28. 美女撃退
そう聞いても美女は片方の眉をかすかに上げただけだった。
「そう聞いたわよ? でも、相手がこのお嬢さんなら、あなたの趣味じゃないでしょ?」
ちらりとこっちに目を向けて、またイザムの腕をとろうとする。
イザムがちょっと狼狽えた。
でも、一歩引いて腕は取らせなかった。
「わたしみたいに女らしい女が好きでしょう? ね、あの時みたいに楽しく過ごしましょ?」
意味ありげにそう言って片目をつむってみせる。腕を取ることができないと踏むと長い指をすすっとイザムの胸に走らせた。
思わず見とれてしまう程にすごくきれいな指先で、正直張り合える気がしな……いやいや、そういう問題じゃないか。でも、どうしよう。
怒る? 拗ねる?
なんだかどっちも今さらな気がする。
わたしの無反応のせいで調子に乗ったのか、美女がイザムの頬に唇を寄せてこれ見よがしに囁いた。
「このお嬢さんも気にしないみたいじゃない。幼いだけかと思っていたら、かわいそうに、婚約したなんて言っても心が伴っていないのね。わたしならほら、あなただけのもの♡」
イザムの胸のあたりにあった美女の手がゆっくりと上にのぼっていく。頬に触れそうになった時、イザムがその手をつかんだ。視線はまっすぐにわたしに当てられている。
「アイリーン? 君は気にしないのか?」
そう言った声がずいぶんと冷たくて、ハッとさせられた。
完全にイザム好みのフィギュア体型のお姉さんだし、お色気勝負なら勝てないな、って思ったのもあるけど、どっちかというと呆気に取られていただけで、気にしてないわけじゃない。偽だけど婚約者だし。
コホンと咳払いをしてから小首をかしげて作り笑顔で答えた。
「気にして欲しいの? そういう意味の質問ならそうね、気にはしているし、考えてもいる――あなたがわたしよりその女性の方がいいって思ってるなら、それもしかたないって――」
イザムが信じられない、って顔をした。
つまり、この人は追い払ってオッケーってことだな。
「――あなたのことは素敵な人だって思ってるけど、わたしたち、そんなにお互いのことを知っているわけじゃないし、そちらの女性はあなたとはずいぶん親しいみたい。
あなただって否定も拒否もしなかったってことは、心当たりがあるんでしょ、婚約者様?
ならわたしが取るべき道はひとつ。蔑ろにされているのなら――そうね、お祖父様に頼んでゲーロにしてもらうのがいいんじゃないかしら。
それでこの場合はどっちをゲーロに変えてもらうのがいいのかなって話になるんだけど――どうしようかしら? ああ、ゲーロじゃなくてメギマの方がいいかもしれないわね、踏みつぶしやすそう」
にーっこりと微笑むと、お姉さんの妖艶な笑みがいい感じにひきつって固まった。
よし、もう一押しするか。
因みにメギマとはこっちの世界でナメクジのことだ。
「どうする? 愛を貫くために犠牲になるって言うならできるだけ苦しまないように配慮してあげてもいいのよ? そういうのって素敵だもの。
あの世で仲良くっていうのもいいわね。そうすれば二度と顔を見なくて済むし」
もちろんそんなつもりはないけれど、最後の一言は笑みを消して真顔で言わせてもらった。
「あら、気持ちがないわけではないのならいいのよ。ほら、心の結びつきがない結婚なんて、あなたのためにも良くないでしょう? ほほほほほ」
引きつった笑いを浮かべて、お姉さんが退散した。
よし、危なかったけどなんとか役立った。
心の中でぐっと握りこぶしを作ってから見上げると、胡散くさい笑みを消したままのイザムにじっと見つめられていた。
「追い払っちゃって、悪かった? 婚約者様?」
また笑顔に戻して精一杯かわいらしく聞いてみると、ため息交じりの声が返ってきた。
「悪くない。悪くないけど、ちょっとがっかりした」
「え? ダメだった? あの人ともっと一緒にいたかったっていう意味なら今から追いかけて――」
「違う。そういう意味じゃなくて。追い払うのは助かったし、それはいいんだけど、そうじゃなくて、もうちょっと……嫉妬して怒るとか、かわいく拗ねるとかしてくれるんじゃないかって、期待した……」
こころなしか肩が落ちたように見える。
「ああ、それならごめん。びっくりして怒るタイミングを逃しちゃって……でもあの人相手じゃ敵わないし、柄じゃないし」
こっちもため息交じりで答える。
「え、敵わないってどういう意味?」
わからないって顔で聞き返された。
「そのまんま。ああいうセクシー系の人、好みでしょ? イザムの持ってるフィギュア、全部ああいう感じじゃない。張り合おうにもわたしはああいうタイプじゃないし、あんなふうに誰かに迫ったりとか、できないし。まあ、張り合おうとも思えなかったけど」
持ってるフィギュアがほとんどあんな感じなんだから、勇の好みの体型があのタイプなのは間違いない。自分が同じ土俵にあがれるかって話なら、異世界補正が入っている今だってとんでもない、だ。
「男ならあのタイプは大抵好き、ってだけで、僕は別に……ごにょごにょ」
ごまかすように横を向いてるけど、耳、赤いし。今さら取り繕ってもらう必要もない。
「イザムが夢を追ったってそれは別にいいと思ってるよ。
それより、わたしを相手にしちゃってよかったの? 婚約者って設定だけなんだし、あの人に頼んだ方がよっぽど――」
「そんなこと、ない」
ぱっと顔を上げてこっちを見た顔が予想外に真剣だった。
「でも、もし――」
「そんなこと、ないよ」
「失礼。父が、お帰りになる前に君に聞きたいことがあると言っているのだが――」
突然声が割り込んできて、声のした方を見れば、さっきの王子様の一人――母親似の優しそうな方――がすぐそばに立っていた。
今声をかけてきたのって、この人? そうだとすれば、王子様が王様の使い走りみたいなことをしたってこと? そりゃ、王様よりは身分は低いかもしれないけれど、なんでわざわざこの人が――。
「伺います」
即答したイザムが手を伸ばす。
「アイリーン、一緒に――」
けれど、その声に応えて伸ばしたわたしの手をとったのはイザムではなくて白い手袋をした王子様の手だった。
「内々のことなので、話があるのは君一人だそうだ。父と話している間、君の婚約者をダンスに誘いたいと思っているが、そのくらいは構わないだろう? 用件は短いと父も言っていた」
なんだか威圧的な言い方だ。
「あの、わたし――」
「彼が貴女の婚約者だということは理解しています。貴女たちの間に波風を立てるつもりはありません。踊りたくないのなら話をするだけでも構いませんが、一人でいればその間に他の誰かが声をかけてこないとは言えません。もちろん他の男に声をかけられたいと言うのなら別ですが?」
断ろうとした言葉と行動を塞がれて、イザムを見る。
「おかしな真似をしたらメギマに変えて踏みつける――アイリーン、君のお祖父様は相手が誰でもためらわない。そうだな?」
言葉はわたしに問いかけるかたちでも、冷たい目線が王子様から動かない。誰に聞かせているのかは明らかだ。
「そうね、さっきの女性もこの王子様も、お祖父様にとっては大差ないと思うわ。いってらっしゃい」
にこりと笑って送り出す。
「すぐ戻る」
一言残してイザムは速足で歩き去った。
ほんの数秒その背中を見つめてから、わたしは名前も知らない王子様に向き合った。




