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94. 現実の現実味

「ちょっと、笑ってないで、離して」

「ダメ。せっかくだから、もうちょっと」

「『もうちょっと』じゃなくて、近すぎだよこれ。現実味が強すぎて大変」


 目の前に勇がいて、自分が抱きしめられてる感覚にすごい勢いで圧倒されてる。


「愛梨、現実の現実味が強いのは普通」そう言ってまた笑う。「それに俺、別に襲おうとか思ってるわけじゃないよ?」

「そうかもしれないけど、わたし、既に限界」

「何が?」

「だって本物なんだもん。こんなに違うなんて聞いてない」


「何が?」

「『何が?』って、勇は違わないの? 異世界あっち現実こっちの感覚。本当に、もう無理、離して」

「嫌だ。もうちょっと」


 声が楽しそうだし、無理やり押さえつけられてるとか、そういう感じはないけど、抜け出せない。すごく困る。


「無理、無理。もう眠れなくなりそう」

「じゃあ、あと五分」

「無理だって!」

「じゃあ一分でいいから。あと、頼むから、それ以上動かないで。襲いたくなる」


 最後の一声でぴたりと動きを止めた。本気じゃないってわかってるけど、でも、現実こっちで言われたせいか、生々しく聞こえて一瞬怖くなった。


 勇の方はわたしが動かなくなったことで安心したのか、ほっと息を吐いて、頭の上に頬を乗せた――向こうでやったみたいに。

 そのまま特に何があるわけでもなく、何をするでもなく、もちろん襲われるでもなく……ただ黙ってじっとしていたら、さっきまでのパニックが少し落ちついてきた。


 でも、異世界での昨日とほとんど同じ体勢なのに、やっぱり全然違う。

 昨日みたいに安心するんじゃなくて逆にドキドキしてる。


 勇が息をするたびにちょっときつくなる腕とか、軽くすりつけてくる頬の感じとか。わたしの背中に触れたままの掌の大きさとか、温かさとか。

 すごく、違う。

 もう一度そっと顔を上げたら、やっぱり異世界あっちでは少しも気がつかなかった喉ぼとけとか、首のホクロとか――もう少し顔をあげてみたら、顎の下にもホクロがあることに気づいた。これ、初めて気がついたかも。しげしげと眺めていたら、

「何?」

 って、聞かれた。視線に気づいたらしい。


「……あの、ええっと、なんでもない」

「キスもして欲しいなら俺は別にかまわない――」

「そうじゃない! ……あのさ、そろそろ離してくれる?」

「なんだ違うのか……じゃあ、あと二十秒」


 なんだ、ってがっかりしたように言わないで欲しい。

 これでキスなんかされたら絶対眠れなくなる。でもとりあえず、このままあと二十秒おとなしくしていればいいなら、よかった。


 キス発言でまた跳ね上がった心臓は、い~ち、に~い、さ~ん……と心の中で数えながら待っているうちに落ちついてきて、勇はちゃんと二十秒くらいで腕を緩めて離してくれた。


