることもあるのだということを、ドナルドは知っている。
ただ、“知っている”だけだ。
彼は己に課した訓練によって、その“共感”を削ぎ落とした――故に!
「シュッ、」
ドナルドには、その躊躇がない。彼には迷いがないからである――自分が成していることは、いや、自分がしているということは、紛れもない正義であると心の底から信じているから。
加えて、彼の身体能力は極限ともいえる加速を与えた。彼の身体が細く、軟弱なものに見えるというのなら、それは見た目に惑わされているに過ぎない。ひと度服を脱ぎ去れば、その下には鋼のような――いや、その鋼を研ぎ、磨き、叩き、そうして作り上げた抜き身の刃に等しい筋肉が待っている……!
それはあまりにも愚直な正義の追求によるもの。守るための力を身に付けるためならば、その過程で生まれたどのような犠牲であれ、それらは全て尊いものなのだと、心の底から信じているのだ。
アキレス腱を再び削ぐ!
光にも届かんという速さの代償は、一般的な筋力。もはやドナルドは、比喩ではなく本当に箸より重いものを持つことなどできない――しかし、彼は構わなかった。彼の人生は、悪を断ち切る《正義》の執行が目的なのだから。
それは、極限までに軽くした肉体によるスピードがあれば実現できること――彼の身体を覆う筋肉は、身体を軽くするための筋肉、重さという概念を受け付けないための羽の鎧だった……!
体内で産み出す速度を閉じ込めるための筋肉の鎧が、光の速さで腕をしならせる。
「…………っ、」
しならせた腕は、まったく躊躇することなく梨田の身体に振り下ろされる!
光速のひと振りは、もはや重機を上から落とされるのを超える衝撃を生み出し、相手の骨や内蔵を壊していく――ぺき、と乾いた音が響き、苦悶に歯を食い縛る殺人鬼。その形相はまさに“鬼”と形容されるに相応しい有り様で、およそ相対した者が正気でいられるとは思えない狂暴性を宿していた。しかしドナルドは、そんな彼を見ても嘲笑を隠さない。
どれほど目を凝らそうと、人に光を追うことはできない。
自分が動き出してしまえば、もはや目の前の男から自分を見ることなどできないのだ――故に、狂暴な瞳も恐れることなどなかった。
「どうしました、アダシノ? 貴方が手を上げるのは子どもたちだけですか? 無抵抗で非力な子どもにしか、貴方は力を振るえないのですか?」
沸々と込み上げる怒りが、ドナルドの周囲を揺らめかせる。少しずつ涼しくなりつつある外気が、真夏のような――いや、空に輝く星々を焦がすような灼熱を帯びていく。周囲との温度差が空気の壁を作り出し、そこに生まれてくるのは蜃気楼などという生易しいものではない――異界!
「幼子は愛されなくてはならない……慈しまれ、全ての害悪から守られ、数多の慈愛のなかでその生を全うすべきなのですよ、アダシノ!!」
踏み込むアスファルトは既に液状になり、ドナルドの周囲のブロック塀は既に焦げ付いて黒くなっている――それほどまでの熱を込め、光に近付いた速度を以て、この悪を断罪する! それは決意ではない、結果である。
ドナルドは確信していた、放つ手刀が化野の心臓を貫き、次いで薙ぐその手で藻掻き苦しむその首を刎ねる! これは快楽による殺人ではなく、正義による断罪なのだから、苦痛は最小限に留め、確実に、確実に殺す――ドナルドの全身に迸る熱が、
――――――。
「え、」
突然の感覚に、ドナルドは困惑した。
突如として軸にしていた右足から力が抜け、気が付くとその場に転倒していた。
「What!? なんでこんな時に……っ、あっ、」
起き上がろうと足に力を込めるドナルドだが、もう立ち上がることなどできない――どうしても、力めないのだ。何が起きている、何が?
「貴方は、僕に触れているだろう? しかも、まるで狩りをするみたいに脚を封じることを優先して」
化野が、ゆらりと立ち上がる。
しかしあり得ない――ドナルドは戦慄した。彼のアキレス腱は既に両方断たれている。あの感触は間違いなく本物だった、偽物などではあり得ない!
ならば、何故!?
「貴方は、幼子は愛されるべきものだと言ったな……そう、その通りだ。僕も、今まで手にかけてきた子たちへの愛に偽りなどなかったんだ。きっとそこだけは、貴方も僕も同じ――だからわかったんだ、最初はアキレス腱を狙ってくるだろうとね」
脂汗をかきながら不敵に笑う殺人鬼の言葉に、ドナルドは戦慄した。
読まれていた……!? そしてこの男は、それを敢えて受けたというのか、いったい何の為に!??
「僕の足にはね、遅効性の――しかもごく影響のない範囲の神経毒を仕込んである……普通の代謝をしている子どもたち、いや僕自身にだって影響はない。だけど、そう――貴方のように常人より遥かに優れた代謝を誇る相手になら、十分に効くだろうね」
朦朧とし始める意識の中、ドナルドの耳には『それと、僕は梨田だ』という艶のある声が聞こえ始める。
――――安心して、貴方は死にはしない。少し眠るだけだ……
次に目を覚ましたドナルドは、見舞いに来た知人にこう語る。
「きっとあの時、私はアダシノに見逃されたのだ――やつと闘る直前にあの少女、ミレイというのを助けたからだろうな。……なに、私の仇をとる? やめておきなさい、きっと我々はあの男には勝てない。それこそ、あの少女がいる限りあの男に敵などいないだろうな。……それに、あの男の"愛"とやらは、確かに本物だったのだからな。
あの男を狩るなら、もっと準備を整えなくてはなるまい。勇敢と無謀は別物だ、看過できなくとも、そこは変わらない。それこそ、あの男を相手取るならこの世全ての悪を狩り尽くしてからでも遅くはあるまい」
* * * * * * *
「やぁ、美玲ちゃん。今日も来てくれたのか、ありがとうね」
「い、いえ、はい……」
突然大きな外国の男性に話しかけられてから、美玲が梨田と再会したのはその数日後、しかも近所の総合病院の中だった。足を大怪我したらしい彼の痛ましい姿に思わず息をのんだが、梨田自身は元気そうだったので安心して、時々学校帰りにこうしてお見舞いに来ている。
「もうそろそろ退院できるし、ここまで遠いだろ? 無理に来なくてもいいんだ、大変だろうし」
「いいんです、だって……梨田さんに会いたかったから」
周りに人がいないことを確認しながら、美玲はその思いを伝える。その瞬間に顔が熱くなったが、周りには誰もいないから問題はないはず――そう思いながら、少しだけ息を吸う。
梨田に会いたくて来ているのは、紛れもなく本当のこと。
けれど、美玲にとってはもうひとつ、今日こそ言わなくてはいけないことがあった。
「あの、梨田さん」
心臓がうるさく鳴り響くのを抑えながら、美玲は問う。
「梨田さんって、何者なんですか?」
沈黙が、ふたりの間に訪れた。
前書きに引き続き、遊月です!
この物語ですが、次章「殺人鬼は少女に恋をする」で完結となる予定です(ちょうどワンクールなのです)
最後に待ち受けているのは……
また次回お会いしましょう!
ではではっ!!




