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34. 謝罪は何に?

「アイリーン? そこにいるよね?」


 怒りではない。聞きなれた穏やかな声だった。

 止めていた息をほっと吐きだす。


 静かに扉に近づけば、「アイリーン? 聞こえてる?」と扉の向こうから声がする。


「……聞こえてる」


 そっと扉に手を当てた。

 よかった。無理やり入ってくるつもりはないみたい。

 とりあえず――謝ろう。


「さっき、ごめん。加減できなかったから、すごく痛かったでしょ?」


 至近距離で使える技が他に思いつかなかったとはいえ、自分より強い相手に向かう時の空手の技を、素人相手におもいきり打ち込んだのは、やっちゃいけなかったような……いや、実際襲われたとかそういう(・・・・)時向けの技なんだけど、自分が実際に誰かに使うことは想定していなかったし、練習では寸止めだからどんなに痛いかはわからない。


「……や、さっきのは、仕方ないっていうか、ごめん。俺が悪い。……本当に」


 長々としたため息が聞こえて、静かになった。


「あの、アイリーン? 入れてくれる?」


 おそるおそる、といった感じで聞かれた言葉に即答した。


「無理」

「……怒ってるんだよね? だったら、好きなだけ殴ってくれていいから開けて?」


 怒ってる? ううん、違う。混乱してる。


「ごめん。今は無理。顔見れない……落ちついたらちゃんと出るから、どっか行ってて」


 今イザムの顔を見たら絶対逃げ出す。

 だから鍵までかけてここにいるのだ。


 顔を合わせたらまた、あのざわっとした感じに襲われそうな気がして怖かった。それにイザムがわたしがこれまで思っていたのとは違う生き物になってしまったような気がして、それもやっぱり怖い。


 今まではどんな時だってイザムにそういう恐怖を感じたことなんてなかった。ミニスカートでも、キャミソールでも、恥ずかしかったり、怒ったりはしたけど、いつだって、怖くはなかった。


 だけど、今は――怖い。


 離れてくれたのか、扉の向こうからは何も聞こえなくなった。


 また部屋の中を歩きまわって、机に戻る。落ち着かない。また歩きまわって戻る。何度繰り返しても頭の中はぐるぐるだ。


 どれくらいそうしていたのかわからない。アルフレッド様は好きなだけいていいって言ってくれたけど、いつまでもここにはいられない。それはわかってる。


 何度も何度も深呼吸をしてそーっと扉を開けると、ずっと廊下で待っていたらしいイザムが、廊下の反対側でほっとした顔をした。


 だけどいつものように差し出してくれた左の手には、とても応えられない。

 顔も見れないし、目も合わせられない。触ったら、さっきみたいに捕まえられそうで怖い。


 小さく首を振ってエスコートを断った。


「もう帰る?」


 そう聞かれて、辛うじて笑顔らしきものを作って頷いたけれど、馬車に乗り込むときも手は借りなかった。


 王都の館までの帰りの馬車は、まだ名前の決まらないフェストとマーメも一緒で、二匹(乗り込んだとたんに獣型になった)がわたしたちの奇妙な雰囲気に気圧けおされておろおろしていたのは申し訳なかったけど、それでも二人きりじゃなくて本当に助かった。


 わたしの後から乗り込んで隣に座ったイザムが身動きするたびに、身体は勝手にピクリと反応するし、軽く触れている腕がやけに気になるし、ずっと頭の中はぐちゃぐちゃで、『なんで』がループしているだけでなく、ともすれば頭や顎に当てられた手の感触とか、引き寄せられた力とか、あのうにゅっとした感触が蘇って、どうしていいのかわからない。


 目を合わせられないどころかイザムの方も見れない。

 こんなんじゃダメだって思う。けど、馴染みのない奇妙な感覚がどうしても追い払えない。


 館までの道のりが妙に長くて短かった。

 扉が開いて、イザムが先に馬車を降りる。


「今日はここに泊まる。後で部屋に来て。ちゃんと話そう。来なかったら行く」


 それだけ言ってこっちを見ずにそのまま先に行く。

 館の扉に向かう背中を見ながら大きく息を吐いて初めて、自分がずっと息も潜めていたことに気がついた。


 中の造りが領地の館と同じなので、自室に向かうのは難しくない。フェストとマーメのことはシュヴァルツさんにお願いした。


 とにかくお風呂と着替え。

 それができれば、少しはスッキリして、イザムとちょっと落ちついて話せるかもしれない。

 このまま会わずに寝てしまいたいような気もするけど、馬車の中での態度は悪かったと思うし、「来なかったら行く」ってはっきり言われたからには、行かなければ本当に来るだろう。


