77. 龍に珠
次の朝、イザムは昨晩言った通りに朝食後にお城に向かい、バスケットボールくらいある綺麗な緑色の珠を持って帰ってきた。
その珠をシュヴァルツさんに持たせる。
「じゃ、行くか」
って、散歩に行くような軽い調子でわたしの肩を抱いて転移した。
緑色の光が消えた時には、わたしたちは以前ドラゴン見物という名のピクニックをした山の上に立っていた。今回は転移酔いは殆どなくて、少し冷たい春の風が気持ちいい。
ここからどうするのかな、と思っていたら、イザムが手にした杖を掲げ、その先端から白い光が飛び出した。一瞬のうちにわたしたちを包んで跡形もなく消える。
「何の魔法?」
「主に耐熱、耐火、魔法防御、物理攻撃回避ってとこ。念のためだよ」
もう一度杖を振ると、今度は光が流れ星みたいに吹き出して、連なる山々のどこかへと飛び去った。
「アイリーンは下がって。シュヴァルツはその珠をこっちに」
シュヴァルツさんの持っていた緑の珠を地面に置いて、イザム自身も数歩下がった。
またあの赤黒い鱗のおっかない怪物がやって来るのかと思っていたら、ばさりと大きく皮膜を羽ばたかせて飛んできたのは、五月の葉っぱのような緑色の鱗をしたドラゴンと、それよりも小さくて、真上の空よりも少し濃い真っ青な鱗をしたドラゴンだった。
どっちもとても綺麗な色だけど、そう思えたのは離れて飛んでいる間だけで、近づいてきたらやっぱり怖かった。わたしたちのいるところまでまっすぐに飛んできて、頭上で一度輪を描いて降下する。
前に見た赤黒いドラゴンよりもたぶん二回りほど大きい。ぴかぴか光る鱗は触ったら切れそうだし、頭にはごつごつとした棘や角らしき突起がある。瞳はまるでワニの目みたいで、動くものすべてを獲物かどうかという観点で見ているみたい――もちろんわたしたちは獲物扱いだ。
大きい方が背中に白髪の男性を乗せていた。
二頭がその大きな体に似合わずふんわりと着地した、と思ったら、さっきのドラゴンと同じ青い髪色の華奢な女性と、緑の髪色のがっしりした男性が、白髪の男性の隣に立っていた。
瞳はみんな金色で三人とも白いローブを纏っている。並んで立つと白髪の男性もすらりと背が高いのがよくわかる。緑の髪の男性よりも細いのに、一番偉そうだし強そうだ。ただ立っているだけでかなりの威圧感がある。思わず一歩下がった。
「おはようございます。ファフニール。その方たちは?」
一歩前に出たイザムがそう聞くと、ファフニールと呼ばれた白髪の男性が「あいつの代わりだ」と短く答えた。
「そうですか。ありがとうございます。こちらとしても助かります。あと、この珠はこれから何度も領土を通らせてもらうことに対するお礼にと思って――」
「そうか。気を使わせた――もらっていいのか?」
ファフニールさんがイザムの言葉を遮った。柔らかい草の上に置かれた緑の珠に目をやって、それからイザムの後ろにいるわたしとシュヴァルツさんをちらりと見て、微かに笑った。
意外に人当りがいいのかも、と思ってたら、イザムがす、と手を広げてわたしを隠した。
「ファフニール。こっち(・・・)じゃありません。ふざけるつもりならそれも持って帰りますよ」
「おや、残念。せかっくの珠だ。息子のおもちゃにでもしようかと思ったが」
まったく残念でも何でもない、といった口調で言う。
その会話の内容から、「珠」がそこに転がっている丸い石のことじゃなくて、わたしのことらしいとわかった。
おーいおい。会うなり一歩下がりたくなるわけだ。
「もう一戦しますか? その場合一切加減はしませんよ」
そう聞くイザムの声が低くなる。
と、緑の髪の男性が歩いてきて、地面の上の珠をひょいと拾い上げた。
「ファフニール、せっかくの宝玉ですから、ありがたく受け取りましょう。
あいつは未だに穴で唸っているが、見たところそちらの人間に戦いの影響は見られない。確かにあいつは未熟で若輩者だが、私たちまでが同じ目に合う危険を冒す必要はない。
それに、これだって十分なおもちゃになります」
そう言って、まるで本当のボールみたいに、何の気なしにその石を青い髪の女性に向かって投げつけた。わたしは息を呑んだ――だってあの石はかなり重いはずだ。
でも女性の方も、別に大したことではないという様子で受け取って、腕の中で二、三回転がして投げ返した。
「そうね、なかなかいいおもちゃだわ。それに運ぶのはそこにいる二人でいいんでしょう? 顔は覚えた」
そのまま二人でキャッチボールを始める。バスケットボールどころか、ビーチボールほどの重さもないかのように。
「そうだな。では、どちらでも、好きな方がそれを受け取って、その代償に運んでやればよい」
ファフニールさんが目を細めてそう言った途端に、二人の目つきが変わった。
「魔導士、最初の呼び出しはいつ頃になる?」
珠を投げ返しながら女性がそう聞いた。
「おそらく二週間は先になるかと」
それを聞いて男性の方がいい笑顔になった。受け取った珠をくるくると回転させる。
「では、それまでに決めておく。さっきみたいに光を送るか、そいつの仲間に呼ばせればいい」
ちら、とシュヴァルツさんに目をやりながら言ったその言葉が終わるか終わらないかのうちに、回していた珠を上空高く投げ上げた。と、思ったら男性も女性もさっきここに来たのと同じ、緑と青のドラゴンの姿になって飛び立った。
あっという間に上空では珠の奪い合いが始まる。
「せっかちだな」
イザムの呟きを拾ったファフニールさんが苦笑した。
「若いからな。だが、あいつに比べればどちらも慎重だ」
しばし上空を見つめる。
「さて、私はこれで失礼させていただこう。呼ばれたときはどちらかを行かせるが――あれのことは他言無用だ」
ファフニールさんがそう言うと、イザムが黙ったまま礼をした。わたしも一緒にお辞儀をして――顔を上げたら、なんと、わたしたちの目の前に銀色に輝く「山」ができていた。
「!?」
声を失ったわたしの前で、その山が動いた――と、思ったらすごい風が吹いてきて、葉っぱや土が巻きあげられ、思わず目をつむった。
風が穏やかになって、ようやく顔をあげたら、真っ青な空に白銀の鱗を煌めかせて、巨大なドラゴンが飛んでいた。緑の珠を奪い合う二頭のドラゴンの横を、山の奥に向かって悠然と飛んで行く。
さっき珠を奪い合っていたドラゴンたちだって十メートルはくだらないのに、比べ物にもならない。あの赤黒いドラゴンとイアゴとを比べた時くらい大きさに差がある。
「イザム、あれってまさか、ファフニールさん……?」
同じく驚いたのか言葉もないイザムに、おそるおそる聞いてみる。
「……あれの中身も他のやつと同じだと思うか? それとも、体格に合わせて内臓も大きいと思った方が妥当か……さすがに解剖はできそうにないし、今のところ知りようがないな」
「え」
真剣な表情で、優美に飛び去るドラゴンを見ているイザムの頭の中は、驚きとか感動とかが入っていた訳ではなかったらしい。
解剖できるかとか、内臓がどうとか、そんなことを考えているイザムに改めてびっくりだ。
「挨拶も無事済んだし、帰るか。あ、そうだ。あいつらの前では間違っても、俺がドラゴン食ったことがあるって話はするなよ」
「――了解」




