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72. 一週間の間にやっておくこと

 それからの一週間、わたしとイザムは異世界でも、あまり顔を合わせずに過ごした。


 わたしは三階の一室を借りて水と火の魔法の練習。

 暖炉の中に空の鍋が一つとちっぽけな蝋燭が一本。

 わたしのやることは二つだ。まず水の魔法で空っぽの鍋に水を満たす。それから火の魔法で温める。


 魔導士のイザムはあっという間に鍋を満たすことができる。どうやっているのかと聞いたら、「空気中から水素原子と酸素原子を抜き出して、結合させてる」と言われた。

 鍋の水を一瞬で熱することもできる。どうやっているのかと聞いたら、「水を分子の状態でイメージして、そこにある酸素原子と水素原子に振動を加えて、結合を緩める感じ」だと説明された。


 ……そこまで聞いて思ったんだけど、イザムにはわたしの目には見えない何かが、ずいぶんはっきりと見えているらしい。

 水を出すだけでなく、温めるのも水に関する魔法だそうで、つまりイザムは温水を使うのに火の魔法は必要ない。


 「それって化学ができないと魔法は使えないってことなんじゃないか」って聞いたら、「要はイメージで、絶対に化学じゃない。科学的に理解できていればそれに越したことはないんだろうけど、わかったつもりになって絶対こうなるって思い込むことがかなり大事。僕には化学でのイメージがやりやすかっただけ」だと言われた。


 結局魔法を科学的に説明することはできないらしい。そしてわたしが化学が苦手だから魔法が使えない、という理由にもならないらしい。


 うむう。


 水を出すことについては秋から練習していたので、なんとかできるようになっていたけれど、温めるのはどうしても難しくて困っていたら、水を直接温めるよりも温める手段、つまり火を使ったほうがイメージしやすいんじゃないか、と勧めてくれた。


 そしてまた、「魔法なんて、要は『できる』って思い込みだよ」とのこと。


 それで鍋を温めるには小さすぎる蝋燭の登場となった。火に向けて空気中の酸素を集めるイメージで炎の力を強め、その炎で水がお湯になるイメージで練習をする。だから、鍋の下に蝋燭なのだ。

 ちょっと時間はかかるし媒体(蝋燭)が必要だけど、分子とか原子とかを想像しなくて済むだけでも、ずっとやりやすくなった。


 タイガくんは春の宴の二日後、一度城に戻った。

 ヴェッラさんに旅に出る話をしたところ、どこかの国の城下町に移り住んで、劇場を建設して娯楽として定着させたい。舞踊学校も作りたい。ついては全部の国を回って協力者を募り、一番理解のある国に落ちつきたいから一緒に行きたい、と大きな夢と一緒に同行を希望してくれたらしい。


 タイガくんはイザムの街の屋敷に一緒に来ないか、とヴェッラさんを誘ったそうだけれど、せめて出発までは城で一緒に過ごして欲しい、とヘンリック様に言われて、旅立ちを引き止めないかわりに、残りの数日間は城に留まることにしたそうだ。


 引き止めない代わりにってことは、ヘンリック様、やっぱり振られちゃったか。


 さらに二日後にアルフレッド様が城に戻り、ゲーロから人に戻された姿をちゃんとお城の人たちに見せてから、魔導士の仲間になって各国を旅することになったと報告した。


 王様は、イザムもわたしもタイガくんもヴェッラさんも国内に残らないことに渋い顔をしたけれど、「全てがうまくいったあかつきには、アルフレッド様の妻としてシンデレラを送り込む」と大魔導士が約束した、という言葉で機嫌を直し、アルフレッド様に「旅の間にヘンリックにふさわしい女性がいたら連れ帰る」というミッションを与えて、イザムの屋敷に戻ることを許可したそうだ――宴の挨拶では自分から大魔導士の弟子にどうぞって言ったのに、許可って何様かと思う。まあ、王様だけど。


 アルフレッド様自身も出発まで城に留まるように、と言われたそうだけれど、「すでに任務を与えられている」と、断って戻ってきたそうだ。

 ローゼリーア様がいるのにこっちに来たってことは、よっぽど居心地が悪かったのかも。


 心配になって大丈夫なのかと聞いてみたら、「ローゼリーアには泣かれましたよ。でも最後には、『かならずかえってきてくださいませ。おかえりをおまちしております』と、涙をこらえて言ってくれました」と、実に嬉しそう(・・・・)に話してくれた――はいはい。


 で、そんな二人がイザムの屋敷で何をしているのかと言えば、主に水回りの研究だ。


 地下からの水の引き方、屋敷内の配管、効率のいい燃料、各部分の構成など、どうにかして異世界でこの技術を構築したいらしく、研究に余念がない。

 アルフレッド様は職人を連れてきたいとも進言して、信用できないし危ないから駄目だとイザムに却下されて気落ちしていた。


 それ以外の時間は、タイガくんは楽器や歌の練習をしていて、アルフレッド様は剣技や簡単な魔術の練習をしたり図書室の本を読んだりしている。

 アルフレッド様、結構魔法も上手だ。水魔法で庭の草木に水を与えているし、風を使って落ち葉を集めたりもする……練習と言いつつ、働きながら遊んでる感じだ。


 イザムはシュヴァルツさんをそんな二人の監視? に残して、質問事項をまとめさせ、自分自身はここと領地の屋敷とを行ったり来たりしながら、どこかに出かけているか、三階の部屋に籠っている。馬車に使うスプリングや、幌に使う特殊な布を手配&作成しているらしい。

