86. 魔法のかけ方
「さっきわたしを探すのに魔法を使ったでしょ? あれ、何?」
残り百メートル程度の距離は、歩きながら話した。
「あれは、人を探すやつじゃなくて、風を使ってちょっと周囲を威嚇しただけ。アイリーンが近くにいるのはわかってたから……っていうか、それも聞きたかったんだった。アイリーンが散歩に行ってる時、ちょっと不思議な感覚があって、それで一応警戒しておいた方がいいかと思って、強めの風で周囲を威嚇したんだよ。
で、誰か――何かでもいいけど、見かけなかった?」
それなら、見た。
もう一度、丘の方を振り返る。
「見たことは見たんだけど、大学生くらいの――男の人か、背の高い女の人かもしれない――に会ったの。顔つきからも声からも性別不明で、大きめの肩さげカバンを持っててね。濃い目の短い茶髪で、いい人そうだった。
わたしが空手の練習をしてたのをたまたま見たみたいで、動きがきれいだって誉めてくれたんだ。服装はここの人みたいだったけど、色白でずいぶん身ぎれいにしていたから、わたしたちみたいに訪問者なのかもって思った。
でも、向こうが自己紹介をしようとしたところでイザムの風が吹いてきて、わたしは急いで戻ったから、実際に言葉を交わしたのは挨拶くらいなもので、名前も聞けなくて。あそこの丘の端っこのところで振りかえったらもういなかった。
この国に他にも訪問者が来てるとか、聞いたことないよね?」
首をかしげながら言うと、イザムも眉を寄せた。
「ないな。昨日カウンターで注文しながら話したときは誰もそんな話はしていなかったし、地元の奴が知ってるならアルフが知ってるはずだ。あとでもう一回宿屋の親父さんに聞いてみるか」
「馬車を確認してから戻るから先に行ってて」と、言うイザムと別れ、部屋のドアをノックする。
ちょっと間が開いて、相手を確認もせずにいきなりヴェッラが扉を開けた――まだ半分眠っているような顔で、寝間着が肩からずり落ちて、フィギュアでもおかしくないような胸のふくらみが半分くらい見えてる――さっきイザムに「散歩に行った」って伝言を聞かなかったかって聞いたときのごにょごにょと、さっきの「馬車を見てくる」って言葉、その理由はこれか。
「ちょっと、ヴェッラ!? もしかしてイザムが来た時もそのかっこでいきなりドア開けたの? 今だって、相手を確認もしないで!」
「あ~、うん。アイリーンだと思ったから、ごめん。そう言えば、さっきも怒られたんだった……。イザム君、過保護だね~お父さんみたい」
まだ眠っているような声と足取りで、窓ぎわのベッドに向かう。
「ちょっと、また寝ないでよ。そろそろ起きないと! どうしても眠いなら朝ごはん食べて出発してから馬車で寝て!」
「アイリーンはお母さんみたい~。もうちょっと寝かせてください、お母サマ~」
そう言って上掛けの中にもぐり込もうとする。
なんじゃそりゃ。
「わたしにはこんなおっきい子どもはいない! っていうかそっちの方が年上じゃん。着替えて朝ごはんにしようよ。わたし、もうお腹すいちゃったし」
ばさりと上掛けを引きはがすと、今度は空いているわたしのベッドにもぐり込もうとする。
「朝っぱらから散歩とかするからだよぉ……わたし、夜型なの」
ベッドの上掛けを引っ張るわたしにけっこうしっかりと抵抗する。
「そんなの、慣れだよ。どっかで朝方に切り替えないと大変だよ?」
「いいんだよぉ、踊り子は夜働くんだから。それに睡眠不足はお肌の大敵。だからいいの~」
「それもそっか……じゃなくて、今は集団行動なんだからそれじゃダメ! この旅に期待してるんでしょ? 起きないと今朝会った人のこと教えてあげないよ!」
もっともな理由に納得してしまう所だったよ。
「……誰かに、会ったの?」
上掛けの下から頭だけ出して、ヴェッラが聞いた。
「起きないと教えな~い」
ふふん、と笑ってみせると、ばさりと上掛けを跳ねのけた。
「男の人、でしょ? 何歳くらい? 散歩で会ったの? かっこよかった?」
おお、食いついた。
「ちゃんと着替えて、下に集合。朝ご飯食べながら話そ」
ヴェッラを誘いながら、ハーフアップのくるりんぱをほどいて、とかし直す。この間までのサラサラストレートと違ってまとめやすくて楽だ。タイガくんの「髪型は」って言葉が気になって、三つ編みにしてみたりお団子にしてみたりしてるんだけど、イザムはわたしがどんな髪型にしてもなんにも言ってこないし、タイガくんもそうだ。
イザムに口止めされたんじゃないかと思う。本人はもちろんしらばっくれるばかりだし。
とりあえずにひとまとめにして、しぼったタオルで顔を洗うついでに、身体も拭くことにする。この部屋には暖炉がないし鍋もないので、水さしのまま、魔法で気やすめ程度に温めてみる。今のわたしは滅多なことでは風邪はひかないらしいけど、イザムみたいに媒体なしに原子や分子を思い浮かべる以外に、水をお湯にする簡単な方法があればな、って真剣に思った。
ブツブツ呟いていると、「仕方ない、起きるか~」って、大きく伸びをしてヴェッラもベッドから降りてきて、わたしと水差しを見比べる。
「何やってるの?」
