84. 誰かさんとの出会い
「タイガくんは違うの?」
さっきヴェッラは、否定はしなかった。それは、可能性はある(・・)ってことだと思う。
ヴェッラは一つため息を吐いて起き上がると、ぐっ、とわたしの方に詰め寄った。
「タイガは――タイガはさ、わたしの本体を見てないの。わたしと会ったときは、もう視界がぼやけてたから。わたしはタイガ本人を見たけど、タイガが見たことがあるわたしは、この世界の、ヴェッラだけ。
――それって、フェアじゃないと思わない?
つまり、あいつはわたしがこんなふうだ、って思ってるんだよ。たぶん」
それは、つまり――わたし本人がアイリーンとはだいぶ違って、見劣りが……ってそういうのと同じ、だろうか。
「それに、今は同じくらいの歳に見えるけど、もとはわたしの方が年上でしょ? あっちは向こうでは中学生だよ? いいやつだってのは、わかってるけど、恋愛対象としてどうかってのも疑問があるし、好きとかよりも「同志」っていうか、仲間っていうか、そんな感じで。やっぱり向こうで好きになった人がいなかったせいか、自分の気持ちもよくわからないんだよね。憧れてた人はいたよ? 海外のバレエダンサー。でもそれって恋愛とは違うし。
それに、タイガがこの世界に残るかどうかもわからないし――将来がなさそうなわたしと違って、目が見えなくなったって、支えてくれる家族や友達だっているんだし」
最後はしんみりと言ったけど、
「とにかく、タイガのことはできるだけ期待しないようにしてる。もしかしたらもっと素敵な人が現れるかもしれないしね、イザム君はダメみたいだけど。とにかくこの旅には期待してるの!」
にこやかに笑ってみせた。
「できるだけ期待しないように、それでも期待してる」
っていうのが、今わたしたちができる最大限の前向き――それはいいな、って思った。
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次の日の早朝、顔を洗ってからどこぞの制服セットを身に着けると、わたしは部屋を出た。まだ眠そうなヴェッラに「一時間くらいで戻るね」と言って、閉めた扉に鍵がかけられたのを確認してから表に向かう。
風のない気持ちいい朝の空気の中を、昨日の夕方にここに着いたときに馬車から見た丘に向かってどんどん歩く。道を挟んですぐ反対だから遠くない。念のため、懐にドラゴンの鱗のネックレスを忍ばせてあるから、万一の魔法防御もばっちりだ。
こんなふうに外に出たのは、身体を動かしてスッキリしたくなったから。
現実でなら、走ってもいいんだけど、この世界にいると体力が違うから、体力づくりと称して走ったりしたら何時間走ることになるのかわからない。だから、ある程度離れたら声を出さずに空手の型の練習をするつもりだった――悶々としながら一日中おとなしく馬車に揺られているのは性に合わない。
昨夜のこと――けっこう穏やかに終わったけど、よくよく考えてみたら気づいた――わたし、昨日イザムにキスされた。それはいいんだけど、わたしたちはつきあってないし、好きは好きでも恋愛感情として好きなのかって聞かれたら否定するような相手なのに、嫌じゃなかった。それってちょっと、いや、かなりダメなんじゃないかって。
現実にいてもらいたい、って思ってるのは確かで、いなくなったら嫌だって思う。でも、彼氏になって欲しいとか、つきあいたいって思ったことは――ない。
でも昨日キスされたときは嫌じゃなかったし、それですごくほっとしたのは確かで――頭の中が五歳児並みにしかものを感じていなかったのかもしれないけど、嫌じゃなかったんならやっぱり恋愛感情として好きなんじゃないの? って自分に聞いて、そうなのかなあって考えて、だけど、落ちついて考え直してみても、またして欲しいとは思っていなくて。
ということはこれってやっぱり恋愛感情じゃないと思う。
さらに記憶をたどってみて気がついた。前にアルフレッド様にキスしてあげようかって言われた時に心惹かれたのは、チャームがかかっていたせいだと思うし、キスの相手が誰でもいいとか、そんなことを思ったことはないけど、よく考えてみればわたし――この人じゃないと嫌だ、って思ったことも、ない。
ひょっとしたら、わたしってものすごく節操がない?
