42. 放浪者乱入
「アルフレッド様? 『婚約者がありながら他の異性と馴れ馴れしくする者は好きではない』と以前おっしゃいましたよね。わたしも、他に想う方がありながら他の異性に近づく人は好きではありませんよ?
それに名前も知らないあなたのお兄様に好感を持ついわれもありません。第一あっちがダメならこっちというようなそんな――」
それってどんな尻軽ですかまったく、と思っていたら王子様が片手をあげてわたしの言葉を制した。
「私に関しては、いろいろバレておりますしこれ以上は申しません。ただ、単に好みの問題だと考えた場合、私が兄のロマンスを潰してしまった可能性があったので、だったら失敗だったな、と思っただけです」
少し困ったような顔をしている。
「そういうことでしたら、最初からどなたも望んではおりません」
ちょっとイラっとしたのも手伝ってぴしゃりと言った。
そもそもイザムのことだって望んでいない。恋愛関係はごめんだ。
「だが、恋は予期せず落ちる物でしょう?」
真顔で言われて返答に困った。
これが現実なら盛大に吹き出すところだけれど、相手は至極真面目な顔で、まるで空は青いとでもいうようにさらりとその言葉を言ってのけた。
「……落ちる……ですか? 落ち……たくはないですし、落ちそうにもないです。もちろん落ちるつもりもありません」
はっきり言い切った。
だってわたしは誰かに恋愛感情を抱いたことがない。と、いうか、恋愛感情だけでなく、そもそも人に対する強いこだわりがないし、持ちたくもない。
そういう感情は怖いから、とにかく精一杯避けてきた。
執着させて人を狂わせるものは好きじゃない。
「そうですか。残念ですね」
それ、前にもどこかで聞いたと思う。残念ですみません。
でもわたしはそれで満足だし。
「そういうことでしたら、やはりお仲間と旅をされるのがよろしいかと」
わたしがあきらかに不機嫌になったのがわかったらしく、王子様が居住まいを正して、本来の話題に戻った。
「出たほうがよいとお考えなのですか? 誰かがこの国に来るのを待つのではなくて。希望を言えば、わたしたちはこの国で穏やかに過ごしたいのですが」
どうしても引き止めたい、っていうわけじゃないのか。
「そう言っていただけて光栄です」
腑に落ちない顔になったわたしに王子様は笑ってみせた。
「貴女たちがこの国に留まることを選べば、貴女たちがいるこの国を訪れてみようと思う人たちも出て来るかもしれない。だが、ここを去ることを選べば、人を待たずして貴女たちは新たな出会いを得ることができる。
どちらも大切ですが、貴女が考えたように、この国を治める王族としては、前者がいいのです。ここにいて欲しい。それは確かです。けれど、国ではなく世界のことを考えれば後者が有効です。
ただその際は私という友人のために、興味を持ってくれそうな異界の方に出会ったらこの国のことを宣伝してください」
少し寂しそうに言った言葉は繕うことのない本心なのだろう。だって目がとても優しい。
さっきから普通に目線を合わせていたことに気がついた。
この人はわたしに対して何らかの魔法を使おうなど、全く考えていない。
「ありがとうございます。……友人のためなら、できるだけのことをさせていただきたいとは思いますが、ただ……想い人のいる方に異性を紹介するのは気が引けます」
軽く睨めば、「出会いを得られても互いに恋愛感情を持てるとは限りませんよ」と、王子様は肩をすくめた。「そうなれば儲けもの、というだけです」
まるで商人みたいな言い方がおかしい。
いつのまにか、わたしたちの間はとても穏やかな空気になっていた。王子様が『友人』と言った通り、控えめな信頼関係ができたような気がする。
「戻りましょうか。これ以上がんばっても、妹に彼では荷が重い」
そう言って立ち上がり、完璧に身についた流れでわたしにエスコートの手を差し出す。
その柔らかい視線の先にはイザムの手を引いて迷路の先へ進もうとする王女様。
「ローゼリーア、戻ろう」
少し大きめの声で呼びかければ、王女様がこちらを見上げて素直にうなずいた。イザムに何か話しかけると、イザムはひょいと王女様を抱きあげて出口に向かって歩きだす。
子どもたちより身長が高い分、生垣の上からだいたいの造りが見えているとはいえ、まったく迷いのない足取りだ。途中で迷路の中にいる子どもたちと次々合流しながらあっという間に出口に辿りつく。
すとんと地面に下ろされた王女様がちら、とわたしを見た。
笑みを返せば、さみしそうな小さなため息。
何かがっかりさせるようなことをしただろうか。
首を傾げたわたしを見て、今度は王子様が苦笑した。
皆でさっきまでいた中庭に戻って席に着くと、すぐにもう一度お茶が運ばれてきた。
聞きたかったことについては教えてもらったのだし、ここからは特にこれといった話題を選ばないことにして会話を楽しむ。
イザムも特に無理難題を言われている様子はないから、大丈夫だろう。
王子様というのは普段どのようなことをしているのかと聞いてみると、アルフレッド様は、第一王子のお兄さんとは違って公務の数が少ない分、ゆっくり勉学に励んだり、ときどきは街に出て流行や治安を調べたりもしていると話してくれた。
毎日必ず剣術と魔術の鍛錬を行い、作法や音楽の練習もかかさないとのことで、「大変なのですね」と、本音で言った。
「全て将来のためですし、兄よりはずっと楽をしています。弟でよかった」
本当の兄弟がいてもだいたい平等に育てられることが多いわたしの現実と違って、この世界では生まれの順番にもしっかり意味があるようだった。
実感がこもり過ぎな程にこもった返事をされたので、つい笑う。
わたしも勇も一人っ子だから、いうなればお互いが兄弟姉妹みたいなところがあるけれど、やっぱり一人っ子は一人っ子だ。
穏やかで他愛もない会話をしていると、なにやら騒ぐ声が聞こえてきた。
気づいた王子様が立ち上がり、騒がしい方向を見つめる。イザムがちらっとこっちを見て眉を寄せてから立ち上がり、喧騒と王女様の間に入った。
「何が――」
腰を浮かしかけた時。
「こんにちは~! ちょっとお邪魔させてもらいますよ~」
王城にやって来たとは思えないような気軽さで、銀色に輝く鎧を身に着け、足首までありそうな長剣を帯びた長身の男性が入ってきた。片手に兜を持ち、反対の手で無造作に赤茶の髪をかきあげる。
明るくて物怖じしない好青年といった感じにも見えるけど、この登場の仕方は場にふさわしくないと思う。顔つきから年齢はアルフレッド様と同じくらいに見えた。中庭をくるりと見回して、にっと笑う。
誰?
