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50. 閑話 盗みの練習 後編

「イザムにはかからないんじゃなかった?」


 イザムにチャームをかけられる人はまずいない、って前に言っていたことがある。大抵の人とは魔力量の差がありすぎるからだ。


「ものすごくかかりにくいってだけで、百パーかからないわけじゃないし、練習するなら普段使ってる魔法防御とかは外すよ? そもそも俺だってアイリーンに対する警戒心は薄いから、がんばれば(・・・・・)かかるはず」


 握りこぶしを作って言う、その「がんばれば」の言い方がちょっと腹立たしい。


「……じゃあ、万一かかっちゃったら、その後はどうするの? 正気に戻さなきゃいけないんでしょ? さっきの猫騙しみたいなことで戻るの?」

「……猫騙しじゃ戻らないような気がする」


 顎に片手を当てて真面目な顔で考えているけど、相手は大魔導士なのに、へなちょこ魔法しか使えないわたしに何ができるというのか。


「やだよ、正気じゃなくなってがんがん魔法とか使われたらどうするの?」


 イアゴを捕まえた時の雷とか、めちゃ怖かった。

 そう考えると、中途半端にかかるチャームは、かけられた方の自我も残っていることが多いから、かかったと思って実はそうでもなかったりしたらかなり危険だと思う。


「やめろって言えばいいじゃん。ちゃんとかかってるなら即座にやめるだろ? 基本的にはかけたやつに服従するんだし、まずおとなしくしてろって命令してから殴るとか蹴るとかすればいい」


 そっか、ちゃんとかかったら服従――命令できるのか。

 確かに質問に即答したな。

 そう考えると、わたしがかけられたやつは本当に軽いチャームだった、ってことだ。かなり手加減してくれた――だからこそ、わたしは命令なしでも立ち去る王子様を追わずに済んだんだろうし、ちゃんと自分の思考を保っていられたんだろう――あれがもっと強かったらとか、考えたくない。


「シーフのハートを奪う魔法はかかってしまえば百パー相手のことばっか考えてるんだから、命令されれば違反はしないはずだろ。むしろ命令がなくたって、嫌がるようなことはしないんじゃないか?」


 そんなことを言ってるけど、本来の自我さえない無抵抗の相手に暴力をふるいたくない。たとえ下手くそでも、空手に先手なし、それは基本だ。


「それ、やっぱ無理だよ」

「え~、俺はいいのに」


 そう言った後で小さく舌打ちをする音が聞こえたような気がする。

 気のせいかと思ったけど、顔つきからすると気のせいじゃない……みたい。


「……かけて欲しいの?」


 イザムが何を今さら、といった表情で身を乗り出した。


「当たり前だろ! 精一杯かかりやすい状態にするから俺で練習して欲しい!」


 バン、と机に音をたてて手を乗せ、力説する。


 よくわからない。


「練習台にされたうえに、かかったらかかったで後から殴られるんだよ? そりゃ、あの時の猿臂えんぴみたいに加減なく打ち込んだりはしないけど」

「そのくらいなら、甘んじて受け入れるよ。骨は折らない程度で、お願いしたいけど」


 両手を合わせたその手の向こうから、拝まれた。


「やってみて?」


 そんなことを言う理由がわからない。


「嫌じゃないの? だって、強制的に誰かのことを好ましいって思わされるんだよ?」


 わたしがチャームをかけられたときの感覚は、けして歓迎するようなものではなかった。


「ああ……前もそんなこと言ってたよな。でも俺はもともとアイリーンが好きだし、ちょっとくらい感覚が違ってもたぶんそんなに変わんないんじゃないか、って思う。

 むしろ興味津々っていうか……誰かほかのやつで練習されるほうが心配。まあ、そもそもが、かかれば(・・・・)の話なんだけど」


 ちら、とこっちを窺う様子と挑発するような声の響き。

 やれ、ってことか。


 さっき教えてもらったチャームのかけ方について考えた。

 自分でもそのつもりになって、誰よりも魅力的だと思わせる……。


 いやいや、無理無理。

 やっぱできそうにない。


 さっきイザムが見せてくれたチャームのかけ方を思い出す。撫でる。誉める。緩めた表情で目を合わせる……。

 いやいやいやいや、絶対無理。


「誰が相手でもできそうにないよ」


 息を吐いて首を横に振る。

 イザムが残念な顔になった後で不思議そうに首を傾げた。


「なんで? せっかく異世界なんだし、試してみればいいじゃん。いい機会なのに」

「いい機会なのはそうかもしれないけど、イザムに対して、その……『自分を使って魅了する』とか、『誰より魅力的だって思いながら接する』っていう時点でハードルが高すぎて。それに、触ったり、とか、その……」


 言いながら顔に血がのぼってくるのを感じた。


「自分で気づいてないだけでアイリーンはいつだって魅力的だよ?」


 え。


 そんなことを言われるとは思っていなかったので返答に困った。

 油断してるところに誉め言葉とか、やめて欲しい。

 しかも魅力的とか、言葉の選び方が異世界仕様なのか、恥ずかしい。


 この前のハサミの話の後から、イザムの様子がまたちょっと変わった気がする。

 妙に懐かれてるというか、持ち上げられているような気がする。確かにそれも好きって気持ちの一種なんだろうけど、一体何で今さらそんなことを表に出そうとしてるのかがわからない。