そんなはずないって思うけど。
でも、だったらもっと嫌悪感とか、自分の行いを否定する気持ちがあるべきなんじゃないのかな。
そう思って昨夜のキスを否定するような気持ちを探してみたけれど、自分の中には見当たらなくて、むしろなんだかとても穏やかな気持ちしかなかった。
ああやって、小さい頃の自分たちがお互いを大切に助け合っていたんだなっていう微笑ましい気持ちになるだけだ。
そして、こんなふうに延々と考えるのは、わたしらしくない。
ゆるい傾斜をがしがし歩いて登り、時折振りかえって周囲も確認しつつ、丘の反対側に向かう。
視界から心が揺れる物――イザムがいる宿――が消える位置に行きたい。
できるだけ平坦な場所を探してあたりを確認してから、お日様の方向に礼をして息を整えた。
型の練習をする。始めはゆっくり。頭のてっぺんから腰までの身体の芯と、腰から下の重心を意識する。
左に開いて一歩。戻ってもう一回。自分の脚、腕、力を抜かない、息は止めない。また一歩。今度は返して、右に一歩。足場が草地のせいかそれともローファーのせいか、はたまた気持ちが乱れているのか、安定が悪い。もう一回最初から――。右足と一緒に伸ばした腕の角度、向き。後ろに引いた左肘の位置。もう一回。両足の並び、落とした腰の高さ。向き。もう一回――。下段。中段。少し速く、もう一回。もう少し早く。焦らないで、できることを一つずつ。
頭の中は次の自分の動きだけ。集中して、呼吸して。集中して――。
繰り返すうちにだんだん気持ちが落ち着いて、周りの空気みたいに澄んでくる。今できることを、一つずつやればいい、振り回されず、いずれ答えが出るまで、焦らずに。
等身大の自分を受け入れる、この感覚が、好きだ。
深呼吸して礼をする。
よし、落ち着いた。戻ろ。
くるりと振り返ったら、パチパチと手を叩く音がして、丘の上にひょろりと背の高い人の姿があった。
誰もいないと思ったのに、見物人がいたらしい。よっぽど集中していたのか、見られていたことに気づかなかった。急いであたりを見回したけど、その人の他には人の姿はない。
ここの住人がよく身に着けている、麻っぽいくすんだ布地の頭からかぶる簡単な服とふくらはぎまでのズボン。ちょっと乱れた濃茶の短い髪の毛。スケッチブックでも入りそうな大きめの薄茶の肩さげカバンを持っていて、警戒心も何もない様子でとことこと丘を下ってくる――背が高いのに、細身のせいか、とことこ、っていう表現がぴったりの歩き方だ。
見た目は二十歳かもう少し上くらい。服装はこっちの人っぽいけど、それにしては小ぎれいで、肌が白い。顔つきも骨格も中性的で、身長的には男の人みたいだけど、胸の薄い女の人かもしれない。
「おはよう」
にっこりして言った、少しかすれた挨拶の声までが中性的で、性別がわからなかった。
「おはよう、ございます」
軽く頭を下げて挨拶する。
「勝手に見させてもらってごめんね。黙って立ち去ろうかとも思ったんだけど、すごくきれいだったから拍手しちゃった」
嬉しそうに話す声と、何のてらいもない笑顔に警戒心と驚きが消える。
「ありがとうございます。あの、このあたりの方ですか?」
「ううん。ボクは――」
性別不明の誰かさんが自分のことを話そうとしたとき、今まで無風だった空気が揺れた。丘の向こうから強い風が吹いてきて、さわり、と背筋が震える。
その感覚に覚えがあって、はっとした。




