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54. 王子様のお願い

 さっきの侍従は、本当にすぐに戻ってきた。侍女らしき女性が一緒で、小さなパンやチーズ、お菓子のような軽食とお茶の用意を乗せたワゴンを押している。


 図書室なのにいいのかなって思うけど、わざわざ持ってきてくれたのだから、いいのだろう。


 侍女さんの方が室内中央のテーブルに茶器や皿を載せていると、三冊の本を手に梯子から降りてきたイザムが、ワゴンとその内容物に目を向けてからわたしを見て、「毒は入ってないから大丈夫だよ」と、さらりと言った。


 それを聞いた侍女さんがびくりと動きを止める。


「いまさらわたしたちを毒殺しようとする勇気のある人はいないんじゃないかなって思うけど?」


 この魔導士の機嫌を損ねれば、ゲーロ以外にもどんな報復があるかわからないのはわかっているだろうし、気の毒なこの二人は明らかに怯えている。

 イザムはそんな使用人たちのことなど一切意に介さず、やわらかそうな布張りの長椅子に腰掛けて、選び出した本のうちの一冊を膝に乗せた。


 その後、二人は給仕したものかどうか迷っている様子だったので、お礼を言って下がっていいと伝えると、走り出しこそしなかったけれどやっぱり逃げるように出て行った。

 

 そんなに怖がらなくても、意味もなくいきなりゲーロにしたりしないのにね。


 王女様のためのものだろうか、図書室にはお伽噺もいくつかあって、やわらかい一人がけのソファに陣取ることにしたわたしは、まずイザムの座った長椅子の側に小ぶりのサイドテーブルを運び、いい香りのするお茶を二つのカップに注いで、一つをそこに乗せ、もう一つはソファの向かいに置かれたテーブルに載せて、お伽噺と一緒に楽しむことにした。


 ところどころわからない単語もあったけれど、それはこの世界独自の言葉や生き物をわたしの現実世界と対応させられないせいだ。カタカナで書かれた外国語みたいに発音だけはわかるけれど、意味がわからない。それでもストーリーはちゃんとわかって楽しめる。


 あたりに夕闇が広がって、わたしが二つ目の短いお話を読み終えたとき、控えめに扉をたたく音がした。


 本に没頭している様子のイザムを残して扉にむかうと、なぜかそこに立っていたのはアルフレッド王子様だった。


 まだたいして時間は立っていないから、呼びに来たわけではないはず。


 本に向き合ったままのイザムと自分とを順番に指さしてから片方の眉を上げると、王子様が迷うような顔をしてからイザムを見た。どちらかというとイザムに用事らしい。


 イザムのところまで戻って、読んでいる本のページに被せるように片手を乗せた。本にのめり込んでいるときは呼びかけてもなかなか聞こえないから、確実に注意を引きたいときは静かに邪魔をすることにしている。


 顔を上げて瞬きをしたイザムは、戸口にいる王子様を見た途端に顔を顰めた。


 すっと立ち上がってわたしの前に出る。


「何の用だ?」


 冷ややかな声に王子様がぎくりとしたのがわかった。


「……その……お願いが、ありまして」


 散々ためらってどうにか口にした言葉に、「却下だ」って、イザムがあっさりきっぱり断った。


 おいおい。

 たぶん他にはどうしようもない理由で来てるんだと思うよ? そんな断り方しなくても。


「見逃すって言ったんじゃなかった?」


 小声で背中に声をかける。


「見逃したろ? 今現在人間なんだから」

「話を聞いても罰は当たらないよ?」


 つんつんと背中をつつく。


「こいつの話を聞いてやる義理はない。ましてや願い事を叶えてやる予定なんて、百年先まで待ってもない」


 しれっと、子どものようなことを。


「聞くだけ聞いたらいいのに……心が狭い男は嫌われるんだよ? 恐怖の魔導士様は寛容なんでしょ?」


 振り向いたイザムが、わたしの言葉を測る顔をする。


「あいつに優しい……」

「わけじゃないって、知ってるでしょ? 疑い深い男も嫌われるんだよ?」

「……くそ」


 小声でつぶやいて王子様に向き合った。


「入れよ。用件は?」


 って、まるで自分の家みたいに偉そうに。


 申し訳ないと思ったけれど、アルフレッド様の方は気にしていないみたいで、すぐにイザムの前に足を運んだ。ちらりとわたしに視線をよこしてから、言い出しにくそうに両手を開いたり閉じたりさせた。

 行儀作法は完璧で礼儀正しい人なのに珍しい。


 「用件」


 イザムがピシリと促すと、目を伏せてから話し出した。


「その、アイリーン様の、お召し物についてなのですが……」


 わたしの格好についてだったの? そりゃあ言い出し難かろう。

 だって全身イザムのコーディネートだし。ドレスだって依頼したのはイザムで、いろいろ細かい注文をしたはずだもの。


「さっさと話せ」


 イザムの目が脅すように細められた。


「……お飾りを、広間にいる間だけでも、外していただけないかと思いまして」


 思わず目を見張って自分の耳元に手をやった。


 指先に触れたのはドラゴンの鱗のイヤリング(呪い付きだ)。これを外して欲しいってことは、ステータス異常を引き起こす可能性がある魔法をかけられる恐れがあるってことで――どういうこと?


「却下」


 驚いているうちに、イザムがにべもなく断った。


 いや、理由を聞こうよ!


 そう思いながら指先で背中に触れると、イザムが小さなため息を一つ吐いた。


「理由は?」 と言い直す。


 王子様がほっと息を吐いて少しだけ背筋を伸ばした。


「外界からのお客様が――その、お客様の職業が吟遊詩人と踊り子なのです」

「それがどう――ああ、そうか」

「そういうわけで――そのままですとお客様の方に危険が生じると判断しました」

「わかった、その時だけだぞ」


「御配慮ありがとう存じます」


 それだけ言って、アルフレッド様は深く礼をして踵を返した。

 その背中にイザムが問いかけた。


「お前たちは平気なのか?」


 王子様がぴたりと立ち止まって、振り向かずに答えた。


「私たちはおそらく大丈夫でしょう。それに、かかれるものならかかった方がいいので」


 それだけ言って出て行った。


 今度は何の話? 

 かかった方がいいって、ステータス異常を引き起こす魔法に? 

 それっておかしくない?

 

 きょとんとしているうちに、イザムはまた長椅子に座り、読書に戻ってしまった。

 仕方なくわたしも本に向かう。

 五つ目の物語の終わりにもう一度ノックの音がして、「もうすぐ異界からのお客様が広間にいらっしゃいます」と従僕が伝えに来た。


 窓の外はすっかり暗くなっている。道はわかるから案内はいらないと断ったイザムにエスコートされて歩きながら、吟遊詩人と踊り子だと何でいけないのか聞いてみた。


「彼らの得意技はチャームなんだよ。歌も、踊りも、芸術はなんであれ、人々を魅了する技だ。誰か特定の人を狙ったわけではなく、全体を狙った弱めの魔術だ。きっとこれからお披露目があるんだろう。

 だけどたとえ魔術自体は弱くても、僕がアイリーンに贈った飾りは高性能だから、せっかくやって来た訪問者たちが心臓発作であの世行き、なんてことになったら王家の人たちが困るってことだよ」


 怖い台詞が出てきたよ。


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