78. 旅立ち
次の日の朝、わたしたちは王城から盛大に送り出された。
出発前、泣きそうな顔でそれでも必死に涙をこらえて送り出してくれるローゼリーア様を優しく抱き上げて、「お利口にしていたらお土産を買ってきてあげますよ」と、優しくなだめるアルフレッド様が、実は内心でとっても喜んでいるのがわかるようになってしまったのがちょっと残念だった。
西側の隣国であるマルテスコートまではみんなと一緒に馬車で移動してみることになっている。
七つの国を全て回るのだから全行程にはそれなりに時間を使う予定ではいるのだけれど、まずは別行動になっても困らないように、そしてタイガくんやヴェッラさんが落ちつく国があっさり決まったときにも困らないように、早いうちにここでの生活の方法で役に立ちそうなことを伝えた方がいい――そう考えて決めたことだ。
基本的に馬車での移動組――アルフレッド様とタイガくんとヴェッラさん――は、一つの国の王都から隣の国の王都までを約一週間かけて移動する。さらに数日を王都やめぼしい街の見学に使う。移動時間もその国の見学時間を兼ねているので移動に使う時間は長めだ。
タイガくんやヴェッラさんは現実に帰ろうと思ったらどこからでも問題なく帰れるそうだから、ゆっくり移動してじっくり見学しても全く構わないし、アルフレッド様も特に時間に制限はない。
わたしとイザムは定住しないので各国の見学はあまりしなくていい。どんな訪問者がいて、どんな情報があるか、そんなことがわかればいい。
現実時間との折り合いをつける必要があるし、現実との転移には制限付き。
マルテスコートを出たら馬車組とは別行動を増やして、転移の魔法陣も無理のない範囲でちゃんと使う予定だ。馬車組が移動に使う時間は極力自分たちが現実世界で過ごす時間にできるように、効率も考えて試しながら進みたい。
それぞれの国へのわたしとイザムの滞在期間は、領地から転移するのであれば、移動に使う前後一日を入れて四日か五日もあればおそらく十分。
――だけど異世界滞在もけっこう慣れて来たので、最長一週間くらいまでは様子を見ながら――それでやってみよう、ということになった。
定住せずに現実につながっている間は、困ったら現実に戻ればいいのだから基本的な衣食住の心配はいらないけれど、現実との繋がりを切ってしまったら、町や村の暮らし方、買い物の仕方や通貨についてなどの知識は、必ず必要になる。
灰色の魔術師ローブのイザムがまず手始めに教えてくれたのは、荷馬車の御し方だった。スナフキン仕様のタイガくんと、露出を押さえた旅の踊り子のヴェッラさんと、それからどこぞの制服姿のわたしがイザムの手元をのぞき込む。
イザムが教えようとしてくれている馬(こっちでの名前はポックだけど、見た目も馬だし、扱い方も馬でいいそうだ)の扱いも、そんな知識や技術のひとつだ。何しろ自動車がないこの世界では馬は大切な移動手段だから。
馬車の御し方については、後で合流予定のイアゴも分担できるけれど、イアゴは空から安全を確認したり、先に目的地に行って宿の手配など、いろいろな準備をしてもらうことになる可能性も高い。
アルフレッド様も馬車は操れると言っているけれど、アルフレッド様には自分の馬があるから、やっぱりタイガくんやヴェッラさんが覚えてくれると助かる。それぞれが馬車を操れるようになったら、別行動も取りやすいし。
だけどこれがなかなか難しくて、イザムが言うように簡単にはできなかった。
代わってもらって言われたとおりに手綱を引いても、同じようにはならない。
「俺も誰かにちゃんと教わったわけじゃないからな~」
なんて、教える方ものんびり言ってる。
だったらなんで、イザムはできるのか。
「ねえ、イザム。何か魔法を使ってない?」
みんなで四苦八苦していると、見かねたアルフレッド様が馬車を停めるように言って乗っていた馬から下りた。
