91. マラソン大会
食休みを兼ねて二時間ほど馬車で進んでから、馬車の幌を下ろして中で着替えて、靴だけをイザムに変えてもらって、わたしたちはマラソン大会を実施することになった。
「ヴェッラ、足速い?」
髪の毛を一つに結びながら聞いてみる。
「最近走ってないからわかんない。でも、それなりにスタミナはあるはず。だけど、マラソンじゃなくてジョギングだよ?」
ヴェッラは最初から無理しない宣言をして隣を見た。
「せっかくだからタイガも走ろうよ。あっちでは走れなかったんでしょ?」
「あ、そっか、僕も走っていいのか」
タイガくんを誘うと、タイガくんは初めて気がついたように自分の身体を見下ろして、とんがり帽子を脱いだ。
「うっそ、タイガ走んの?」
イザムが驚いた声で聞く。こっちは走らない気満々だ。
「イザムは馬車で追いかけてよ。脱落したら拾って」
「アルフさんはどうする?」
ヴェッラが聞く。
「ご一緒します。ただ走ればいいんですよね?」
こっちも上着を脱いで身軽になる。
「そう。体力づくり的な感じで」
ってわたしが言うと、
「わたしはマラソンじゃなくてジョギング!」
ヴェッラが主張して、
「僕もその方がいいな。長距離を走ること自体久しぶりだし」
タイガくんも言う。
まあ、それぞれだよね。
「わたしは自分の体力でどのくらい走れるかわからないから、とりあえず適当に走ってみるしかないかな~」
「魔法の防御はするし、一応アルフ以外はドラゴンの鱗を持って。あと、馬車はタイガたちに合わせるから、アルフはアイリーンを頼む。見えないとこには行くなよ。離れすぎるようなら折り返して」
そういうなり、イザムがみんなにホワンと白い光を飛ばして、その後で首から下げる形にしたドラゴンのお守りを渡してくれた。
あんまりのんびりしてるから忘れてたけど、そういえば、ここには人を攻撃するような魔獣もいるんだった。
「三つしかないから、アルフは取り敢えず何かあっても自力で何とかしろよ? あと、物理防御は成長のためだと思って各自がんばれ。アイリーンは武器を持ってることを忘れるなよ。距離が開くし、パーティ外すから自分で動け」
いつの間にやらちゃんと対策をしていたらしいイザムにあらためて感心だ。わたしなんてパーティに入っていたことさえ気づかなかった。
「オッケー……っていうか、アルフさんをわたしにつけちゃったらイザムたちの物理攻撃はどうするの?」
「だからあんまり離れるなって言ってんの。何かあったら助けに来て」
「了解~!」
軽く敬礼の仕草をして屈伸する。
「ええと? 今の会話はどういう意味ですか?」
アルフさんに聞かれた。
わたしが来て物理攻撃防御系がちょっとマシになった、って話は聞いてたと思うけど。
「いつもは、わたしが物理攻撃と物理防御担当なんです。イザムは魔導士だから後方支援。敵が出たら、わたしが倒しやすいようにそいつの情報を教えてくれるし、回復魔法もかけてくれる。でも今からの走っている間はその関係をいったん外すから、バラバラに動くけどお互い気にしながら進もうねってことです」
説明すると、戸惑う表情だ。
「そう聞いてはいましたけれど、本当なんですね……けれどアイリーン様は女性ですし……」
アルフさんはわたしが物理攻撃の矢面に立つのが信じがたいらしい。
「あ、わたしが怪我をしても回復魔法とか、使わないでくださいね。ドラゴンのお守りを持っていると、ステータス異常を引き起こす魔法は反撃される可能性があるので」
それを聞いてアルフさんが目を丸くする。
「回復もできないのですか? それはあんまりな……」
「これを言うのは念のためです。それに得意不得意は性別では決められないでしょ? 酷い怪我をしたらイザムに治してもらうし、簡単な怪我なら自分でも治せるから大丈夫。
っていうか、わたしに怪我をさせて生きてる相手は異世界にはいないからわたしが襲われることに関しては心配しなくていいです。むしろ過失でも直接わたしに怪我をさせないように、戦闘があったらわたしから離れることをお勧めします……」
一応注意しておく。この周囲一帯で一番怖いのは間違いなくイザムだ。「傷をつけたら殺す」っていう昨夜の言葉は、今のところ嘘じゃない。
腰に下げたままの長剣の柄に触れたアルフさんが、ちょっと引きつった顔で頷いた。
