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95. 勇流交渉方法?

「……そんな日は来ないと思うからあきらめて。キスとかありえないし。でもあのさ、色々考えてたのはわかったけど、わたし、自分が勇を『大嫌い』発言つきで追い払ったっていうのがいつのことだったか覚えてないんだけど、それ、いつのこと? なんで?」

「え?」

「『大嫌い』って追い払われた、って言ったよね? 酷いことしてごめん。でもそれ、いつのこと?」


 そんなことをしておいて覚えていないのか、と無責任さにため息が出る。

 申し訳ない気持ちで隣を歩く勇を見上げた。


「いや、えっと、俺、そんなこと言った?」


 ものすごく胡散くさい感じに視線が泳いだ。


 なに、それ?


「言ったよ」

「そう? いや、それは~、ええっと、いいよ、もう。昔のことだし」


 視線だけじゃなくて、動きも変だ。


「よくないよ。だって、勇は覚えてて、ずっと気にしてたのに、わたしは忘れてるとか、そんなのばっかりじゃない。わたしってどれだけポンコツかと思うよ」

「俺が悪かったんだからそれはもういいんだよ。ほら、もうコンビニに着くよ。アイス見るんだろ?」


 おかしい。キスとかありえない、って言ったことに対する反応もないなんて絶対変。

 冷凍庫を覗くわたしの方を雑誌コーナーからちらちらと見ている様子も、絶対変。

 これは、何があったのか知りたい――でも、あの制服もどきの出所同様、教えてくれなさそう――そうだ。

 冷凍庫の前でポンと手を打って、わたしは勇のところに向かった。


 じっと見上げれば、やっぱり目が泳ぐ。教えてくれないよね、この様子じゃ。

 そうとくれば、このことに関しては教えてくれそうな人に聞けばいい。


「……何?」


 やっぱり、警戒してる顔だよね……。うん、家に帰ったらお母さんに聞こ。


「アイス、パピコにしたら半分食べる?」

「え? パピコ? あ、アイスか。うん。食べる」


 あきらかにほっとした様子で言う。


「雑誌は、買うのそれ?」


 あきらかに興味のなさそうな男性ファッション誌、手にしてるんだけど。


「え? あ、これ? ……は買わないけど」


 自分が持っているのがファッション誌だって、今初めて気づいた顔をしてる。開きもせずに棚に戻してるし。


「雑誌、見に来たんじゃなかったっけ?」


 おたおたしてるのは面白いんだけど。


「うん、ええっと、そうなんだけど、今日はいいかな」


 もうちょっとからかいたくもあったけど、これ以上警戒されても面倒なので、そこでやめてポテトチップスと冷凍ブルーベリーとパピコをゲットして、おとなしく帰ることにした。


 パピコはその場で開封して外袋を捨てて、半分こして手渡す。


「うう、冷たい」


 容器にハンカチを巻き付ける。三月に入ったばかりの夕方は、それなりに寒くて、アイスの時期じゃなかった。それにずいぶん暗くなってきた。


「肉まんにした方がよかったかな」


 歩きながら言う。


「夕ご飯前だからな~。パピコ半分でいいんじゃないか?」


 パーカーの袖にひっこめた手でパピコを持った勇が言った。


 それきり黙って歩く。勇の家の直前で足を止めて、わたしはおもむろに切り出した。


「あのさ、さっきの話なんだけど、そういうことで、いい?」

「え? ああ、いいよ」


 お互いそれまで黙っていたせいか、ほっとした顔をされた。


 でも内容も確認せずにあっさりいいよ、って言ったってことは、きっとこっちではキスしないって言う話のことだとは思ってないよね――それに、わたしが忘れている何かを隠しておく方が勇にとっては重大で、それだけ思い出して欲しくない、ってことだ。


「ほんとに、いい?」

「いいよ。何で?」

「……もっと抵抗されるかと思ったから」

「抵抗……俺が? そんなことないけど……え、ちょっと待って、これ何の話?」


 ちっ、もう気づいたか。


 すっかり陽が落ちたせいで、勇が髪の毛の間からなんとなく見える瞼をぱちぱちさせて、わたしの顔を見たのが、かろうじてわかった。


「こっちでキスするのは無理って話だよ」


 一瞬動きが止まって、目が丸くなったのが分かった。


「ええっ? そんな話? いつからそんな話? それになんで無理!?」


 狼狽えっぷりが可笑しすぎてつい吹き出してしまった。「いいって言ったよね」って、さらりと言おうと思ってたのに。


「や、笑ってるけど、ちょっといつからそんな話してた? 俺が記憶喪失? 愛梨が色々忘れてるって話じゃなかった?」


 おもしろすぎて路肩で笑っていたら、

「笑い話じゃないぞ、こら」

 って、パピコで冷えた指で首をつかまれた。


「うひゃ!」


 突然の逆襲に飛びあがる。


「冷た! 放して! 指が冷たい~!」

「嫌だ」


 首の皮をつままれたネコみたいに玄関先まで連行される。指先はすぐに冷たくなくなったけど、放してくれない。


「ごめん、ごめんって、ついおかしくて。ほんと、ごめ……」


 横目で見上げた勇の表情にはふざけたところが一切なくて――言葉が止まった。


「勇? どうし――」


 どうしたのかと問いかける言葉が遮られた。

 勇の指に。


 まだアイスで冷えているほうの指先が、唇に触れている。

 首の後ろをつかんだままの手に力が入って、背筋にさわさわと震えが走った。


 遊びのない真剣な目で、じっと見ているのは、指先でそっとなぞるわたしの、唇?


 なんか、これってちょっとまずい感じでは。


 少しずつ距離が近くなる。

 真剣な表情と、首の後ろの手のひらの温かさと、息づかいに圧倒される。


「あの、勇?」

「何?」


 声にも、ふざけた感じがない――。


「あの、ちょっと、近いよ?」

「そうだね」


 ますます近くなる。落ち着いたはずの心臓が、すご勢いで鼓動を打ち始めた。


「そうだね、じゃなくて。もう十分近いって」

「まだ、してないよ」

「まだ、とかじゃなくて……あの、せ、めて、室内でお願いしますっ!!」


 握りこぶし一つ分くらいまで唇が近づいて、どうにかそう言ったところで勇がピタリと動きを止めた。


「了~解♪」


 ふっと開いた空間と、首から離れた手に、ほっとすると同時にはめられたのだと気づいた。


「ちょっと?」

「うん? どうかした?」

「今の、何?」


 すっごく焦ったのに。


「え~と、交渉? さ、着いたし入ろっか?」


 ニコニコ笑顔で、二音強調された。


「……わたし、帰った方がいいような気がしてきた」

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