「魔導士様はどの程度の力をどの方向にかけるべきかご存知ですが、それは馬がどのような構造をしているのか、どういう動きに対してどう返すのかを理解しているからです。魔法ではありませんよ。私も前に教わりました」
自分の馬は荷馬車の後ろに繋いで御者席に登り、そのまま少し馬車を走らせてみたアルフレッド様は目を見開いた。
「ずいぶん座り心地のいい御者台ですね。揺れも少ないし」
「特製だから。四日も五日も揺られてたらたぶん尻が痛くなるだろ? ちなみにスピードも普通より出るよ」
イザムがニヤリと笑うと、アルフレッド様は「魔法でないのなら後で仕組みを教えてください」と頼んでから、馬車の御し方を、その動きと法則をわたしたちに説明しながらやって見せてくれた。
タイガくんもヴェッラさんもアルフレッド様の後ろから熱心にのぞき込む。わたしはとりあえずイザムと荷台の後部に移った。
現実世界では馬なんて触る機会はそうそうないけど、馬の「構造を理解」ってアルフレッド様が言ったところでなんとなく思いあたることがあったから。
「ねえ、イザム。こっちで馬を解剖したの? まさか、馬も食べたとか?」
聞く前から返事がわかって、呆れた感じの質問だ。
小声で聞くと、いい笑顔の後で返事が返ってきた。
「食べてないよ。農夫に返さなきゃいけなかったし。悪いところは取ったけど、他は返す前にちゃんと魔法で元に戻した。欠けたところがあったら相手が困るだろ? それに馬肉は現実でも食べられる」
やっぱり、解剖したことに関しては否定しない。
他に一体何をどれだけ解剖したのかなんて知りたくないけど、かなり上機嫌な笑顔から思うに、『手あたり次第』じゃないかと思う。
「『元に戻す』って?」
悪いところは取ったってことは――魔法を使って治療した、ってことかな。だったらよかった。
そう思ったから、特に何も気に留めずについ二つ目の「質問」をしてしまった。
イザムも元気なまま返せたことがすごく嬉しかったらしくて、破顔した――んだけど。
「ほら、こっちの世界で魔法が使えるようになったろ? 向こうでは解剖したらそれは生き物を殺しちゃうってことだったけど、ここでは状態保持魔法を使って元気な状態で観察して、その後で治癒魔法で治すことができるんだよ。シルバーもシュヴァルツもぴんぴんしてるだろ?」
何を言われたのか、理解するまでにちょっと時間がかかった――のは仕方ないと思う。
『元気な状態で観察』
『シルバーもシュヴァルツも』
「それって、どういう……?」
生物関連の質問は迂闊にしちゃいけない。特に続けての質問は危険、ってわかっていたはずなのに、衝撃が大きすぎて――また聞いてしまった。
「俺は『同じ種類の奴なら誰でもいい』って言ったんだけど、あいつら『だったら自分が』って言ってきかなかったから――あのフェストもそうだし……そうそう、ベルは「アルビノ」ってだけで中身は普通の個体と一緒だった。
レベルが高くて人の形になれる魔物でも、基本的な身体の造りには特に変わったところはないんだ。特に個体差があるのは身体と魔石の大きさ。角とか爪とかも変わって来るけど、内臓はほぼ一緒なんだ」
イザムはそこでちょっと声をひそめた。
「念のために言っとくけど、あいつらのことは食べてない。ドラゴンの肉は興味があってちょっとだけもらったけど、ドラゴンはもともと大きいから多少肉が減ったくらいじゃなんてことないから大丈夫」
何が念のため、だ。みんなのことを食べたかどうかなんて欠片も考えてなかった。
つい聞いてしまった質問に返ってきたのは、どうにも反応のしようがない答えで、しかも聞きたくなかった+α(アルファ)の情報付きだった。
頭を抱えて黙り込んだわたしを見て、また斜めの方向に考えを巡らせたイザムが、「やっぱりドラゴン食べてみたかった?」と、聞いてきた。
そんなんじゃない。絶対違う。
言葉に困っていると、「だったら今度ドラゴンで移動するとき……」って、やめて。本当に。
首を振って言葉を遮った。こうなったら乗りかかった舟だ――あとでもう一度聞く勇気は出ないと思う。