知り合いなのかと王子様を見上げれば、その顔にも同じ疑問が書いてある。違うのは、さっと動いてわたしとその見知らぬ男性との間に立ち塞がったことだ。
さっきイザムが王女様が自分の背後になるように立ったように。
男性の後ろから王城の侍従らしき男性が駆け込んできて、アルフレッド様の前で急いで礼をし、男性の名前がシンだと報告する。そして剣を扱う異世界からの訪問者だと説明を追加した。
とたんに目の前の王子様の背中がこわばった。
少しだけイザムの背後にいる王女様の方に顔を向ける。
なぜか空気が固まったように感じた。子どもたちも動きを止めている。
どうしたのかと思っていると、この場の空気を固めた本人はそんなことはどこ吹く風と言った様子で、すたすたと王子様の前まで歩いてきた。
「君がここにいるっていう第二王子様? はじめまして。そこの彼が言ったように、僕はシン。こことは違う世界から来た剣士だ」
『そこの』で侍従を顎で示してから、ひょいと身をかがめアルフレッド様の後ろに座ったままのわたしを見た。
何だ?
『異世界から』ということはお仲間なのだろうけれど、とりあえず目は合わせないでおこう――と思って斜め下に顔を向けたのに、
「うん? こっち見といて」
そう言われると同時に顎をつかまれて無理やり顔を上に向けさせられ、ぎょっとして顔が引きつった。
こっちがあからさまに嫌な顔をしているにも関わらず、ジロジロ見たかと思うとにやりと笑う。
「うん。いいね! この子ならバッチリ」
わけの分からないことを言ったと思ったら二の腕を強くつかまれて立ち上がらせられた。王子様が止めようとして手を上げる。
「あれ? まさか邪魔する気?」
そう言われて睨まれ、アルフレッド様が上げかけた手を下ろす――その手が硬い拳になったのが見えた。
イザムが足を踏み出したのが目の端に映った。その手を背後から王女様がつかんだのも。
いったいどういうつもりか、と聞こうと思ったとき、顎をつかんでいた方の手が離れたと思ったら、すっと下ろされると同時に首から胸、お腹から腰までを一気に撫でおろされた。
なっ!!
平然とした顔して公衆の(しかも子どももいる)面前で痴漢!?
体勢が崩れていたし、ぴったりしたスカートが邪魔でうまく重心が落ちつかなかったけれど、即座に右腕を体の前に入れ、内側から肘で相手の攻撃を(この場合は腕を)外させる、空手でいう「内受け」の形でつかまれた肩から相手の手を外し、顔面に左の上段突きをお見舞いした。
本来は鼻の下(人中と呼ばれる急所の一つ)を狙うけど、さすがにそこは加減しておく。それでも相手は痛みと驚愕で声にならない声を発すると同時に尻もちをついた。
垂れてきた鼻血を拭うこともせずに呆然としている相手を軽蔑の目で見下ろす。
王女様につかまれていた手を外してわたしのすぐ後ろにやって来たイザムが、冷ややかに宣告した。
「ゲーロに変えて踏み潰す。異論は認めない」
風がビュウと音をたてて吹き付け、空を雲が覆っていく。
さっきまでの穏やかな秋の午後は急速に終わろうとしていた。
「踏み潰すのはわたしがやる。ゲーロになりきる前に殺さないでよ」と釘を指せば、
「努力はするが確約はできない」
との答え。
いや、仕返しの権利はイザムじゃなくて、わたしに全権あると思う。
進み出るイザムの右手には、今日は持っていなかったはずの魔導士の杖が握られていて、そうこうする間にもあたりはどんどん暗くなり、吹き付ける風は真冬の冷気を含み始めた。
「な、なん、で……? 君は」
鼻血にやっと気がついて、顔を押さえたまま周囲を見回す。何が起こっているのかわかっていないのはその剣士だけらしく、アルフレッド様は侍従や召使いたちに子どもたちを室内に連れて行くよう指示を出した。子どもたちの中にさり気なく王女様を紛れ込ませ、自分はわたしの傍らに戻る。
イザムの声は地底から響くようで、湧き上がる怒気を含んでいた。
「楽に済むと思うな。軽率な行いをあの世で後悔するといい」




