19. お迎え
狼たちに対する言葉は挑戦的だけれど、シルバーの牙や爪が届くほど近くには来ない。
わたしを無理に連れて行くつもりもないみたいで、シルバーもとりあえずといった様子で威嚇はしても、実際に手を出すつもりはないのか動こうとはしなかった。
何をしに来たのか知らないが、とりあえずこのイアゴという失礼な少年が招かれざる客なら――わたしが相手をする必要はない。
「シルバー、クロちゃん、帰ろっか?」
あっさり出た結論に従って行動を決めると、イアゴが驚いた顔をした。
「ええ? お姉さん僕の話聞いてた? ここにいたら変態エロ魔法ジジイの餌食になっちゃうんだよ? それかその負け犬ハーレムのその他大勢。そんなのでいいの? 僕なら命ある限り添い遂げるよ?」
『変態エロ魔法ジジイ』発言に、つい吹き出しそうになった。ジジイ以外はたぶん合ってる。
「シルバー、ハーレムがあるの? やっぱりかっこいい男はもてるんだね」
シルバーは鼻の上のしわを消してちょっと得意そうな顔をした。
「当然だ」
短く答える。うん、そんなところもかっこいい。
ピクニックセットをバスケットに戻すと、狼が一匹近づいてきて咥えてくれた。シルバーとクロちゃんと一緒に来た道を帰ろうとしたら、他の狼たちの攻撃をよけつつ、シルバーに近づき過ぎないようにしながらイアゴも歩きだした。
「ええ~? 大勢の中の一人でいいの? 男はともかく人間の女の子はそうじゃないって聞いてたのに! それに僕だっていい男になるよ。子育てだって協力的だし。僕たちの種族はいいパパになるって評判なんだよ。お姉さん」
がんばっても中学生くらいにしか見えないイアゴが一生懸命『いいパパになる』って、自分をお勧めしてるのはかわいいと言えなくもないんだけど。
「なんとなくシルバーの方がいいお父さんになりそうに見えるよ。寡黙でかっこいいし」
そう口に出せばシルバーが、ふふん、と鼻を鳴らす。
「当然だ」
低い美声もかっこいい。
「だよね」
「ええ~、そこは黙ってちゃわかんない!って奥さんに愛想をつかされる可能性の方が高いんじゃないの? 夫婦は何事も相談し合ってお互いを尊重しないと」
そう言いながらも『寡黙でかっこいい』が効いたのか、後は黙ってついて来る。って、どこまでついて来るつもりなのかな、この子。
そんなことを考えていたら、進行方向の空に急に真っ黒い雲がかかったのが見えた。気温も下がってきたみたいで、ひゅう、と音をたてて風も吹いてきた。
「ああ、まずいな」
そう言って足を止めたシルバーが、ちらりとイアゴの方を見る。
前方の空に一瞬の光が走り、雷の音が聞こえてきた。さっきまできれいに晴れていたのに、すごい変わりようだ。あたりがどんどん暗くなってきて、今にも雨が降りそう。
狼たちが耳を伏せてシルバーの近くに来たかと思うと、鼻を鳴らしてから森の奥に向かって一気に走り出した。
目を見張るわたしの背中を鼻先で押して、シルバーが近くの茂みに連れて行き、イアゴのことはジロリ、と睨む。
「焼き鳥にされる前に、早く帰れ」
イアゴが何か言い返そうとして、口をつぐみ、空を見上げる。
シルバーにぐいぐいと押されるかたちで茂みの中に入ると、シルバーはぴたりとわたしに身体を寄せて、巻き付けるようにわたしの脚を尻尾でくるんで、耳を伏せた。
「もう来るぞ、目を閉じて耳を塞げ」
何が来るとしても、シルバーの言うことは聞いた方がいい。言われたとおりに目を閉じて両手で耳を塞ぎ、クロちゃんがそのわたしの襟もとに飛び込んできた三秒後、閉じた瞼を通して視界が真っ白に光った。
ガラガラガラドドーンッ!!