 解放されては~、と大きく息を吐いたら、勇が机の椅子を引っ張り出して無言で勧めてくれた。そのまま自分はベッドに移動して上掛けの上にひっくり返って、両手で顔を覆う。


「なんか、生きてるってすげー。俺、今夜きっと眠れない」


 ひっくり返った姿と、その言葉でようやく安心した。

 ほっと息を吐く。


「なんだ、やっぱり勇も違ったんじゃない。こんなになってるの、わたしだけかと思った」

「あっちはあっちでちゃんと感覚はあるのにな~」


 そう言いながら両手を見て、わたしを見る。


「こっちの方が、ずっと柔らかいし、いい匂いもするし、細い……あ、もしかして胸のせいか?」


 視線が標準仕様にもどったわたしの胸に移動した。


「ちょっと!? それ、わざわざ本人の目の前で口に出す? フィギュアの体型に似せたのは自分のくせに。じろじろ見ないで! 殴るよ!」


 拳を作ると、ひっくり返ったまま降参のポーズをして、勇が謝った。


「ごめん。ごめんって、単に幅の話! 愛梨の方が気持ちいいし」

「幅とか言うな! デブって言われてる気ぶ……ん、に? 今、なんて」

「アイリーンより愛梨の方が細くて柔らかくて気持ちいい。これって次回行ったときアイリーンに反映されると思う?」


 嬉しそうに自分の両手を見てる勇を、セクハラ発言をするなって殴りつけたい気がするけど、あっちの美少女仕様とはけっこう違うらしいことは喜ぶべきなのかもしれない。

 自分の行動を決めかねていると、勇が起きあがってベッドの上で胡坐をかいた。


「愛梨、どうだった?」

「……どうだったって?」

「俺の触りごこち? じゃないか、俺に? 抱かれごこちっていうか、あ、なんか、この発言ダメなやつだ。ええっと、触られごこち? で、合ってるのか?」


 ……残念発言のオンパレード。


「勇の今の発言も含めて、現実の重さが衝撃的すぎる……ちょっと頭を冷やしたい。コンビニ行ってアイス買ってくる」

「え? 今から? アイスならうちの冷凍庫にもあるし、食ったら冷えるのは頭じゃなくて腹だぞ?」


 そういうとこだけ、冷静に突っ込まなくていいんだけど。


「外に(・・)出たいの」


 目的がアイスじゃないことがはっきりわかるように言って睨む。


「……じゃあ、俺もついて行く。雑誌見たいし」


 階段を下りていくと、おばさんが驚いた顔をした。


「何、また忘れ物? 十分も経ってないのに」


 そっか、こっちでは十分も経ってないんだ。


「や、愛梨がご飯の後までいるならおやつ欲しいっていうし、俺も雑誌見たいからコンビニ行って来る。すぐ戻るよ」


 勇の返事は慣れたものだ。衝撃でご飯のこと、すっかり忘れてた。


「落ちつかない子たちね~」


 おばさんが呆れたように眦を下げて笑う。


「勇、お母さんにもポテチ買ってきてくれる? あと、冷凍のブルーベリー」

「いいけど、たぶん戻るまでに解けてくるよ?」

「いいの、今日食べるから。気をつけて行って来てね」

「ん~」


 勇がパーカーのフードを深くかぶって、家を出る。


 現実こっちで外に出るの、好きじゃないんだった。


「つきあわせて、ごめん」


 動転して勇の気持ちまで考えられなかったことを歩きながら謝る。


「や、いいよ、そんなの。それより、さっきのよくわからなかったんだけど、こっちでハグするのは……嫌だったってこと?」

「びっくりしたってことだよ……リアル過ぎて」

「さっきも言ってたよな。現実が現実的なのに驚いてる」


 おかしそうに言うけど、本当に現実の現実らしさ、すごかったんだよ。


「あと、勇のセクハラ的でいかがわしい発言にも、あの場にじっとしていられない程度には驚かされた」

「あれはごめん。俺も言ってから、違うなって思ったんだけど、すごく嬉しかったからつい聞いちゃって」

「嬉しかった……から?」

「うん。……すごく嬉しくて。現実を諦めてなくてよかったなって、思って。

 小さい時の思い出だけじゃ自分を繋ぎ留められなくなってたんだと思う。あっちで、ちっちゃいときみたいなキスはできたけど、彼氏は欲しくないって言われるし、アイリーンは様子が変だったし、そもそも小さい時の記憶っていいやつばっかじゃなくて、『大嫌い』って追い払われたことも何回かあったし、自信なかったから」


 ん?


「それでとにかく、ちょっとハグしてもらって、嫌われてない自信と幸せな記憶増やしときたいなって思ったんだけど――愛梨が自分の腕の中にいる感じが、かなり嬉しくて舞い上げっていたわけで――なんでそんな顔してるの? キスもいいよって言ったのは本当だから、愛梨さえよかったらいつでも――どうしたの?」


 足を止めて記憶を探るわたしに訝しむ顔を向けた。

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