名もなき怨讐の影・後
こんにちは、遊月です!!
日曜日はヒーローの曜日ということで、吉田翁編、決着です!
本編スタートです!!
その日、大手SNSにひとつの『わめき』が投稿された。
『ヤバいよ、地震かと思ったら外で爺さんがアスファルト割りながら走ってたww』
その『わめき』に対しては『嘘乙www』や『妄想が三密』などといった揶揄に近いレスポンスがつき、未成年への淫行で所属グループを追われた元アイドルの更なる不祥事を取り上げた話題にSNS全体が傾いたことによって、“アスファルトを割りながら走る爺さん”の話題は完全に埋葬されることになった……。
* * * * * * *
間合いを詰めるときには一瞬で――相手の身体が緊張状態に入る前に詰めるのが理想とする説がある。これは、相手の反応がまだ周囲の変化に対応しようとする“受容”のうちに近付き、“拒絶”という防御の反応をとる時間すら与えないための、言わば先手必勝の考え方に基づいている。
これらを実現する条件には様々あるが、そのなかに“移動するときの重心移動”という要素がある。通常、人間の身体は急激な重心移動をする際、少なからず上体にその予備動作が出る。相手はそれを以て動きを予測し、何らかの反応をすることが可能となるのである。
では、その動きがまったくなければ?
吉田の移動では、上体は動かない――あたかも、上体を何らかの手段で固定されているかのように、にこやかな顔すら崩すことなく、ただ大地を蹴るその足捌きだけで梨田との距離を埋める!
その距離はおよそ10m、これをほんの一瞬で詰めるほどの跳躍は、もはや跳躍と呼ぶに能わず――それは発射と呼ぶべきものだった。
上体をそのままに、筋肉の緊張すらないままに“発射”された吉田の拳は、寸分狂わずに梨田の鳩尾を抉る! 齢90を超える老体から発せられるとは思えない速度と力――体重75kgが秒速10mで突っ込み、更にその勢いをまったく殺さず握り締められた拳で殴打される威力はもはや90tの鈍器で肺を突かれるのに近い。
通常なら絶命、よくてもアスファルトの上で転がり回ることくらいしかできなくなるはずだ。吉田自身もそれを期待したし、そうなったところに首を蹴り飛ばすための足も準備していた――しかし。
「…………っ?」
手応えが、ない?
吉田の困惑は、その拳の行き場のなさによるものだった。力の終点を梨田の鳩尾に定めていたはずの拳は、あっさりと空振りに終わる!
だが、何故? この速度に対応できるものなどいるはずもない、現にまだ梨田はそこから動いていないというのに――――そこまで考えたときに、吉田は悟る。
あろうことか、目の前の殺人鬼は自分の36km/hにも匹敵する移動を目の当たりにしてもなお、その身体に一切の力を入れていなかったのである。
入れる暇すら与えなかったのではない、やつは、まったくの脱力によって拳を防ぎきったのである。
さる詩人が説いたことによれば、瀬戸物と瀬戸物がぶつかってもお互いにただ割れるだけだが、瀬戸物とぶつかったのが柔らかいものであったなら、どちらも割れることなどなく、まったくの無事に終わる。
では、最もぶつかって無害なものは何か? 答えはもはや決まっている――空気である。ぶつかるまでもなくその場にたゆたい、拳で殴ることも、貫くことも、ましてや物理的に割ることなどできようもない、空気。
気迫を込め、殺意を形にしたような吉田の拳はまさに瀬戸物。しかし、そこで梨田が、空気になれたなら?
吉田の拳が空を切る。
変わらぬ姿でそこに立ち続ける梨田が何をしたのか、それをいつまでもわからない吉田ではなかった。歯軋りしながら、「貴様ァァッ!!」とあらんかぎりの声を発しながら、拳を繰り出す!
1、2、3、4、5、6。
吉田が1秒間に繰り出した、そのどれもが相手の臓腑を破壊することを目的とした拳の数である。しかし、そのどれもが梨田を破壊することなく、すり抜ける。
そのまま、バックステップでもするように3mほど距離をとる。その姿に、吉田はキレた!
「私とッ! 闘えッ!! でなければあの娘が無事で済むと思うなァッ!!!」
骨身を軋ませるような叫び。
吉田はすべてを擲って、この男に復讐するためにここに立っているのだ。それならばこの男にもそれ相応の受けをするのが当然なのだ、そうでなければならない、そのはずだろう!?
その一心で、吉田は挑発を続ける。
一撃必殺の打撃を数百発――それも1分以内というごく短いスパンで放ち続けたことにより、鍛え抜かれた身体も既に、黙視できる亀裂が走り始めている。
それでも、これこそが吉田の本懐――この男を殺すためだけに会社を捨て、家族を捨て、地位も名誉もなくし、最後に残された私財すらも投じたのだ。
この男を殺さなくては……その焦りが、吉田の肺を引き裂きながらも叫びとして発露する!
「いいのかッ、貴様が心に決めたなどとホザくあの娘に、私の胤を注ぎ込んだやるぞ!? 泣くだろう喚くだろう怯えるだろうなぁぁ、だが容赦などせん、貴様をここで殺せぬのなら、私の遺伝子を残した子を貴様の女から産み落とすまでよッ! その子は必ずや貴様を殺す! あの娘の胎内に、しっっっかりと私のDNAを植え付けてやるとも、貴様を殺すッ、その執念だけを私の胤に宿してッ……げほっ、ごほ、ぐえ゛っ……」
血反吐を吐きながら、吉田は足をアスファルトに沈める。
「呵々々、疑っているな? だが私には可能なのだ、今からそこの家に飛び入り、邪魔するものを黙らせることなど、2秒もあれば可能だ……、それから私の執念をあの娘の胎に移し変えてやろうとも……ククク、クハッ、ハハハハハハハハハハッ!!!」
そして、吉田がちらりと瀧本家へと視線を移したとき。
その一瞬――時間にしてコンマ1秒にも満たないその時間が、吉田の最期だった。
「――――――、」
地面に倒れ付した吉田を見下ろし、足蹴にする梨田。
その胸は、心臓を狙って超高速度で叩き込まれた拳の圧力によってスーツが溶け、見るからに物理的にも凹んでいるようだった。
「彼を、病院へ」
生き残った傭兵にそれだけ告げると、梨田はその場を立ち去り、手に残る火傷の痕すら気にせずに、近くの瀧本家に向かっていった。
残された者たちは、ただ唖然として自らの雇い主の死体を見つめていることしかできなかった。
吉田栄一、死亡。
その間、わずか5分にも満たない出来事だった……。
* * * * * * *
「やぁ、美玲ちゃん!」
「梨田さんっ!」
外で別れてから数分と経たずにまた訪ねてきた梨田に、美玲は思わず廊下を走って飛び付いてしまう。すぐ我にかえって恥ずかしそうに離れたが、抱きついたときの熱が身体に残って、少しだけ鼓動が速くなるのを感じた。
だが、ふと気付いてしまった。
梨田の右手の拳が、別れる前にはついていなかった包帯でぐるぐる巻きにされていること、そして、絶対にそこでは自分に触れてこないことに。
……梨田さん、何かあったのかな?
少女は初めて、その笑顔を不安と共に見つめた。
前書きに引き続き、遊月です!!
今回もお付き合いいただき、ありがとうございます!! とうとう吉田翁を倒した梨田さんですが、戦いはまだまだここから始まったばかりです……!
また次回もお楽しみに!
ではではっ!!