 確かにこの世界でのわたしは本物よりは凹凸もあるし美人だけど、そういう設定にしたのはイザムなんだし、本当のわたしがいたって平凡で、しかもいつだって行き当たりばったりで考えが足りないのは自分でよくわかってる。そんなふうに誉められると、困惑してしまう。


 だけどイザムは、そんなわたしの内面には全く気付かない様子だ。


「それに俺のことなら好きなように好きなだけ触って構わないよ? マーメだと思ってベルみたいに撫でまわしてくれてもいいし、クロみたいに頬ずりしてくれたり、シルバーみたいにクッション代わりにして抱きついてもいいし」


 そしてなんだか期待している顔になってきた気がする。


「イザム、それって相手を魅了しようとしてるんじゃなくて、わたしが好きで勝手にやらせてもらってるだけなんだけど」

「うん。俺にもあのくらいリラックスして触れるようになるところから始めればいいんじゃない? いくらでも付き合うし」


 ニコニコニコニコ。


 その顔――。

 それをされるとなんか裏がありそうな気がするんだよね。

 っていうか、絶対なんかある。


「何、企んでるの?」


 半目でじっと見つめれば、「え? 企んでるっていうか、どうしたらチャームがかかりやすいかなって考えてただけだけど」何にも企んでませんよって、両手を挙げてみせてるけど、それにしては上機嫌だ。


「その考えの中身は?」

「あ~……その、えっと、僕がかかりやすいなら……ごにょごにょ」


 『俺』だったのに『僕』に戻った。

 言い訳があるときや、低姿勢になるとき、自信がないときや本心が別にあるとき、イザムは一人称を『僕』に変える。かわいい振りをしても、やましいことがあるってバレバレだから。


「かかりやすいなら?」

「あの、白のキャミとか着て迫られたら一瞬で悩殺されそうだなって……いや! 思っただけだから、やってくれないってわかってるから! 今瞬殺しないで!」


 挙げていた両手を更に高くあげて降参のポーズをしてるけど、やっぱりそんなことを考えていたか。ずいぶん親切だと思えば、このエロ魔導士め。


「……黙ってたことをわたしが言わせたんだから殴ったりしないけど、あれを着て誰かに迫る日なんて、たぶん一生来ないし」


 机の向こうでイザムがうなだれた。

 いや、そんなに肩を落とされても困る。まだ着替えを楽しめる動く巨大フィギュアと混同している部分があるのだろうか。中身はわたしなんだから早々に諦めて欲しい。


「そもそも相手を魅了するのにいちいちあんな格好になってたら大変じゃない。しかもそこまでして相手がひっかからなかったらどうするの? 襲われても文句は言えないよ」


「俺は襲わないよ!」


 パッと顔を上げたその表情は真剣だったけど、そういう意味じゃない。


「わかってる。イザムを信用してないんじゃないの。他の人に通用しないんじゃ結局意味ないでしょ? まずはレベルを上げないと」


 ぐっと握りこぶしを作れば、イザムはぎょっとしたように眼を見開いた。


「これ以上強くなってどうするんだよ!? チャームは力づくでかけるようなものじゃないし、脅したらかかりにくくなるんだぞ?」


 そういう意味のレベル上げじゃない。


「ちーがーう! そもそも誰かを魅了するどころか、視線を合わせたり触れたりすることさえ満足にできないうちは誘惑なんかできないってこと。

 だから、十秒くらい目を合わせても大丈夫なように練習するところから始める。イザムは……たぶん無理だから、イアゴかシルバーにお願いするよ」

「なんで!」


 声にちょっと悲痛な響きが加わった気がする。

 無理な理由をちゃんと説明しないと、また混乱されそうだ。


「レベル高すぎなの。前にイザムに『目を合わせて』って言われた時は三秒持たなかったもん」


 まったく、その程度でさえできないのだから、まだまだなのだ。


「いつだよ?」

「ほら、ベルが……あの時はまだただのマーメだったけど、あの子がここに来る前に、お城で。イザムがわたしにチャームがかかってないか確認しようとしたときだよ。しかも人前で見つめ合えとか、全然無理だった。覚えてない?」


 今度は肩を落としてため息を吐いたのはわたしの方だ。

 本当に、こんな状態でチャームなんてかけられるようになるのだろうか。

 そんなことを考えていたら、イザムが呟いた。


「……嫌だったのかと思ってた」


 キスとまとめて、嫌だったわけじゃないって訂正したと思ったんだけど、通じていなかったみたいだ。


「違うって言ったじゃん。あれでもがんばったの! 精一杯がんばってあの程度だったの!」


 そう言ったら、よくわからないって顔のまま聞かれた。


「じゃあなんでアルフレッドのチャームには引っ掛かったんだ? 少なくとも五秒くらいは目を見たんだろ? なんであいつはいいんだよ? やっぱり好みだったんじゃ……」

「変質者だってわかってぎょっとしたせいで、ついまじまじと見ちゃっただけだよ……不覚だった」


 は~、とあの時を思い出して屈辱に肩を落とせば、向かい側でイザムもがっくりと肩を落としていた。


 

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