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32. フェストとマーメ

 最後の一言に王子様が驚いた顔をした。


「本当にかかっていますか?」

「かかってます。だからお願いします。離れてください。こんなところであなたに抱きついたりしたら……」


 そう口にしただけで目の前の相手の方に吸い寄せられたかのように腕が上がってしまい、無理やり方向を変えて自分の身体を抱きしめた。


「妙なかかり方ですね……でも、まあ、その様子を信じましょう」


 王子様が一歩下がって、ほっとしたと思ったのに、身体が引き寄せられるように一歩前に出てしまった。せっかく空いた距離が詰まる。

 うう、何やってるんだ、わたし。ああ、でも自分で離れてって言ったくせに、ものすごく離れがたいような気がする。


 それを見て王子様が笑った。


「本当にちゃんとかかっているのですね」

「……これ、解いてもらえませんか?」


 自分でも情けない声が出てしまった。


「即座に解くには攻撃を加える必要があるので、ちょっと……。これ以上私に魅かれたくないなら手っ取り早いのは他の人にチャームをかけ直してもらうことです。

 さっき彼はそうしようとしていたでしょう? さすがに今は見つかりたくないのですが、あとで誰かに呼んで来させましょうか?」


 それは、あいつにチャームをかけてもらえってこと?

 ダメダメ、絶対ダメ!


「いえ、あの魔導士にこんな魔法をかけ直さられるくらいなら、あなたに殴るか蹴るかして欲しいです。お願いできませんか?」

「……心配しなくても魔術の影響はそのうち消えますよ」


 王子様はなぜか何とも複雑な表情をしていた。


「私は戻りますが、貴女はどうされますか? チャームといってもごく軽いものですから私が近くにいなければ普段と特に変わりなく過ごせると思いますが、休憩用のお部屋が必要なら、魔術が切れるまで過ごせるお部屋を手配いたします」


 そう言われて、後ろ手で手すりをつかんだ。追いかけるわけにはいかない。

 

「お気遣いありがとうございます。なんだか大切な恋人に捨てられそうになっているような悲しい気持ちです」

「お別れのキスでもしてさしあげましょうか」


 クス、と笑いながら言われれば、耐えたけど、縋りつきたくて足が震えた。

 違~う! キスなんてして欲しく……ないもん。

 ちょっと危険な想像をしそうになった。


「残念。耐えなくてもいいのに」


 わたしの表情に何を見たのか王子様が嬉しそうな顔になった。


「離れがたく感じていることは確かですが、あなたが近くにいなければ平気になるならさっさとお戻りになっていただいた方がわたしは助かるんですけど?」

「わかっていますよ? でも私は女性を苛めるのが好きですから。殴る蹴るもいけるかな、と思っていましたが、残念ながら自分から殴って欲しいと言われるとやりたいとは思わないようだ。もう少し抵抗されればその気になるかも……まあ、そうなったら一回や二回では済まないかもしれませんので今はお勧めしませんよ」


 え? 

 ……今、笑顔でさらっと恐ろしいことを告白したね、この人。


「それならもう行ってください。わたしはここで失恋した気持ちを楽しみます」


 何とか笑顔で言えた。手すりをつかむ指はプルプルしてきたけど。


「失恋した気持ちは楽しむものではないでしょう。それに失恋したのは貴女ではなく私です。……では、また」


 少しだけ寂しそうな顔をして、片目をつむった王子様が広間に戻って行くのを、手すりにしがみつくようにしてどうにか見送った。姿が見えなくなると楽になって、またバルコニーで一人、すっかり暗くなった庭を見る。


 今感じている喪失感は魔法が感じさせている薄っぺらなもので、王子様がここに来る前の、イザムの気持ちを見誤ったのかもと考えていた時の気持ちとは違う。


「これから、どうしようかな」


 ようやく落ち着いて考えられるようになったので、とりあえず呟いてみたけれど、何ができるっていうんだろう。

 この世界でのわたしの価値ってなんだろう。


 わたしはイザムに協力するためにここに来た。災厄に対抗する仲間を集めている、という建前を満たすために。

 ろくに協力できてないような気がする。いるだけで十分だって言われたけど、今日のわたしは完全に失格だ。


 イザムはこの世界に馴染んでいて、知り合いも多くて、ここが好きで、ここに居たくて……でも、恋人を作って永住するつもりはなくて、誰かに言い寄られるのは嫌で。

 わたしはここの人たちを黙らせるための仮の恋人役。

 それがどうして今みたいなことになってるのか。


 暗い木の影を見ながら息を吐く。


 婚約者として蔑ろにされて嫌だった? ううん、けして蔑ろにされたわけじゃない。変態王子様が言っていたように、イザムは精一杯準備してくれてた。

 ならわたしの方が王子様の言った通り、急に登場した女性たちに嫉妬したの? 本当に嫉妬だった? 