 時折出てきてはわたしの相変わらず下手くそな魔法を見物したり、何をするでもなく顔を見てまた戻って行く。

 イザムがにっこりして出て行くところ以外は……テスト前に勉強をさぼっていないか確認されている中学生のような気分だ。


 出発の二日前、イザムは領地からシルバーとイアゴとクロちゃんを呼びつけて、シュヴァルツさんの代わりにクロちゃんを残すと、朝から四人で出かけて行った。


 初めてシルバーを見たアルフレッド様とタイガくんは青い顔をして後ずさりしたけど、わたしは早速抱きついて、抱きついた途端にイザムに引きはがされて――シルバーは旅には連れて行かないって言われたから、ともすればしばらく会えなくなるんだし、もふもふさせてもらおうと思ったのに――何度かくしゃみをした。


 イザムが鼻の頭に着いたシルバーの毛をつまんで取ってくれる。


「冬毛が抜ける時期でな」


 低い美声で言って、シルバーが尻尾を一振りしたら、確かにその通りらしく、ふわふわと毛が飛んだ。

 なるほど、それで引き剥がされたのか。


「じゃ、行って来るから、クロ、あとよろしくな」


 って、どこに行くとも言わずに出て行く――イアゴの表情が硬かったのが、ちょっと気になった。


 その日の夕方、魔法の練習を続けていたわたしのところにクロちゃんが来た。呼んでいるみたいだったので一緒に部屋を出たら、連れて行かれた先はイザムの部屋の廊下で、すぐに転移陣をつかって帰ってきたらしいイザムがシュヴァルツさんと一緒に出てきた。


 一緒にいたのはシュヴァルツさんだけで、シルバーとイアゴの姿はない。しかもイザムの格好はかなりよれよれで、しかもいつもきっちりかっちり衣服の乱れなど一切ないはずのシュヴァルツさんまで、衣服が着崩れ、髪が乱れていた。よっぽど大変なことがあったに違いないと思うのに、イザムの部屋から出てきた二人は、なぜか揃って上機嫌。


 普段表情を崩さないシュヴァルツさんの、口を開けずに笑う眼鏡の奥の瞳がにこやかだった。普段表情がないせいか、その笑顔には格段の迫力があってはっきり言って怖い。


 クロちゃんの羽に優しく触れながら、「満願成就。もう大丈夫だよ」と囁いている様子はとても優しいのだけれど。なぜかやっぱり怖い。


 イザムの方はというと、廊下でわたしの姿を目にするなりほっとした顔をした。


「シュヴァルツ、一度帰る。すぐ戻るからそのつもりで」


 それだけ言って、わたしの方に手を伸ばした。


「アイリーン、とんぼ返りになるけど一回帰るから一緒に来て」


 ちょっとびっくりした。


 とんぼ返りってことは、現実にいる時間は殆どない。今までこんなことを言われたことはなかった。たとえあっても一人で帰って、一人で戻って来ていたんだと思う。わざわざわたしを一緒に連れて行き帰りをする理由は、けっこう精神的に辛い状態になっていて、『自分一人では現実に戻りにくい状態にある』ってことのはずだ。


 そしてそれでも戻るってことは、今のステータスが結構ギリギリだってことで、『一度現実に帰ることで初期値に戻したい』ってことだ。


「後で何をしてきたのか教えてくれる?」


 ちょっと心配になって、伸ばされた手を取りながらそう聞いた。


「戻って来てから、話すよ」


 手を繋いだまま、一緒に部屋の中に戻る。


 現実に帰るための魔法陣を浮かびださせている間も、いつもよりしっかりと肩をつかまれているのがわかって、少し落ち着かない。

 「わたし」が現実に戻るための手段だと――「僕にはアイリーンを帰らせる責任がある。だから、帰れる」そう言われたことを思い出す。「この世界は僕にとって現実より居心地がいい」そうとも言っていた。


 それに、ついこの前アルフレッド様がこの世界に移り住む可能性を聞いた時、イザムはすぐには否定しなかった。

 そのことを思い出したら、なんだかいてもたってもいられなくなって、そっと向き合ってイザムを抱きしめた。


 現実に帰るためのかすがいがわたしなら、わたしは絶対に、イザムから離れちゃいけない。そう思った。


「アイリーン? どうした?」


 ちょっと驚いたような声。その持ち主を見上げて、ちゃんとそこにいることを確かめる。


「わたしのこと、忘れないでよ」

「何? 急に」


 緑色の光が浮かび上がって、わたしたちを包む。


「一緒に帰るんだから。忘れないで」


 頬に触れた手が、浮かんだ笑みが、優しい。


「忘れたりしないよ」


 一瞬のまぶしさの後で、わたしたちは現実に戻った。

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