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98. 衝撃

 せっかく食べた夕ご飯と、勇が渡してくれて飲んだコップの水をほとんどトイレに吐き出して、ようやく落ち着いたわたしは、リビングの二人掛けのソファにあおむけにひっくり返って呆然としていた。

 熱はないけど、おばさんがおでこに乗せてくれたぬらしたタオルが気持ちいい。


「……びっくりした」


 それが今の正直な気持ちだ。

 斜め隣の、一人用のソファで小さくなっている勇には申し訳ないけど、あれは食後すぐに思い出すにはけっこうショッキングな内容だった。


「あれ、何歳? 低学年じゃないよね、四年生か、五年生?」


 さっきから勇は黙ったままで、わたしが投げずに落とした枕を膝にのせてる。返事は返ってこない。


 あの年のクリスマスプレゼント、わたしがもらったのは陶器のオルゴールだった。バレリーナが踊っているポーズを取っていて、音楽を鳴らすと回るやつ。

 そう、異世界のわたしの部屋に置いてあったような――今度確認しよう。


 勇がもらったのがハツカネズミで、真っ白で小さくて、すごくかわいかった。

 勇は大喜びで、わたしもすごく嬉しかった。ペットができたんだと思って。まあ、ペットだと思っていたのはわたしだけ(・・)だったんだけど。


「あ~、ごめん。確かに『大嫌い』って言ったと思う。でも、あれは、当時のわたしには仕方なかったって言うか、不可抗力」


 クリスマスの数日後、自分がもらったプレゼントのオルゴールを持って、勇のところに遊びに行ったわたしは、恐怖の生体解剖現場に踏み込んで、あまりの衝撃にオルゴールを投げつけて、大っ嫌い宣言と一緒に走って逃げた――つまり、そういうことだ。


 今思えば勇は最初から解剖するつもりであのネズミを頼んだんだと思う。すごく嬉しそうだった。

 でもわたしにとってはペットだった。だからこそ、当時のわたしには勇の行動がちっともわからなかった。それに、死んだ後の生き物や骨を見たことはあっても、生きている途中で解剖されているのを見たのは始めてだった。しかも、最悪なことに、それはまだ動いていたのだ。


 『大嫌い』だけじゃない。『もう会いたくない』、『近くに来ないで』、いろいろ言ったと思う。


 は~、と大きく息を吐くと、おばさんが砂糖をたっぷり入れた紅茶を持ってきてくれた。


「大丈夫? ごめんね。今ならそんなにショックを受けないんじゃないか、って思っちゃって」


 本当に心配そうに言われて、申し訳なく思う。


「今なら、たぶんそんなに驚かないと思いますけど、最初の衝撃を思い出してしまって、すみません。せっかくお夕飯いただいたのに……」

「いいのよ、そんなこと。そのままゆっくりしてて。泊まっていってもいいのよ、本当にごめんね。一応、梨沙子さんに連絡しておくから」


 そう言ってから、携帯をつかんで出て行くおばさんの背中を見送って、換えてくれたおでこのタオルを外して起きあがった。

 自分で思い出すより、話してもらったほうがたぶんずっとよかった……。反省。


 思い出さないことには理由がある。

 よし。学んだ。


 甘くて暖かい紅茶が、喉を通って流れていく感覚と一緒に胃が落ち着いていく。


 吐くなんて久し振りすぎて、この反動に身体もびっくりしたようだ。背中が痛い。


「勇、大丈夫?」


 わたし以上に、わたしを心配していたのは勇だったし、わたしのこのリアクションはきっとショックだったと思うし――そう思って声をかけたら、やっぱり、まだ返事が返ってこない。

 とにかく、謝っとこう。


「あの、……ごめんね」


 この半年、何回目のごめんかわからないくらい謝り倒してる気がする。

 勇はゆっくりこっちを見たけれど、わたしと目が合うとそらしてしまった。


「……なんで愛梨が謝るの?……それにそのごめん、なんのごめん?」


 ああ、これも聞き覚えがある。本当にごめん。


「いろいろだけど……まずは忘れてたことと、あの時実験の邪魔をしたことと、オルゴールを投げつけたことと、かなり長々と遊ばなかったことと、何回も大嫌いって言ったことと、さっきも思い出させたくないって言ってたし、心配してくれたのに結局思い出しちゃったことと、今も心配させてること」