 どちらかというと怒ったような、あきれたような気持だったように思う。そして次が喪失感だ。がっかりしたような気もする。


 わたし、もしかして期待してたのかな。確かに今日ここに来る前は楽しもうって思っていたはず。イザムと一緒に今夜を楽しもうって。お伽噺の中みたいなお城に来て、キラキラした人たちの中に混ざって、踊ったりして。


 自分の中を探れば、あの不快な視線と、ボンキュッボンのお姉さんの登場、王子様の言葉と不機嫌なイザムと、猫耳の女の子のことがあって、楽しみにしてたのに、っていう、がっかりした気持ちは確かにある。


 あのお姉さんとの様子にあきれて、あんな小さな子にコスプレさせたことを不快に思った。

 そんなやつじゃないって思ってたから、ショックだった。それは確か。

 

「さすがにあれは、ダメだと思う」


 一人で声に出してみる。


「う~ん。最後の猫耳ちゃん以外は、話せばなんとかなることかも。でも、たとえなんとかならなくても、そのときはわたしがこの世界に来るのをやめればいいんだよね。シルバーたちに会えなくなるのはちょっとさみしいけど、イザムには他の誰かを探してもらうしかない」


 シュッ、と夜の闇に上段付きをしてから、よし、と心を決めて広間に戻ることにする。


 背筋を伸ばして大きく息を吸って金のノブに手をかけ、ガラスの扉を開いて中に入ると、すぐ側のカーテンの陰からイザムが出てきた。


「あの、アイリーン、ちょっと話したいんだけど、いいかな?」


 顎のあたりがこわばっているように見える。

 待っていたのか。


「ん。わたしも話したかったから」


 今出てきたバルコニーにまた戻った。


 二人で庭に向かって並べば、さっきまでの出来事が嘘のように穏やかな空間になった。

 せっかくなじんできたこの世界、やっぱりちょっと去りがたいかな、と思う。


「レディ・ファーストって言いたいところだけど、まず僕から話しても、いいかな?」


 イザムが顔だけわたしの方に向けて確認した。


「どぞ」


 と言えば、にこ、と笑って話しだす。


「まずさっき会った人たちのことだけど、あの赤毛のフェストは、ケンカにならなければホランドみたいにアイリーンの側にいてもらえるんじゃないかなって思ってる。

 そうするなら、名前を決めないといけないけど、アイリーンが呼びたいように決めればいい。ゲーロやメギマは勘弁だから僕の側には近寄らないって言ってるけど、子どもたちが大きくなるまではできれば家においてやりたいんだ。

 外はシルバーの仲間たちがいて怖いって言ってるしね。

 それからマーメのほうはぜひ君のところにいたいって言ってる。だけど、やっぱりシルバーを怖がってるから部屋の中にいさせてやって欲しいんだ。名前もやっぱりアイリーンに決めて欲しいって」


 うん。イザムに関してはよくあることだけど、話がよくわからない。確かフェストって、わたしもときどき狩ることができる、ちっちゃなキツネっぽい生き物だったはず。


「イザム、話が通じてないよ? わたし今日はフェストなんて見てない。それからマーメって何?」

「え? さっき会ったろ? メギマにするって脅してたあの赤毛の……それからマーメっていうのは猫みたいな生き物で普通は黒いんだけど、僕が話してるのはさっき会った白いやつ。アイリーンが優しそうな人でよかったってさ」


 ? 

 やっぱりわからない。


「僕は基本、領地の屋敷にいるだろ? あっちにはシルバーがいるから彼女たちは近寄りにくかったんだ。僕たちが今日ここに来るっていうのは噂で流したから、それを聞いて、人の形になってどうにか会おうとしたらしい。

 あの後で他にもいないか探してみたらあの二人のほかにもう一匹紛れ込んでいたんだけど、行き場所がないわけじゃないみたいだったからそいつには気持ちだけもらって帰ってもらった。

 向こうにはイアゴも増えたし」


 ええと、シルバーが怖い。もう一匹いた。向こうにはイアゴも。

 がんばって文脈から想定する。


「つまり――あの赤毛のお姉さんも、白猫耳の女の子も、シルバーやイアゴみたいな魔物で、一緒に暮らしたいってこと?」


 眉を寄せて確認した。


「そうそう――あれ? 気づいてなかった? マーメなんてあきらかに耳と尻尾がついてたのに――? で、もちろんアイリーンがそれでよければ、なんだけど」


 にこやかに言われて、なんだか力とともに気も抜けたような気がする。


「念のため聞くけど、あの格好は――?」

「フェストの方は人間の男受けがいい格好を調べてきたって。

 マーメは、昔少し一緒にいた時期があって、その時僕の持ってたフィギュアを覚えていたから真似したみたいだ。

 二人とも、できるだけ喜んで欲しくてがんばったみたいで……でも、本来の形の方が楽だし、シルバーもクロもそうだから、特に希望がなければ獣型でいてもらえたらと思ってる」


 わたしの緊張が抜けたのが伝わったらしく、イザムがいい笑顔になった。

 でもその後ですぐ真顔に戻った。

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