間を開けず、とんでもなく大きな音がして地面がグラグラと揺れ、あまりの衝撃にわたしはその場に座り込んだ。
心臓がすごい勢いで打っていて、体の中から飛び出しそうだ。
胸もとからクロちゃんが出て行ったのはわかったけれど、目を開けても目の前がチカチカするし、耳鳴りがすごくて音もわからない。
誰かがわたしの二の腕をつかんで立ち上がらせ、そのまま引っぱられたと思ったら抱き上げられたらしく、足が地面を離れた。
慌ててあたりを探ると柔らかい布地が手に触れて、すぐに誰なのかわかった。ほっと息を吐いて力を抜いた途端に、またぐらりと浮遊感に襲われて緑色の光に包まれた。これには覚えがある――使い物にならない目を閉じて手に触れる布地の感触だけに集中し、ゆっくり息をする。
耳鳴りと眩暈が収まっているのを確認してからそーっと目を開ければ、またしても、イザムの館のイザムの部屋の暖炉の前。わたしを拉致した魔導士は、前回のことを覚えているらしく、無理やり頭の向きを変えられたりはしなかったけど、心配そうな顔で見下ろしていた。
その身体からなんとなく冷気がただよっているような気がする。
ゆっくり息を吸って、「大丈夫、だから」と声を出せば、そっと下ろしてくれたけど、膝がかくかくして力が入らず、その場でへたりこみそうになってまた抱き上げられた。
情けない。
かくして、またしても部屋まで運ばれて(今回はドアを開けてくれたのはどこからともなく現れたホランドだとわかった)、ベッドに乗せられた(断固拒否したのでキャミソールはなし。ホランドがイザムの部屋着を持ってきてくれて、イザムが出て行ったら着替えを手伝うと言ってくれた)。
落ちついたころに様子を見に来るからしっかり休むように、と言い置いて、出て行く時に「焼き鳥にするかグリルチキンにするか……」ってイザムが呟いていたのが怖い。
まさかあの子のことじゃない……と、思いたい。
イザムが出て行くとすぐに、ホランドに頼んで洗面室の隣にある浴室のバスタブにお湯をためてもらった。狩りの練習もピクニックもしたし、さっきはものすごい雷に驚いたせいで地面にへたり込んだから、すっきりしたい。
幸いお湯がたまるころには膝にも力が入るようになっていた。
これもまたびっくりしたことに浴室は現実仕様で、ポンプ入りのシャンプーやボディーソープが置いてあった。それだけじゃなくて、いい香りのする入浴剤まである。重ねてあるタオルもふわふわ。
こんな異世界で現実なみの生活を行えるなんて、すごい。
うちの母は日常生活についてはすべて「だいたい」が信条で、柔軟剤を入れ忘れてタオルが硬かったりするのはしょっちゅうだし、掃除もけっこういい加減なのだ。
思いがけず幸せ気分でゆっくりお風呂を楽しみ、ゆるゆるの部屋着で気分よく部屋で過ごしていると、イザムが入ってきた。
杖の先に幅一メートルはありそうなでっかい鳥かごをひっかけているのに、全く重さを感じさせない。
かごの中には白い尾羽に黄色いくちばしの、乱れた羽をした茶色い鷲? 鷹? 鳶? が一羽……見覚えがある。
えっと、なんか、聞きたくないような気がする。
目をそらしていると、ガッシャンと大きな音をたてて鳥かごが床に置かれた。
抗議するようなかん高い声で鷲が鳴く。
「面倒だからほっとこうかとも思ったんだけど、あの後でシルバーが咥えて引き摺ってきたんだよ。解剖してから焼き鳥にしてもいいかと思ったんだけど、よく見たらまずそうでさ。見せしめに魔石をとって放り出すってのもいいかと思ったんだけど、もしかしたらアイリーンが欲しいかと思って――ペットにする?」
にこやかに聞かれて大急ぎで首を横に振った。
「いやいやいや! ペットって、それ猛禽類でしょ? すごく怖そうだよ。 ペットにするならイザムのにしたらいいと思う――それよりもあの、是非否定して欲しいんだけどそれ、さっきの子じゃ……」
「うん? 俺、使い魔は足りてるんだよ。いらないなら剥製にして暖炉の上に飾る?」
いい笑顔だけど、言ってることがさっきより怖い。
「ねえ、まず否定して欲しいんだけど、その鳥がさっきの子って可能性はどのくらいあるの?」
「残念だけどそこは否定できない。まあ、たまたま来客中だったから結界が緩かったとはいえ、大魔導士の住処に堂々と侵入したんだから、命が惜しかったはずはないよね」
ニコニコニコニコ。
本当にさ、その作り笑顔、やめようよ、怖いから。




