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93. 現実の、ぎゅ。

 シルバーに押されるようにしてイザムのところに戻される。

 

 イザムは安堵で半泣きのわたしの顔を見て何を思ったのか、「ほら、みんな元気だったろ? シルバーの毛はもうちょっとかかるけど、ちゃんと生え揃うよ。それに、僕たちがここを離れるのは七つの国を回る間だけなんだし、その後だったらまた好きなだけ撫でてやれるんだから、そんなに寂しくならなくてもいいと思うよ?」って、なんだか見当違いのところを、それでも精一杯心配してくれた。


 自分でもはっきりとは気づいていなかったけど、わたしの心配事は、自分が本体と違っているような気がすることだけじゃなくて――イザムに中身をひっくり返されたみんなの心理的&身体的な状態の方だったみたいだ。

 そんなことは思いつかない様子のイザムを見て、「ほらな、一番気にしてるのはお前だぞ」と、シルバーが小声で言った。


「ほんとだね。……シルバーってすごいね。わたし、時々自分もイザムの解剖したい動物リストの一覧表に載ってるんじゃないかって思うことがあるんだけど、それだけでゾワッとなるよ」


 わたしも小声で返したら、「それは気のせいじゃない」って声が聞こえた気がした。


「え?」


 って聞き返したら、焦げの残る太い尻尾をばさりと振って、シルバーが会話を打ち切った。


「とにかく、用がないならもういいか? 主の機嫌が悪くなってきた」

「あ、うん。ありがとう。わたしも、もう向こうに帰らないといけないんだった」


 シルバーが扉に向かう。


「さっさと連れて帰れ。様子がおかしい」


 イザムにそう言って出て行くと、すぐにクロちゃんも出て行って、少し時間を置いてシルバーが確実にいなくなったことを確認してからベルも出て行った。


 さっきまでとはまた違って、ちょっと心配そうで、しかも不機嫌な顔をしたイザムと残される。


「何で不機嫌?」

「シルバーだよ。あいつと小声で何話してた? 俺には聞かせられない話?」


 なんだ、そんなこと。

 だけどイザムがみんなを――みんなだけじゃなくて、この三年の間に異世界の生き物を片っ端から解剖してたことがかなりショックだったみたいだ、なんて正直に言うのは気が進まない。

 だって、生き物の構造に対するイザムの執心はすごいから。真っ向から否定したくない。


「そうだね、聞かせられない話だと思っておけば?」

「何だよそれ」


 むっとした顔。


「あんな焦げ焦げにしたら、せっかくの毛皮が台無しだよ」

「毛皮……ああ、そうかお前ふわふわしたもの好きだから……でも、もう春だからすぐに夏毛に生え変わるよ」

 

 ちょっと納得した顔になった――よかった。


「イアゴも焦げてるの? 羽は無事? 家に帰ってるのって、療養中とかじゃないよね?」


 よかった、と思いつつもなんだかまた不安になってきた。


「やっぱりちょっといつもと違うな……」


 イザムが眉を寄せてわたしを見る。


現実むこうに戻ろう。一回帰って調整した方がいいみたいだ」


 きっぱり言って手を伸ばす。


「うん、そうだね、なんか落ちつかない感じがある」


 差し出された手に自分の手を乗せれば、確かにさっきここに戻って来た時は感じていなかった不安感がある。シルバーたちの無事は確認したのに安心するんじゃなくてまた不安になったのが解せない。


