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56. 吟遊詩人と踊り子

 近づいて来るにつれ、男性の方は橙色の羽飾りがついた帽子と、同色のゆるいトレンチコートのような物を身に纏っていて、旅にでも出られそうな黒くてしっかりしたブーツを履いていることがわかった。

 少しだけ開いた襟元からクリーム色のネッカチーフがのぞいている。これで茶色のリュックサックを背負ってハーモニカを持てば、〇ナフキンだな、なんてふと思った。口から上はつば広の帽子で隠れて見えないけれど、その下に見える顎は確かに若々しい。見た目だけならきっと十代だ。


 女性の方は頭からすっぽりと体を覆う、ごく薄い深紅のヴェールを被っていて、それを通して、とても女らしい体形をしているのがわかる。

 高い位置に無造作に束ねられているように見えるたっぷりした豊かな髪は濃い茶色で、黒地に金の豪華な髪飾りで留めてあり、ジャラジャラと音を立てそうなほどに盛った重そうなアクセサリーが首にも手首にも巻き付いている。腰も足首も含め、装飾品はすべて金と黒で統一されていた。


 身に着けている布地は全て深紅で統一されていて、金糸の縁取りや黒いビーズをふんだんに使っているようす。

 そしてその衣装はと言えば、上はデコルテを完全に露出させていて、布地は二の腕に引っ掛けてぴたりと胸もとを覆うだけ。胸の下から腰骨までは完全に露出していて、下は辛うじてヒップを覆っている、下着と変わらないような布地とそこから前と後ろに垂らしてある、金糸の刺繍が入った足首までの布地だけだ。ベリーダンスの衣装の方がまだ露出が少ないかもしれない。


 腰に幾重にも重なった金のチェーンや皮のサンダルの細い踵はとても刺激的で、全てがうすいヴェールごしなのが艶めかしさを増している。踊りを生業とする職業でなかったら絶対に着ないだろうなぁ、とつい感心してしまった。


 第一王子様は王様の前まで進み出ると一度礼をした。そして二人をその場に残して脇に下がり、空いていた席――アルフレッド様の隣――へ移動した。イザムとわたしに小さく礼をして席に着く。



 王様に向かって男性の方がぼそぼそと小さな声で挨拶をし、女性は何も言わずに身をかがめた。王様が頷くと、男性が帽子をとった。


 さわさわと囁き声が広がる。


 くたびれたとんがり帽子の下に隠れていたのは、高く上った冬の月のような銀髪と、片方しかない深い青い瞳だった。右目の位置には黒い眼帯がつけてあって、まだあどけなさの残るような顔つきなのに、残された瞳は酷く冷たい。


 緑のコートを脱ぐと、その下に隠れていた金色に輝くソプラノサックスが現れた。

 眼帯と同じ、黒いストラップで首から下げている。

 コートに隠れていた後頭部の髪は長く、一つに束ねて腰近くまで長く伸ばされていることもわかった。


 明かりに照らされた楽器の金と銀の髪の対比がきれい。


 女性が開いた空間の真ん中に進み出て静かに膝をつき、男性が深く息を吸った。


 そこから始まった時間を、なんて形容したらいいかわからない。


 ゆったりとした流れなのに、激しい。

 包み込まれて、優しいと思うのに、絶望に泣きたくなるような圧倒的な音の上に、しなやかな体のそこここに重ね付けされて、シャラン、シャランとやわらかく鳴る金属の音が重なる。指先まで気を抜かない、足先まで美しい、動き、角度。ふわりと舞う布地までが落下する速度を計算されているかのようだ。


 三曲目が終わったとき、女性がヴェールを外した。


 大きな濃い色の瞳、白い肌、うっすらと笑みを浮かべた上気した頬に柔らかそうな唇。たっぷりした胸と細い腰、誘うような腰のラインに露わな太腿。顔つきだけ見ればまだ十代だろうに、はっきりと、美女だった。


「くそ」


 隣でイザムが息を呑んで小さく呟いたのが聞こえた。


 確かにもろ好みだね――と、思っていたら急に左手が引かれた。イザムの右手だ。

 どうしたのかと目をやれば、耳元に口を寄せる。


「あいつらたぶん俺たちと同じ――日本人だ」


 囁く声。


 四曲目が始まって、また人々が惹きつけられる。五曲目が始まったとき、イザムの懸念が当たっていることがわかった。

 聞き覚えのあるメロディーは、昨年の夏にヒットした悲恋物のアニメ映画の主題歌。毎日これでもかってくらいテレビでCMが流れてたし、ネットでも聞いた。


 一年も経っていないのに、こんな異世界にいるせいか、それともアニメが悲恋だったせいか、郷愁を感じる。懐かしいようなメロディー。

 その旋律が消えると、余韻の後にさらに静けさが広がった。


 最初に連絡事項を伝えた髭の男性が進み出て、しばらくの間休憩をはさむと告げると、広間は一気に騒がしくなった。


 第一王子様が二人のところに向かい、他の貴族の人たちもその周りを取り囲む。

 イザムも立ち上がったけれど、二人のところには向かわず、アルフレッド様に何か囁いてから、わたしの手をとった。


 手を引かれるままについて行けば、一階上の、広間からさほど遠くない小部屋に入った――なんだか見覚えがあると思ったら、前回のパーティーの時にわたしが逃げ込んだ部屋だ。