~~~~~~
約一時間半後、マラソン大会は「到着時間が遅くなるから終わりにしよう」というイザムのストップがかかって、何事もなく終了した。
一番平気そうだったのはなんと前回いつ走ったのかの記憶さえない、というタイガくん。
「本物の僕は、走って疲れるっていう感覚は知らないんだった」
そう話すタイガくんは、一度も休まずに一時間半を走り通し、息も乱れていない。
ぼそっと呟いたあとで、はっと息を呑む。
「これ、後で筋肉痛になったりしないですよね?」
焦ったように周りを見回しているのを見て、イザムが吹き出した。
「これだけ走っておいて、ものすごく今さらだな」
「筋肉痛の記憶はあるの?」
こちらも平気そうな顔をしているヴェッラに聞かれて、
「腕とか肩ならあるよ。サックスの吹きすぎとか、ドラムの叩きすぎとか、あ、あの時は足もちょっと疲れたような気がする……あ、待って、今ってそういうの思い出したらダメなやつ? やっぱり筋肉痛になるかな?」
慌てて首を振って考えを追い払おうとしている。
「走った、だけじゃ、疲れ、ないんだし、今、それだけ、平気な、んだから、大丈夫、じゃない?」
って言ったわたしは、息があがっている。最後に十五分ダッシュしたせいだ。
「治癒魔法かけてやろうか?」
道端にひっくり返っていると、イザムが上からのぞき込んだ。
「いらない、息が、あがってる、だけだから、落ちつけば、平気」
「アイリーンの体力も底なし?」
ヴェッラも隣からのぞき込む。
「シルバー、と、子狼たち、のせい……思ったより、ずっと、体力が、ついてた」
「シルバー?」
聞き覚えのない名前に眉を寄せたヴェッラにイザムが説明する。
「うちの領地の管理人とその子どもたち。アイリーンはこの冬中あいつらと外で遊んでたから、そのせいでレベルアップしたみたいだ。確かに最初の頃はすぐへばってたけど、春先には結構長時間遊んでたし」
獲物とり合戦や宝探しもしたから、シーフのスキルもレベルアップしていると思う。シュヴァルツさんから鍵を奪える日も近いかも――やらないけど。そう思いながら大きく息をする。
アルフさんが呆れたようにわたしたちを見回した。こちらも体力的には平気そうだ。
「訪問者の方たちは体力的に優勢なのですか? それともあなたたちが時別ですか?」
「あ、俺は標準。もっと簡単に疲れるよ。ただし疲れたら治癒魔法使うけど」
イザムがへろっと標準宣言をした。
それはチートだ、って思ったけど、呼吸を整えたくて黙っていたら、「それって標準とは言わないんじゃ……?」って、タイガくんが突っ込んでくれた。
だよね。
「不足は補って然り。疲れるとこまでが標準。回復するとこからは魔導士ジョブの特権」
「なるほど」
なんだかもっともらしい言い方に、アルフさんがすんなり納得してる。
「とりあえずみんな乗って、宿屋に向かおうか。馬車に乗っちゃえば平気だから鱗は返して――ヴェッラは満足した?」
そう聞かれれたヴェッラが、ドラゴンの鱗を渡しながらにっこり笑う。
「宿屋まで座っていられるくらいには」
「アイリーンは? 大丈夫?」
聞かれて体を起こす。
「体力的には余裕。でも――本体とのギャップが開きすぎてることに気がついちゃって、現実が恋しくなってきた。近いうちに一回帰りたいかな」
また昔のことを思い出したせいなのか、それともイザムがシュヴァルツさんたちを解体していたことがショックだったのか、なんとなく落ちつかない感じが残っていて――今朝も型の練習をしたし、今もこれだけ走ったのに、まだ足りないような気がしている。
こういうときは、やってもやっても疲れにくいこの偽物の身体じゃなくて、一度、自分本体で落ち着いた方がいいんじゃないかと思う。
自分の両手を見下ろしながら言えば、イザムもじっと観察するようにわたしを見た。
「アルフ、俺たち今から一回帰るから、残りのメンバーだけで明日の夕方までに壁の町まで行って。置いていく荷物はそのまま積みっぱなしでいい。一応馬車に魔法と物理防御をつけていく。それからお守りを三人分渡すから、俺たちが戻るまで絶対手放すな。戻ってきたらそれを目印に探すから。もし明後日の朝までに戻って来なかったら、先に王城まで行っていい。そっちで合流する」
イザムが即座にアルフさんに指示を出して、予定を変更した。




