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 わたしたちが西回りのルートを選び、まずマルテスコートに行くことを選んだのには理由がある。

 西側に進んでいくと、わたしたちはこれから来る季節の方向に向かうことになる。

 つまり、これまで過ごしたドッレビートを春の初めに出て、初夏の方向に進むことになるから、進むほどに気温は暖かく、過ごしやすくなるのだ。東に向かえば、せっかくやって来た春に逆行するように冬に向かうことになる。


 それに、西回りで進むと、三つ目になる国のフォートライルにはあのカエルにされた剣士がいる。商家のお嬢さんと結婚してこの世界で生きていくことを決めた彼が、この先どうやって災厄と闘っていくのか、現時点で何を知っているのか。

 それは、イザムもわたしも早めに確認しておきたい案件だ。


 ドッレビートの王城からマルテスコートの王都に着くまで、ドッレビート内ではほとんど観光が要らないとして約五日。そのうちドッレビート国内を移動するのは二日間だ。その間のわたしたちの宿泊場所はアルフレッド様が既に決めて手配してあるそうで、一日目の夕方に着いた宿舎は客室が二階になっていて食事は一階、というタイプの飲み屋兼食堂のような宿屋だった。

 こちらの世界ではそれがスタンダードらしい。


 みんなが馬車から降りて必要なものを降ろすと、イザムが馬車に幌をかけて何やら呪文を唱えた。


「念のために、盗難防止の魔術。取り出したいものがある時は言って。幌の内側の物に勝手に触ると腫れるよ」


 アルフレッド様が、乗ってきた馬も含めて、馬たちの世話を宿屋の馬丁に任せた。


「タイガは井戸で手をしっかり洗ってから部屋に来て。その擦り切れたところは治した方がいい。みんなは荷物を置いたら下で食事にしようか」


 イザムが促す。


「タイガくん、怪我したの?」


 特に怪我をするような行程はなかったはずだけど。宿屋の中に向かいながらイザムに聞いてみた。


「最後に操舵を変わったときに気づいたんだけど、手綱で擦れて水膨れになってるとこと、切れてるとこがある。楽師の指は大切だし、明日はどこかで手袋を調達した方がいいな。手綱はけっこう固いから……元に戻すよりは促進させて皮膚を強くした方がいいんだけど、普通に癒しの呪文使ったら元に戻っちゃうと思う?」


 魔法の使い方か……またブツブツ言い始めそうな感じだ。


「わたしには聞かれてもよくわからないけど、痛いよりは治った方がいいんじゃない? 本人に聞いてみたらどうかな」

「それもそっか。動物じゃないんだし、部屋に入って来たら聞いてみるよ」


 男女で二部屋に分かれ、狭い階段を登って案内された部屋は清潔だ。

 なんていうか、もっと不便な旅になると思っていたのに、至れり尽くせりな感じだ。


「ねえ、イザム君って年齢は見た通りなんでしょ? 十六? 十七? ずいぶん旅慣れてるんだね。この世界に来るようになってからもけっこう長いんでしょ?」


 部屋の扉を閉めた途端にヴェッラさんに聞かれた。


「十六です。正確にはわからないですけど、中学の頃から来てたって言ってたので、もう三年――そんな感じじゃないかと思います」


 ヴェッラさんはお城で過ごしていたし、タイガくんもわたしたちのことはそんなに話していないようだ。

 ヴェッラさんが驚き顔になった。


「三年も行ったり来たりしてるの!? すごいね、それ。でも元気な人だとそんなこともできるんだ。あ、ベッドそっちでいい? わたし窓ぎわがいい」


 ととっ、と奥のベッドに駆け寄る。

 気の置けない感じはやっぱり女子高生って感じがする。


「ヴェッラさんも高校生、ですよね? タイガくんが言ってました。わたしたち一年なんですけど、何年生ですか?」


 頷いて手前のベッドに荷物を降ろしながら聞いた。


「わたしの感覚では二年の冬。……タイガはわたしよりも帰ってるせいか、もうすぐ春だって言ってた。最初は一緒に来たけど、今は別々に行き来しているせいか、わたしたちの時間、ちょっとずれて来てるみたいなんだ」