 あの時わたしが鍵を入れた机に向かうと、引き出しから鍵を取り出して扉に戻る。硬質の音がして鍵がかけられて、イザムが振り向いた。あたりを見回す。


「あいつらと話す前に、ちょっとだけ話しておいた方がいいと思って――こっちに座って?」


 机の前の椅子にわたしを座らせて、自分はひょいと机に腰掛けて話し出す。


「あれは、本物だ。チャームは一切使ってなかったのにあんな音、あんな動き――。本人の技量であそこまでできるんだから、よっぽどジョブが本人に合ってたか、現実でものすごく努力した人だと思う。……見られることにも慣れてると思う。あれは見せるための衣装で、見せるための身体だ。男の方も周囲の視線を気にしてない。現実でなら、二人とも、プロになろうとするような、そういう人間だと思う。

 ここに来て日が浅いっていうのが嘘で、実はもう長いって可能性も捨てられないけど、少なくとも僕はこれまで向こうから凄腕の楽師と踊り子が来てるなんて話は聞いたことがない。

 今の外見のままだと僕たちとそう変わらない歳に見えるけど、設定でいくらでも変えられるし――」


 つ、と片手を伸ばして優しくわたしの頬に触れた。


「後半もチャームには気をつけて。お守りを外してるんだから」


 冷え冷えとした銀髪と感情を押し殺したような瞳が脳裏をよぎった。……あの人がわたしに興味を持つとはまったく思えないけど、とりあえず頷く。なにしろ隣にはあんな美女もいるんだし――あ、美女と言えば。


「そういえば、イザム。さっきはどうしてあの人たちが日本人だってわかったの? それに動揺してたでしょ? ……もちろんあの人みたいな美人で魅力的な人なら惹かれるのはわかるけど、チャームを使ってないなら、別に文句を言うようなことじゃないんでしょ?」


 そう聞いてみたら、イザムがちょっと視線を泳がせた。


「あ~。あれは、見覚えがあって……」

「え!? だってさっきはそんなこと一言も……」

「中身の人間じゃなくて、外側っていうか、外見? あの女の子、中学の時にやり込んだゲームのキャラに激似してて……高校に入学してすぐの頃、部長にフィギュア一体彫ってもらったやつだったからびっくりして」


 なるほど。


 動揺が戻ってきたのか、イザムの頬が赤い。


 よっぽど好きだったんだろうな、そのキャラクター。


 そっかそっか、もろ好みってやつか。


 そう思ってたら、「いつかアイリーンに着てもらえないかなって思ってたのに、先を越された。くそ……」って、悔しそうに呟いた。


 それはそれは。ありがたい。


 つまり二番煎じは嫌だってことだろうし、それなら、先に着てもらって感謝感激だ。


 あんなかっこ、絶っ対したくない。


 わたしの中で一気に彼女に対する好感度が上がった。


「外見があれだけ似せてあるとなると、本人がどんなやつなのか全く想像できないし、男の方も、あれがもとの顔だなんてことは百パーありえない。チャームなしであれだけ惹きつけるんだ、十分気をつけてくれよ? お守りは外しちゃったし」


 って、またそこ?


「イザムは心配し過ぎ。あんな美人が隣にいるのに、あのスナフキ〇君がわたしに興味持つわけないじゃん」

「ス〇フキン?」

「黄色い羽根の緑の帽子に、緑のコートで黄色いネッカチーフでしょ? あれでハーモニカならスナフ〇ンだなって思って……でも、音的にはサックスでもまったく違和感なかったね、すごく上手」


 後半は何を聴けるのか楽しみだ。


「お前は警戒心がなさすぎ。一応王子サマたちも警戒しておけよ?」

「はーい」


 そんな必要、ないと思うけど。今日の第一王子様は彼らのホスト役のようだし、アルフレッド様はそういう対象じゃないし。


 鍵を開けて引き出しに戻し、部屋を出ると、いつも左手でわたしの右手を取ってエスコートしてくれるイザムが、手じゃなくて腰を抱いた。ちょっとびっくりして振り仰げば、「所有権を主張したくなって」と笑った。

 少し力を緩めて「嫌なら戻すけど」とつけ加えたけど、その言い方はかわいかった。


 なんだかなぁ。


「嫌じゃない。心配してくれてありがとう」


 顔の向きを前に戻す。本当に心配性だな。少しだけ体を寄せてみた。


「そう? それは嬉しいな」


 側頭部に軽く頬をこすりつけてくる。

 ちょっと、猫みたいだ。

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