「イザム、本当はあんまり聞きたくないから――やんわり教えてくれる? ……あの、この世界に来てから、解剖したことがない動物ってどのくらいいるの?」
その質問にイザムは目をぱちくりさせて驚いた顔をした。
そしてちょっとだけ考えた後の返事は、「昆虫は殆ど手を付けてないよ」だった。
このうえなくやわらかい笑顔にざわりと鳥肌が立って、思わず両手で自分の身体を包んだ。二の腕から手首までをさすって鳥肌と悪寒をなだめる。慎重に、視線を下げたままに保つ。
もう、聞きたくない。
でも、聞かないわけにもいかない。頭をよぎっちゃったから。
聞かないままでびくびくしてるのは性に合わない。
「あの、もう一つ聞くけど……聞きたくないんだけど、聞くんだけどね? みんなは、その……動物の時、だったんだよね?」
自分で聞いておいて、とは思うけど、この質問は怖い。
ほけほけと過ごしていた自分の日常が、一瞬で壊れそう。正直、怖くて泣きそうで、二の腕を掴んだままの指に力が入った。
「ああ……」
腕を掴んだままのわたしの手の上に、イザムの手が添えられた。
「そういう(・・・・)意味なら、とりあえずこれまで人っぽいやつは、解剖したことはないよ?」
ほっと息を吐き出すと、自分でもはっきりわかるくらい力が抜けたわたしを見てイザムが笑い出した。
笑い事じゃないんだけど、ほんとに。
『ドラゴンより主の方が怖い』って、言い切ったときのシルバーを思い出す。そりゃあ怖いわけだ。
「とりあえず、そのあたりは安心していていいよ? 人を解剖台に乗せるのは、なかなか勇気がいるだろうし――とはいえ、アイリーンが是非って立候補してくれるならやってみても――」
そこまで言ってぱっと両手を挙げる。
「いやいや、ちゃんと無理だってわかってるよ。それにアイリーンも、僕が無理強いしないってわかってるよね?」
……わかってるよ。
とりあえず頷いた。
でも、わかってるけど、『僕』は猫をかぶってる時の言い方だから、そこに願望がないとは言い切れないのもわかってるんだよ。
「……将来医者になりたいとかって言うなら、未来的に誰かを見るのは止めないよ? でも、単に趣味のためだけなら、是非思いとどまってくれると助かる」
恐る恐る提案した。
「いいよ。約束する。アイリーンが解剖台に乗ってくれるまで、人は解剖しない」
わたしを解剖する前提なのがまずおかしいと思うけど、拍子抜けするくらいあっさりと言われたことに驚く。
「そんなこと言ったら、できる日は来ないよ?」
「じゃあ、ずっとしないよ」
わたしとしては、もうすでにいっぱいいっぱいで、結構精神的に厳しいんだけど、イザムは別にたいしたことじゃないって顔をしていた。
イザムは基本的に嘘つきじゃないから、本気で言っているんだと思うけど、手当たり次第に解剖とか、研究とかができるこの世界が好きなんじゃないのかな。『僕』だし。
「あのさ……それって、平気なの?」
本意がわからなくて表情を窺いながら聞いてみたら、イザムがまた笑い出した。
「平気だよ? 僕が解体しなくたって人間の仕組みなんて既に研究されまくってる。僕が知りたい程度の情報を手に入れるのは難しくないから、わざわざ誰かに刃物を入れる必要なんてないよ」
そっか、そういう理由なら、そうなのかも。よかった。
作業工程が好きなんじゃなくて、そこで得られる情報の方が大事だっていうなら、そういうことなんだろう。
「だったらわたしだって解体される必要はないじゃない。解剖台に乗せるとか、怖いこと言わないでよ」
冗談なら、ちゃんと冗談だってわかるやつにして欲しい。イザムが言うと半分、いや八割がた本気に聞こえるから質が悪い。
「そこはまあ、ほら、単に興味の対象としてはそういうのもありかな~って」
のんびりした口調を装っているけど、内容はホラーだ。
「ないないないない、絶対ない」
首だけじゃなくて両手も振って否定したら、なぜかひどくがっかりした顔をされたような……気がした。




