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83. 穏やかな

 そんな素直な言葉と一緒に、そのままそっと抱き寄せられれば、抵抗する気持ちはすっとどこかに消えていった。

 ああやって、小さい頃のわたしを慰めてくれていたんだ、って――素直に感謝の気持ちがわいてくる。


「あの、ありがと」

「何が?」


 さっきまでの体勢に戻ったせいで、また頭の上からのんびりした声が降ってくる。


「さっきみたいに、落ちつかせてくれたんでしょ? 小さいとき」

「んー、お互い様。俺が泣いて、愛梨が抱きしめてくれることもあったし、どっちかの親だったりもしたし――あれ? そういうのも忘れてる?」

「うん。覚えてない」


「あの剣士をゲーロにした時、やってくれたから、ちょっとは覚えてるのかと思った。キスはしてくれなかったけど」

「あ、そういえば。覚えてた」

「なんだよそれ」


 疑いの目を向けられてしまった。


「いや、はっきりと覚えてたわけじゃないんだけど、なんか怖がってるときはこうしてたよな、みたいな感じでぼんやりと思い出したんだった」


 だから、あの時はあんなふうに抱きしめたんだった。


「あのあと、俺がアイリーンにキスしようとしたの、覚えてる?」


 そう言われてみれば、するのしないのとやってるところに確か、王妃様とアルフレッド様が来たはずだ。


「あれ、けっこうセットな感じでさ、そこまでで終了っていうか、あの時もなんか落ち着きが悪くて。でも結局キスはしてくれなかっただろ? だから落ちつかなくて」


 それでイライラしてて、結局館に戻ってからしばらく膝に乗せられたのか。


「腹立ったのもあって、あのゲーロ、元に戻してやらなかった」


 そう言って笑う。


 なんと、あれ、八つ当たりだったのか。そう思ったらおかしくて吹きだしたら、イザムも笑い出して、二人でひとしきり笑い合った。


「戻ろうか?」


 そう言われて差し出された手を取ると、これまでよりずっと、イザムとの距離が近く感じられた。


 宿屋の扉を開けると喧騒に迎えられた。サックスの音と手拍子。熱気と笑い声。みんなの楽しそうな顔。そのままここに残ろうかとも思ったけど、今の穏やかな気持ちを楽しみたくて、先に部屋に残ることにした。