 うう、謝ることの山だ。ごめんよ~。


「……」


 リアクションが返ってこない。もしかして、怒ってるか、呆れてるか、嫌になったとか。


「勇?」


 とりあえず、なんか言って欲しい。


「……また、大嫌いに、なった?」


 つぶやくような声だった。


「へ? え? なってないよ。言わなかったよね?」


 大嫌いなんて言わなかったし、オルゴール代わりに持たされていた(用意周到だ)枕をぶつけてもいない。ぶつける余裕がなかったともいうけど。


「……じゃあ、さっきのごめんに、『もう会いたくない』っていう意味のごめんは入ってる?」

「え?……入ってな……いよ? 何の話? もしかしてわたしのこと、面倒くさくて嫌になった? でも、さっきのことは、小さかった時の感覚をそのまま(・・・・)思い出したから……ペットだと思ってたし、まだ生きていたせいですごく衝撃が大きかっただけ。それにタイムリーな感じであっちのシルバーたちのことがあったし……そういえばみんなのことだって、わたしの頭の中ではそういう対象じゃなかったから向こうでもすごく怖かったけど、今ならそもそもあのネズミは飼うつもりでいたわけじゃないってわかるし、人間はやらないって言ってくれたし……あ、でも実際見たらどうなるかとかやってみたいわけじゃないよ? でもほら、今ならいきなり実験中のドアを開けたりしないし、入るなって言ってくれたら入らないし、勇に実験をやめろなんて言うつもりはないし、歩みよりは大事だと思うし、なによりあっちでなら生き物が死なないし、それはそれでますます怖いんだけど、でも死んじゃうよりは……」

「愛梨、愛梨、いいよ、もうわかった」


 いろいろ理由を並べて止まらなくなっていたら、勇に止められた。


 ちょっといろいろ喋り過ぎた感じだけど、「わかった」ってことは通じたのかな。


 目の前の本人が嫌なわけじゃなくて、当時のわたしにとっての愛玩動物――かわいがる対象が、勇の解剖対象で、死んじゃうってことと、その途中経過を目の当たりにしたことがショックだったからこその「大嫌い」だったわけで。今でも苦手なのは確かだけど、向こうでは、元気だし。


 通じたのかどうか、不安だよ。


 勇が立ち上がって、ゆっくり目の前にきた。


「嫌いになってない?」


 小声で聞かれた。


「なってないよ」


 なんとなく、同じように小声で返した。


「怖くない?」

「趣味一般として持つのは怖いジャンルだけど、勇のことは怖くないよ」


 正直にそのまま伝えたら、勇がほっと安堵の息を吐いた。


「またぎゅってしてくれる?」


 そう聞かれて、困った。


「今? ここで? ……おばさん戻ってくるし、それは、ちょっと」

「……今はダメか。じゃ、横に座って、手をつなぐならいい?」


 そんなことなら、いつだって。


 ソファの片側によると、勇が隣に座って、いつも向こうでやってるみたいにわたしの右手を取った。なんだかホッとして、へへ、と笑ったら、勇も安心したのかニコッとなった、と思ったら、「歩み寄りが大事って言ったよね? ランジェリーショップは?」って、聞かれた。


 急に話が飛んだ。

 話が変わるのは大歓迎だけど、諦めてなかったのか。


「……行かない、けど」

「フィギュアショップは? 水着なら選ばせてくれる?」

「……ええと、そこも行かないけど、でも――」譲歩はできる。「こっちで着るやつなら選んでもいいよ」


 まあ、現実でなら、妙なものを選ばれる可能性は低いよね。


「こっちで?」


 びっくりした顔で聞かれた。


「そう。現実こっちで」


 現実での幸せな記憶を増やしたいって言ったのは勇だし、大嫌いのお詫びの足しくらいにはなるかもしれない。

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