「大丈夫?」


 そんなわたしの様子に何を感じたのか、イザムがまた聞いてきた。


「うん、大丈夫だと思う。……でも何だろう、やっぱりちょっと変な感じ……や、まずは帰ろ」


 首を振って考えを切り替えると、いつもみたいにイザムの隣に行く。

 別に何もおかしなことなんてないのに、イザムがわたしの肩に手を乗せたときも、さっきと違ってなんとなく落ちつかない感じがした。


「アイリーン? 本当に大丈夫? なんか肩が緊張してる」

「うん。わかる……でも、とりあえず帰ろ?」

「了解。一応またつかまってて」


 緑色の光が広がって消える瞬間、小さくオルゴールの音が聞こえたような気がした。


~~~~~~


 目を開ければ、すっかり見慣れた勇の部屋に手をつないで並んで立っていた。パソコンもフィギュアもゲーム機も雑誌の山もいつもの通り。パソコンの画面の横に挟まっている「ご飯の約束」の文字が書かれた紙を見て、ほーっと安堵の息を吐いた。


 ちゃんと帰ってきた。


「大丈夫?」


 勇、さっきからそればっかりだ。


「とりあえず大丈夫みたい。心配させてごめんね」


 自分の身体を見下ろす。つないでいた手を離すと、両手を開いたり閉じたりしてみる。別に違和感はないし、いつもと変わらないような気がする。


 平気な証拠に笑顔を見せる。


「勇は、大丈夫?」

「楽しかったから、いつもよりちょっと去りがたかったけど、俺は愛梨がいる場所に戻るって考えてるから、そんなに難しくない――愛梨の方こそ予想外に楽しそうだったし、いつもより帰りにくかったんじゃない? もう数日くらいならいいか、ってそういうのが怖いんだ。こっちでの時間をもうちょっと増やした方がいいかもしれない」


 そう話しながら、まだ心配そうな顔をしている。

 そっか。だからあんなにすぐに帰ろうとしていたのか。確かに、肝心のわたしが帰りたくなくなっちゃったりしたら本末転倒だし。


「ところで、愛梨?」

「うん?」

「ちょっとだけ、いい?」

「何が?」


 答えはなかった。代わりに両腕を開いてる――。

 まったく予期していなかった行動に、思わず息を呑んで見上げたら、勇がじっとこっちを見ていた。まじまじと見返してしまう。


「だめかな? 俺、今結構落ちつかなくて」


 そう言われて、ますますじっと見てしまう。


「……ええと、ここ、現実なんだけど」

「現実だとダメ? 俺が不安になったら、してくれるんでしょ?」

「……言ったけど。こっちでとは思っていなかったし、予想外で」


 正直に答える。


「ダメ?」

「ええっと……」

「ちょっとでいいよ」


 そう言って勇が「ん」と、もう一度両腕を広げる。


「今?」

「そう、今。早く」


 急かされた。


「え? 早く? ただでさえ反応できてないのに、早くとか言う?」

「待ってたら日が暮れそうだから――」


 片手を取られて引き寄せられて、はっとした時にはもう目の前で。


「この前みたいにして」

「この前、って?」

「前に帰ってくるときにしてくれたみたいに、ちょっと、ぎゅっ、って。ちょっとでいいから」


 見上げてみれば確かにちょっと心配そうな顔はしてるけど……とりあえず言われるままにちょっとだけ引き寄せてみたら、くっついた耳に心臓の音が響いてきた。

 それにあったかい。

 呼吸の度にけっこう胸が上下するし、心臓の音だけじゃなくて、息の音もする。

 おばさんが洗濯に使ってる柔軟剤の匂いもするし、たぶん、勇自身の匂いもする。

 ゆっくり顔を上げてみれば、喉ぼとけが上下するのが見えて、不思議な感じ。すぐ目の前に勇の顎があって、うっすらと髭のあとまで見える。


 なんていうか、この前向こうで抱きしめた時とは全然違って、すごく本物っぽい――。


 違う。本物、なんだ。


 そう思ったらいきなりドキドキしてきた。

 そして急に現実感が襲ってきた。


 これって、いいの? この状態って、大丈夫なの? それより、わたし、一体何やってるの? 幼なじみとはいえ男子の部屋で、抱き合ったりして? こんなにぴったりくっついていいわけ? 


 いいわけないじゃん!!


「や、ダメ、待って。これ、無理なやつ。ダメだ」


 おたおたし始めたわたしに気がついた勇がふっと笑って、胸が振動したのが伝わってくる。


 その胸を押して身体を離そうとしたときには、もうしっかり勇の腕の中だった。

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