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33. 突然の

「それから、もうひとつあるんだけど」


 落ちつかなそうに何度か手を開いたり握ったりさせてから、イザムが庭を見やった。


「話したくないかもしれないけど、アルフレッドのこと――アイリーンはあいつが気に入ったの?」


 手すりの上に置いてあったイザムの手がぐっと硬い握りこぶしの形になる。

 何の話なのかよくわからないけど、王子様のことなら、別に何も話しにくいことなんてない。


「気に入ったってわけじゃないけど、悪い人じゃないかも、とは思ったよ。心配してくれてたみたいだったし。――変態だって知らなかったし」

「なんで、それ」


 びっくりしたイザムに聞き返された。


「さっき自分で言ってたから。苛めるのが好きなんだって。驚きだよね。最初に話したときは知らなかったけど」


 イザムが眉を寄せて少し考える顔になる。


「それで、それなのに今もいいやつだって思ってるの――?」

「まあ、悪い人じゃないって思ってるよ。王子様にしては軽いな~、とも思うけど。変人耐性はイザムでついてるから、周りに迷惑さえかけなければ気にしないし」


 嫌がる相手に無理強いとかじゃないのなら、いいんじゃないの? って感じだ。


「それは、僕との婚約を解消してあいつを選びたいってこと――」

 

 深刻そうな顔でゆっくり聞かれてびっくりした。


「ではない、ない」


 一瞬『私のところに来ればいい』ってめげずに言ったアルフレッド王子の声を思い出しておかしくなった。


 本気なんてかけらもないのに、しれっとそんなことが言えるなんて、変な人だ。

 イザムはわたしの表情が緩んだのを見逃さなかったらしい。


「本当に?」

「本当だよ?」

「アイリーン。あのさ、詮索好きだと思われたくはないんだけど、さっきまで君はアルフレッドと一緒にいたし、ずいぶん長々と話し込んでいたよね。彼にはよくない趣味があるという話があるし、ふたりきりで何を――」


 『何を』


 そこでわたしが一気に不機嫌になったのがわかったらしく、イザムが口をつぐんだ。


 ――あんたがじろじろ人の胸を見ていたせいで変態王子に目をつけられて、口説き文句交じりの無駄話の後で軽く脅されてチャームをかけられ、自分の胸にホクロがある話をさせられそうになった。


 って、怒らずに伝える方法がわからない。


「――それね。とりあえずここでは話さない。戻ってから。聞く覚悟が決まったら、言って」

「アイリーン? あいつ、いったい何を――」

「後で。とりあえず、わたしは怒ってるから」

「俺に? なんで――」

「後で」

「ちょっと、こっち向いて」


 イザムの手がわたしの肩をつかんだ。


 その瞬間、つかまれたところからザワっと鳥肌が立った。身体が固くなる。これまでイザムに対しては感じたことがなかった嫌悪感。息をのんでつかまれた肩を見た。


 何、こんな――?


 信じられない。二の腕から手首までの全体に鳥肌が立ってる。肩に触れている手を思い切り振り払いたい。

 自分の感覚にひたすらとまどう。


「――あいつが、やったのか?」


 背筋が凍るような声がした。

 顔を上げると、まっすぐにわたしの目を見てイザムがもう一度聞いた。


「あいつに、何をされた?」


 さっき王子様とすれ違っていたときの比じゃない。凄まじい冷気交じりの怒気が怖い。

 恐怖で体が震えた。


「何があった?」


 肩をつかんだままの手に力が入る。


「くそっ、答えろ。アイリーン」


 反対側の肩もつかまれて、おもわず自分を守るようにイザムとの間に両手を入れた。


「はな、して」


 どうにか言葉になったのはそれだけだ。イザムの目が怖い。


「だめだ。……チャームを。アイリーン、俺を見て」


 チャームの上書きをするつもりなのだとわかり、さっきの鳥肌は王子様がかけたチャームのせいだったのだと思い至った。イザムがわたしにチャームがかかっていることに気づいて怒っていることにも。