 もう少し残ってタイガくんとアルフさんと合流するというイザムを残して階段に向かう。


「また明日。おやすみ」


 手を離すときに言われたのは何のことはないいつもの挨拶だけど、昨日までよりずっと穏やかで優しく聞こえる。


「おやすみ。また明日」


 階段にたどり着いて、二段上ったところで、そっと振りかえれば、まだこっちを見ていたイザムと目が合って、なんとなく笑いあった。


~~~~~~


 わたしの感覚で小一時間くらいが経ったころ、扉に軽いノックの音がして開けると、ヴェッラが戻ってきた。楽しい時間だったみたいで、にこやかだ。


「おかえり。みんな部屋に戻ったの?」


 ベッドに戻りながら聞いた。


「まだだよ~。タイガは今一緒に戻って来たけど、あとの二人はまだ下にいる」


 ヴェッラがそう言いながら手を洗う。ベッドに座って、荷物からブラシを出して髪の毛をとかす。その後で太い三つ編みを作りながら聞かれた。


「下でイザム君が幸せそうな顔してた。何かあった?」


 何があった、っていうよりも、いろいろ思い出してちょっと仲良くなった感じだ。何と答えたものか。


「アイリーンも嬉しそうだね。で、何があったの? いい話なんでしょ?」


 ヴェッラがわたしのベッドの上に登って、そこに座りなおす。


「まあ、いい話かな。わたし、いろいろあって小さい頃のこと、けっこう忘れちゃってるらしいんだけど、イザムのおかげで今日はいくつか思い出して、ちょっと嬉しかったんだ」


 ヴェッラも笑顔になった。


「小さい頃? いつから知り合いなの?」

「物心ついた時にはお互いがいた感じ。家が三軒隣なの。つきあってるとか、そういうことは今までなかったけど、けっこう仲良しで。ねえ、ヴェッラは高二なんでしょ? 現実あっちで彼氏とか、いた? 誰かとつきあったこと、ある? それってどんな感じ?」


 ベッドの上で身を起こしたわたしを見て、ヴェッラが笑い出した。


「なんだ~。アイリーンも経験ないのか。スタイルいいし、かわいいし、彼氏の一人や二人くらいいるのかと思ってたよ。でも、見た目はその通りじゃないのかもってわかってるけど」


 笑いながらそう言って、ぱたりと上掛けの上にあおむけに転がる。


「一人や二人って、そんなに簡単に彼氏なんてできないでしょ。っていうか、アイリーンも(・)ってことは、ヴェッラも(・)彼氏いたことないの?」

「ないよ~。っていうか、イザム君は? さっきは話が半分だったけど、彼氏じゃないの? 男性陣はアイリーンの彼氏はイザム君って認識だったみたいなのに」


 寝転がったまま横目で聞かれた。


「彼氏っていうか、ええと、わたしたち、小さい頃はけっこう仲良しだったんだけど、中学に入ってから疎遠になって、高校は同じだけどクラスも違うし、この秋にイザムにここに誘われるまではあんまり話もしてなくて……こっちでは婚約者設定でも、あっちではつきあうどころか、ぜんぜんそういうところはない状態で」


 軽く肩をすくめて答えた。


「ああ、そうだったんだ。それで攻略中……王子様が『不可能』とか言うし、タイガも『他の人が入る余裕なんてない』なんて言うから、見た目とは違って、もうどっぷりラブラブなのかと思った」


 ふふって、安心したみたいに笑われた。


「まさか、そんな」

「だよねぇ。仲は良さそうだったけど、恋人同士って言うにしてはちょっと距離があるかな、って思ったし。でも、嫌なわけじゃないんでしょ? これからか~、いいな~」


 楽しそうに言う。ちょっと羨ましそうにも見えた。


「いや、これからってことも、特になくて……」

「なるほど、だから攻略中か……」


 なんか、納得してるけど、別に攻略されてるつもりもないんだけど。

 でも、それはまずいいや。質問してるのはわたしの方だし。


「ヴェッラは? タイガくんとは何もないの? ヘンリック様はダメだった? それはシンデレラのせい?」


 シンデレラのせいなら、それを登場させたのはイザムだし、彼女がヘンリック様のお妃さまになる可能性はない。そう伝えようとしたら、ヴェッラが首を横に振った。


「タイガは、わたしのことをそういう対象として見てない。お城での様子、見たでしょ? ずーっとあの王子様に預けっぱなしで、話しかけもしない。

 それにわたしも本物のタイガの方を見慣れてたせいか、今のタイガが同じ人間なんだっていう実感が持てなくて。実際に会った回数は少なかったけど、向こうでは動画もたくさん送ってもらってたから、本人の印象が強いし、サックスの音も似てるのに、振り向くとあの容姿が目に入るでしょ? いまだにびっくりする。

 あの王子様は親切だったけど、仲良くして見せたのはなんとなくわけありみたいだったからで……別にわたしが相手じゃなくてもいいんだし、わざわざそんな人のお妃様とか、やらないよ。

 わたしは踊り子なんだもん。さっき下で踊ってた時、本当に楽しかった。やっぱり自分の生き方はこっちだなって思った。

 ……わたしね、小学生になる前からずっとバレリーナになりたくて。でもわたしの体型、もともとバレリーナ向きじゃないのが悩みで。そこに加えて病気もしたでしょ? でも、諦められなくって。

 時間と体力が許す限り、踊りのことばっか考えてたから、現実では彼氏どころじゃなかったんだよね~。だからここではおもいきり踊れるのが嬉しい。バレリーナ体型じゃないのは相変わらずだけど、これはこれでやっぱり女性らしくて魅力的だと思うし、もちろん彼氏も作りたい。せっかく異世界まで来たんだから、優しくて、かっこよくて、わたしだけを選んでくれる人がいい」

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