「身体を拭きたいから、温められないかなって思って。でもわたし、魔法は苦手なんだ」
そう言うと、ヴェッラが目を丸くした。
「そうなの? 貸して、やってあげる。熱くはならないけど、温くはなるから」
「できるの? やった! すごく嬉しい」
片手を伸ばして、わたしが差し出した水差しを受け取ると、ヴェッラは胸の前で抱きしめるように抱えた。
「あったか~くな~れ、ぽっかぽか!」
「それ呪文?」
もろそのまんまなんだけど。
そう思って聞いたらヴェッラが笑った。
「呪文とかじゃなくて、希望っていうか、そうだな、気分的には卵を温める親鳥の感じ? 寒くないように包んでるような。だから抱きしめられるくらいの大きさまでしかできないし、温かい程度の温度なんだけど、顔や身体を拭くなら水よりましでしょ」
はい、と渡してくれた水差しが人肌よりちょっと温かい。
「へ~。卵か~わかりやすいね。あとでやってみる。イザムの説明だとわかりにくくて想像できなかったから。お湯、ありがとう。使わせてもらいます」
さっき水を触った後だけに、温水は幸せだった。
ヴェッラが自分のベッドに戻って柔軟体操をし始める。起き抜けなのに目を見張るほど身体が柔らかい。
「イザム君は魔導師なんでしょ? 頭もよさそうなのに説明下手なの?」
一八〇度に開脚した状態で前に身体を倒しながら喋ってる。すごい。
「イザムの頭の中はわたしとは違うんだよ。水を原子レベルで振動させてあっためてるんだって。でもうまく想像できなくて」
「……それを想像してあったかくできるの? イザム君って頭いいの? 悪いの?」
「現実では偏りが激しいらしいけど、詳しくはわかんない。」
首を横に振ると、ヴェッラも首を振った。
「温めるやつ、やり過ぎるとだるくなるから気をつけて。前に風呂桶一杯分温めようとしたら力尽きてお風呂で溺れそうになった」
その時のことを思い出したのか、ふふっと笑う。
「それって魔力切れじゃない? イザムも魔法を使い過ぎると回復に時間が必要だって言ってた。一回現実に帰って初期値に回復させることもあるよ――ところでこのお湯、使い切って水を入れておいても平気?」
「そのくらい温めるのは大丈夫だから使っちゃっていいけど、汲みに行くの大変じゃない?」
「このくらいの量なら出せるよ」
一応練習したのだ。水量は多くないけど、それなりにできる。
「そうなの? そっちの方がすごいよ! やるところ見せてくれる?」
「いいよ、もちろん」
手早く身体を拭き終えて衣服を身に着けると、空の水差しを窓ぎわのテーブルに載せる。
ヴェッラがベッドから降りてきて横に立った。わたしは空中で右手の指をひねる動きをして、「ジャー」と一言。
何もない空気中から水が流れ出してきて、空の水差しに溜まっていく。ある程度のところで指を反対にひねる。「キュッ」とまた一言で、水が止まったのを見てヴェッラが笑い出した。
「アイリーン、今の、そのまんま水道の蛇口だね」
「そうそう、そのイメージ。これもイザムの説明だと難しくて、最終的には今の状態になったんだけどね。上下させるレバーよりひねる方が止めやすいみたいで、旧式の蛇口になったの」
「……ちなみにどんな説明をされたの?」
水がたまった水差しを抱きしめながらヴェッラが聞く。
「『空気中の酸素分子と水素原子を取り出して結合させてる』って。やってみたら温めるよりは簡単だったけど、部屋の中で雨が降ったから、今挑戦するのはおすすめしない」
かぶりを振ったわたしを見て、ヴェッラも情けない顔で首を振った。
「……わたしには『ジャー、キュッ』のほうがずっとわかりやすいしあってると思う。後で練習する……とりあえず、どっちも外で」
ヴェッラも顔や体を拭いて身支度をする。
ヴェッラの今日の格好は黒のぴったりした短いへそ出しのタンクトップとレギンスの上下。そのうえからゆったりした麻の白いシャツを羽織っただけで、小ぶりの揺れる金ピアスと手首のブレスレット以外にはアクセサリーもない。とてもシンプルなのに、スタイルだけでなく姿勢もいいせいか、すごく洗練されているように見えた。
わたし自身も、こっちにいるときはけっこうナイスバディなんだよね……本来よりすらりと長い脚と存在感のある胸をちょっと恨めしく見下ろす。この体型に慣れたら、現実が辛くなるかも。
ちょっと落ち込みながら制服もどきのセーラーカラーの胸もとにリボンを止めているわたしを見て、ちょっとためらってからヴェッラが口にした。
「それ、ちょっと前に流行った学園系のゲームの制服でしょ? アイリーンってゲーム好きには見えないけど、実はそういうの好きなの?」
「ヴェッラ、知ってるの?」
自分の格好を見下ろしてからヴェッラを見る。
「やったことはないけど。だって乙女ゲーならともかく、それって男性向けだし。けっこうコアなファンがいて、ゲーム雑誌に特集が組まれたこともあったはずだよ。わたし、入院してるときに暇にまかせてゲームをしてたから、記事に見覚えがあって、たぶんその中にあったと思うんだけど……」
そう言いながら、どうにも納得できない、といった顔だ。