 目が、怖い。


「や、だ」

「アイリーン? 大丈夫だから、俺を見て」


 声の調子が少し緩んだ。


「やだ」


 魔法なんか使って欲しくない。


「イザム、手を離して」

「アイリーン。頼むから、こっちを見て」


 哀願するような声になったけど、肩をつかんだ手は少しも緩まない。


「やだ!」


 硬く目をつむって俯く。

 どうしても嫌だと思った。


 さっき、自分があの王子様に感じたような感情をイザムに感じたくない。あんないい加減な即席の好意で、イザムに触れたいとか、かっこいいとか、そんなふうに思うのは嫌だ。


「やだ。魔法なんか使わないで」

「あいつのことを想ったままでいたいのか?」


 その声が荒い。


「そうじゃない。イザムのこと、狂った目で見たくないの。正気に戻したいなら、殴っていいから!」


 手探りで、イザムの上着をつかんで目を閉じたまま顔を上げた。

 殴られても大丈夫なようにぐっと歯を食いしばった。そのまま待つ。


「……殴ったりしないよ」


 耳に届いたのはやわらかい声だった。


 肩をつかんでいた手がどちらも離れて、ほっと身体の力を抜いた時、離れたはずの右手が顎に触れた。

 くっと顎を上げられたと思ったら唇に温かいものが触れて、身体を引こうとしたら左手が後頭部を包み込んで、さわりと背筋に震えが走った。後ずさろうとしたら顎の手が外れ、背中に回されて引き寄せられた。


 これって。


 頭が真っ白になった。

 おもわず目を開ければ、超至近距離にイザムの顔で、抗議しようと口を開いたら……うにゅっ! て。


「……!!」


 チャームも一瞬で解けるほどの衝撃だったのは確かだった。


 さっきとは違う感覚がざわっと背筋を下って、真っ白になっていた頭が一気に正気に戻った。上着をつかんでいた手でイザムの身体を押しやろうとしたら、後頭部と背中に当てられた手にさらに力が入って、わたしの抵抗などものともしないその力が怖くなった。


 直後、わたしは容赦なくイザムの鳩尾みぞおち猿臂えんぴ(肘鉄みたいな空手の技)を打ち込んで、その場に膝を落としたイザムを残して、バルコニーから逃走した。


 手加減する余裕なんてなかった。とにかく今起こったことと、イザム本人から離れたくて、すぐに広間に戻って逃げ場所を探そうとしてから、どこに行ったらいいかわからないことに気がついた。


 一瞬途方に暮れたけど、すぐにあの変態王子にお部屋を貸してもらえばいいことに気がついて、王様たちがいた一段高い広間の奥を見ると、まだこちらを観察中だったらしいアルフレッド様がわたしを見て立ち上がったのが見えた。


 小走りに駆け寄って、しばらく一人になれる場所を借りたいと言うと、王子様は何も聞かずに即座に連れ出してくれた。

 一つ上の階の、内側から鍵がかかる小さな書斎のようなところに連れて行くと、王子様は「今度こそ、けんかですか? 早く仲直りしてくださいね。期待してしまいますから」と言ってからわたしを中に入れてくれた。


「出るときは扉は開けたままでいいので鍵は机の引き出しに入れてください。もっとも好きなだけいていただいて構いませんし、貴女の居場所を伝えるつもりはありませんよ」


 誰にとは言わず言葉を追加する。素早く片目をつむってから、外から開けるための鍵を渡してくれた。


 これで少なくとも、鍵を開けて入ってくることはたぶんできない。

 イザムがどんな魔法を使えるのかわからないから、もしかしたら意味はないのかもしれないけど。


 お礼を言って別れ、内側から鍵をかける。一人になれたことで、少しだけほっとした。

 でも頭の中はぐちゃぐちゃで、さっきのイザムの行動が、ざわついた感覚と恐怖と混乱が、延々と行ったり来たりしていて少しも落ちつかない。


 部屋の中をしばらく動物園の熊みたいにうろついた。

 行ったり来たり。

 混乱した頭の中は、まともにものを考えようとしてくれない。


 行ったり来たり。

 行ったり来たり。


 どうしようもなくて、側面にきれいな彫刻が施された机の前に座って、突っ伏した。


「なんで」


 ぽつり、と独り言をこぼしたら、それに応えるかのように扉をノックする音が響いて、息をのんだ。

 扉の向こうにいるのは絶対イザムだとわかるけど、なんて答えていいかは――わからなかった。

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