 そういうこともあるのか。確かに「ちょっと融通がきく」ってイザムも前に言っていたような気がする。


「一つ上なんですね。ちなみにわたしの感覚だと学年末です」

「そっか~、タイガと近いね。……ねえ、イザム君もアイリーンちゃんもこの世界に永住するつもりはない、ってタイガから聞いてるけど、本当にないの? 特にイザム君はかなり魔法が使えるんでしょ? すごくこっちに慣れてるみたいだし、ずっとこっちにいたいって思ってないの?」


 窓ぎわのテーブルの上に置かれた水差しを取って、たらいに移しながら片方ずつ手を洗う。使い終わった水は足もとの壷に捨てる。この世界では水道の設備はないのが普通だ。イザムのあの館を見てアルフレッド様がどれだけ驚いたかと思う。


「わたしは特に思わないです。親とか、友だちとかのことがあるし。イザムは……迷ったりしたこともあったみたいですけど、今は」


 扉に鍵をかけて一緒に下に向かった。


「そっか~。残念」


 残念? 


 何が残念なのかよくわからなくて首を傾げた。


「こっちで一緒に生きるパートナーとしてはぴったりかなって思ったんだけど」


 ヴェッラさんが肩をすくめた。


「イザムが、ですか?」


 同じ訪問者の立場であるヴェッラさんから言われるとは思っていなかったのでちょっとびっくりした。


「うん。向こうの常識があって、こっちの常識にも詳しくて、王族と対等に渡り合えて、さらに魔法まで使えて、ってすごくない? タイガが話してたんだけど、家のお風呂とかが現実と大差ないって本当? もうそれだけであり得ないくらい好条件って思う。あ、それに現実ではどうか知らないけど、見た目もすごくカッコいいし」


 ……言われてみれば、そうかも。アルフレッド様の様子からして、馬車のスプリングやスピードの話もきっと、現実とこっちを長々と行き来しているイザムならではの工夫なのだろう。さっきはタイガくんの怪我も治してあげるつもりでいた――基本的に優しいし、しかも顔はもともとだ。


「……あのさ、旅の間に確認させてもらってもいいかな?」


 部屋を出て食堂に向かう狭い階段を下り切ったところで振り向いて足を止め、ヴェッラさんはそう聞いた。


「何を、ですか?」


 わたしも一番下の段の上で足を止める。


「イザム君が本当にこっちに永住するつもりはないか。それに、わたしを相手にするつもりはないか、も」


 わたしを見上げた顔は真剣だった。


「わたしの本体がどういう状態かはタイガが話したんでしょ? わたしが永住希望だってことは二人もわかってるよね? だからわたし、早めに――生きているうちに相手を見つけたいの。でもわたしの基本は踊りにあるから、相手として王子様は望んでないんだよね。

 ヘンリック様は――なんか、訳ありみたいで、とりあえず表面は仲良くしておくことになったんだけどさ。

 タイガとは、職業的にはいいコンビなんだけど、将来の相手にとかいう感じじゃないし、あいつもまだ迷ってるし。同じ条件ならイザム君の方がありかなって思うんだ。

 もちろんアイリーンちゃんが婚約者設定だっていうのもわかってるけど、二人が高校生なら、それって異世界ここだけの話なんでしょう? アイリーンちゃんが現実むこうで生きることをはっきり決めてるなら、イザム君が残される可能性もけっこうあるんじゃないかと思うの。能力があるってことは、それだけこっちに馴染んでるってことだと思うし。

 この世界に移住するつもりになったときの相手として、わたしを選んでくれる可能性はどのくらいあるのかなって――二人は現実むこうでもつきあってるの?」


 質問の答えはわかっているのに、なんて答えていいかわからなくて、返答に困った。

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