9. 転移
目の前の全身鏡に映ったのは、わたしのようでいてわたしじゃない、でもやっぱりわたしっていう状態の、本人を七割増しくらいにした美少女――に見えた。
これは、さっきの男の子が出会うなり美人って言ったわけだ。
いや、普段のわたしだってごく普通の、平均的な顔つきをしてるはずなんだけど。
どこがどうなってこうなったのかわからない。
ゲームだから? つまり通常状態だとゲームに耐えないスペックだと……。
うん。精神衛生上よくなさそうだからそれ以上考えるのはやめよっかな。
体型も衣装も、イザムが言った通りで、確かによく似合っていた。
こうやって鏡で全身を見てみれば、あのフィギュアみたいに肉感的なボンキュッボンではないのがよくわかる。違和感なくそれなりに存在を主張する胸と、すらりと長い脚は、白いシャツとプリーツのミニスカートがよく似合っていて健康的だ。
ニコニコいい笑顔のイザムと鏡ごしに目が合う。
「うん、よく似合う」
ボーイッシュで活動的な恰好とポニーテルに、ピンクの石が女の子らしい甘さを添えていた。
結局、わたしは上着とアンダースコートのほかにそのネックレスを入手することになった。
「ありがとうございました。またどうぞ」
お決まりの挨拶で送り出されて外に出る。
「あの、お会計って……」
「そこはほら、気にせずに。今までに貯まった分もあるし、安心して頼ってくれちゃっていいよ。こんなところまで付き合ってもらってるわけだし、こっちの好みの格好をしてもらってお金を取るわけにいかないよ。それに本当によく似合ってるし」
にっこり笑ったイザムがまたわたしを鑑賞する。
購入した衣類を身に着けたので胸はほぼ隠れているしパンチラもないけど、それでもまだ見ていることを考えると、仲間ができたことが本当に嬉しいんだと思う。
「さ、行こうか」
また左手を伸ばす。その動きはさっきよりずっと自然だった。
自分の外見が心配していたほどエッチじゃなかったことや、思いがけず女の子らしいピンクの石のついたネックレスを選んでくれたのが嬉しかったこともあり、わたしもすんなりとその手に自分の右手を重ねながら感謝の気持ちを言葉にできた。
「ありがとう」
やっぱり優しいよな、って思った。
なんだかんだで、一緒にいない時期はあったけど、基本は変わっていない――。
そんな気持ちのせいか、お礼の言葉は思っていたよりずっと優しく響いたような気がした。
ふっとゆるんだイザムの表情が、にやり、と一瞬不敵な笑みに変わったような気がして――途端にあたりが緑色の光に包まれた。
見覚えのない文字や記号が羅列された円陣が地面に浮かび上がる。
何が起こっているのかわからずあたりを見回すと、ゆらり、と地面が揺れて、わたしの右手をつかんでいた指にくっと力が込められ、引き寄せられた。
うわん、と耳鳴りのような音がした。
「時は来たり。我ここに大魔導士イザムラールの名をもって我が意を受け入れし者を我が館に迎えん」
頭の中に声が響いて、視界が歪んだ。フリーホールに乗ったときのような浮遊感に眩暈がして、かたく目を閉じれば、足元がふらついた。力強い手が腰に回され、耳元で声がした。
「大丈夫。このままで」
すがりつくようにローブの布地を引き寄せれば、わたしの右手を握っていた手がゆるめられ、そのままきつく肩を抱いて支えてくれる。
どのくらいの時間が経ったのか、やがて眩暈が引いていき、緑の光も不思議な音も消えていった。
まず感じたのはぴたりと頬に寄せられた体の温もりと耳の中でうるさいくらいに激しく打っている鼓動だった。
「アイリーン? 聞こえてる? おーい、アイリーン?」
頭の上から降ってくる声。アイリーンって誰? ――わたしか。
名前を呼ぶ声は? 聞き覚えがあるのになんだか違う――これって、誰の声だっけ?
ゆっくりと目を開けると、見覚えのない灰色の石でできた床が視界に入った。
ここ、どこ?
「お~い? 聞こえてる?」
顎の下に手が当てられくい、と上を向かせられると、ふら、と視界が揺れ、慌てて目を閉じる。
「聞……こえてる。ちょっと、待って。目が回って……」
落ちついて呼吸を整えようとしていたら、今度はぐらりと世界が揺れて、倒れるかと思って思わず息をのみ、しっかりと目は閉じたままで、さらさらとしたローブをきつく握りしめていた指に更に力を込めた。
けれど、倒れそうになったわけではなかったらしい。そのままふわりと掬い上げられてどこかに運ばれていく。
「何? わたし……どこに連れて行くの?」
「アイリーンの部屋だよ。大丈夫。転移に酔っただけだから。すぐに治まる」
穏やかな声は耳に心地いいけど、アイリーンの――つまりわたしの部屋? 部屋? それに誰だっけ、この人。コツコツと足音が響いて、さわさわと衣擦れの音もする。誰かがついてきている気配も。
「扉を」
頭上から声が降ってきて、歩みが止まった。ドアが開けられたらしく、すぐにまた動きだしたかと思うとふんわりとやわらかい布の上に下ろされた。
「このまま落ちつくまでしばらく休むといいよ。大丈夫。ここには君を害する存在はいないから。眠りの魔法を使うよ」
ゆっくり話す優しい声と、頬を撫でた指の感触。それはいい。だけど、なんだか――。
「待って、誰……?」
重い瞼に抗って目を開けると、どこかで見たような優しい微笑み見えたような気がしたけれど、すぐに真っ暗になった。