 それに、先延ばししてもいいことなんてない。

 それは、わかる。


 部屋には蝙蝠のメイドさんが来てくれて、髪からピンを抜いてくれた。頭の先からつま先まで洗って、それでも落ち着かず、イザムと会うまでの時間を引き延ばしたくてノロノロ過ごしてお風呂から出ると、クロゼットの中に入って驚いた。中身が全部山の領地のと一緒だ。連動しているみたいで、あの赤い室内履きもある。


 ピンクの石のついたネックレスだけはいつもの通り首から下げたけど、いつもならお風呂あがりに借りているイザムの部屋着も室内履きもなんだか手を付け難くて、マダムのお店で買った品物の中の一つ、コットンのワンピースに着替えて、裸足のまま部屋を出た。


 イザムの部屋の前まで行って、大きく深呼吸をしてからノックする。


「どうぞ」の声を待って扉を開けた。


 そっと首を入れて覗くと、イザムもお風呂に入ったあとらしく、いつものTシャツとハーフパンツという部屋着姿で、明るいだけの暖炉の前に胡坐をかいていた。それだけでわたしが知っているいつものイザムみたいに見えてちょっと肩の力が抜けた。


 するりと中に入る。


 わたしの緊張がちょっととれたのがわかったのか、困り顔だったイザムも力が抜けた笑みになって、暖炉の前を半分空けてくれた。


「あの……落ちついた?」


 遠慮するような声にどうにか頷く。


「……頭の中でうまく処理しきれてなくて、ちゃんと話せないかも。でもごめん、馬車での態度は悪かったと思う。どうしようもなくて」


 ため息と一緒に、ちょっと距離を開けて隣にぺたりと座ってから、思い直して膝を抱えた。

 話す、とは言ったものの何をどう話したものか、よくわからない。


 それはイザムの方も同じなのか、そのまましばらく二人して黙ったまま暖炉を見つめた。


「……あの、ごめん」


 呟くように謝られて。


「今の『ごめん』って、何のごめん?」


 そういえば、って感じで思い出した。


 あんなことになるまでのことを。

 わたし、怒ってたんだった。後で話すっていう話をしてたはず。

 パッと顔を上げて睨むと、イザムがひるんだ。


「何の? え? それは……いきなりキスしたこと、だけど」

「それか……」

「それか、って? え? フェストたちのこと? アルフレッドのこと? チャームをかけようとしたこと? 肩をつかんだこと?」


 次々聞かれたけど、それらについても確かに謝るところはあると思うけど、それじゃない。


 一つずつ全部首を振って否定した。


「え? もうなくない? 他に何があった? 僕に怒ってるんだよね?」


 そう、まだあるのだ。無自覚のエロバカ魔導士のせいで危うくひどい目に遭いかけた。


「そもそも、あの時はわたしが(・・・・)怒ってたのに、横からイザムが勝手に怒りだしたんじゃない。

 そもそも、あの変態王子がわたしにチャームを使ったのは、イザムのせいだったのに!」

「え!? 僕の?」

「そう! あんたが人の……!」


 言葉に詰まった。


「僕が、アイリーンの、なんだよ?」


 く、この話、思いがけずけっこう攻撃力高い。


 顔をあげたままではとても言えなくて、体育座りの膝に顔を伏せたまま話した。


「あんたがわたしの……その、左胸ばっか見てたせいで、あの変態王子がそこに何があるのか、何を隠してるのかって心配して、質問をした時に嘘をつかれないようにチャームをかけたって話」


「は?」


 その間の抜けた声に、カッと怒りが戻ってきた。


「『は?』じゃないよ、ほんと! いろいろあって、結局チャームかけられて。

 何も隠してないって言ったし、本当だったからそれはそのまま答えられたけど、そんなとこのホクロの話なんかしたくないし、隠しているものを見せられるかって聞かれたときはどうなるかと思ったよ!」


「見せたのか!?」


 驚いた声と一緒に身を乗り出したイザムに、


「見せるか! このエロバカ魔導士!」


 ドス、と突きを入れた。


 今回は(少し)加減できた。

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